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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第112話。


志戸桶(しとおけ)のビンドゥン(さま)



 むかし(むかし)喜界島(きかいじま)志戸桶(しとおけ)の、ムラスミといういう(ひと)が、(ふね)()りに出掛(でか)けました。
 その(とき)(かめ)(かたち)をしたトークー(いし)という、(いし)(まわ)りが一面(いちめん)(こま)かい(あな)()いた珊瑚石灰岩(さんごせっかいがん)が、(うみ)(うえ)(うか)んでいて、その(いし)(ふね)近付(ちかづ)いて()ます。ムラスミは、何回(なんかい)となく()(はな)しましたが、どうしても自分(じぶん)(ところ)(もど)って()てしまいます。ムラスミは、不思議(ふしぎ)(おも)ったので、その(いし)()()()(かえ)ることにしました。
 すると(いし)()母親(ははおや)は、この(いし)(いも)(こす)るのに丁度(ちょうど)()いと()って使(つか)(はじ)めると、みるみる()()()がってしまったそうです。(おこ)った(はは)は、(いし)(うみ)()()みましたが、その(いし)は、()(きし)()(もど)ります。
 そこでムラスミは、(いし)巫女(みこ)()(もら)(こと)にしました。
 すると、この(いし)神石(かみいし)なので大切(たいせつ)(まつ)りなさいと()われたそうです。
 そこで守護神(しゅごしん)として(まつ)り、霊石(れいせき)参拝(さんぱい)する(こと)にしましたが、やがて村中(むらじゅう)(ひと)も、それを(おが)むようになったそうな。

 
※この話の参考とした話
柳田~「拝石」
奄美・鹿児島県大島郡喜界町志戸桶~『喜界島の史跡と伝説』
奄美・鹿児島県大島郡喜界町志戸桶~『喜界島古今物語』


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●伝承地
柳田~「拝石」
奄美・鹿児島県大島郡喜界町志戸桶~昔、志戸桶のムラスミといういう人が、船で釣りに出かけた時、「トークー石」といって、石の周囲が一様に細い穴があいているサンゴ石灰岩が浮んでいて、その石が船に近づいてきた。ムラスミはその石を何回となくつき放したらしいが、それでも彼のそばに近寄ってくるようなので、彼は不思議に思ってその石を我が家へ持ち帰ってきた。それを見た母親が、この石は芋をこするのにいいと言って、その石で芋をこすったところが、手がはれてしまったので、その石を海へ投げ込んだということである。ところが、その石は再び岸へ舞いもどるようにしてくるので、ムラスミという人は不思議に思い、巫女に占いをさせたところが、「この石は神石だからだいじに祭れ」ということであったので、今のところに守護神として祭り参拝するようになった。すると、村中の人がそれを拝むようになったということである。(『喜界島の史跡と伝説』)
奄美・鹿児島県大島郡喜界町志戸桶~日露戦争の頃、ある頑固な老人が外人から石神をみせてといわれたが、見せずに海へ捨てた。数日後、波に乗って海岸へ寄ってきたので、また、もとの場所で拝んだ。老人は後日気が狂い、その孫も気が狂ったという。(『喜界島古今物語』)


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