舟ン帆岩 ~琉球沖縄の伝説

2011年03月10日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・奄美編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第120話。


舟ン帆岩(ふうでい)



 俊寛(しゅんかん)僧都(そうず)は、(しま)での味気(あじけ)ない生活(せいかつ)()()ね、()(いわ)(うえ)(のぼ)って近海(きんかい)(とお)(ふね)(まね)()せ、(しま)から脱出(だっしゅつ)して、藤原成経(ふじわらのなりつね)()薩摩硫黄島(さつまいおうじま/鬼界ヶ島)に、無事(ぶじ)辿(たど)()いたと、奄美(あまみ)喜界島(きかいじま)では(つた)えられています。
 また、源氏(げんじ)()われた平家(へいけ)落人(おちうど)一女性(いちじょせい)が、追討(ついとう)(なん)()けてこの(いわ)(うえ)(のぼ)り、洞穴(どうけつ)中心部(ちゅうしんぶ)で、機織(はたお)りをしながら生活(せいかつ)して、人生(じんせい)をここで(おわ)わったそうな。 

 
※この話の参考とした話
柳田~「舟止薬師」
奄美・鹿児島県大島郡喜界町塩道~『喜界島古今物語』


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●伝承地
柳田~「舟止薬師」
奄美・鹿児島県大島郡喜界町塩道~俊寛僧都は、島での味気ない生活に耐え兼ねて、此の岩の上に登って、近海を通った舟を招きよせ、その舟に便乗して島を脱出するのに成功、成経の棲む硫黄ヶ島に無事辿りつくことが出来たと伝えられている。源氏に追われた平家の落人の一女性が、追討の難をさけて岩上に登り、洞穴になったその中心部で機織りをしつつ生活して人生を終ったと。(『喜界島古今物語』)


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