オアムシャレ 〜琉球沖縄の伝説

2011年01月26日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・奄美編

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〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第79話。


オアムシャレ(大阿母様))



 むかし(むかし)の、お話です。
 奄美大島(あまみおおしま)(みなみ)加計呂麻島(かけろまじま)から、(さら)(みなみ)方角(ほうがく)に、請島(うけじま)与路島(よろじま)があります。
 これは、与路島(よろじま)に伝わる(はなし)です。
 大阿母様(オアムシャレ))(※大阿母志良礼(うふあんしたり/おおあむしられ))は、首里(しゅり)(おう)拝謁(はいえつ)すべく、諸準備(しょじゅんび)をしていました。
 するとそこに、(めい)がやって()て、是非(ぜひ)とも首里(しゅり/すい)見物(けんぶつ)したいと(たの)まれて、大阿母様(オアムシャレ))(めい)同伴(どうはん)で、(おう)御機嫌伺(ごきげんうかが)いに出発(しゅっぱつ)したのでした。
 (なお)首里(しゅり/すい)見物(けんぶつ)(まえ)に、王府(おうふ)参内(さんだい)するのが目的(もくてき)のため、大阿母様(オアムシャレ)は、拝謁(はいえつ)(おり)無作法(ぶさほう)(こと)があってはと(おも)い、(めい)作法(さほう)はじめ(こま)かい注意(ちゅうい)(あた)えました。そして(さら)()(くわ)えた事がありました。
 それは、もしも(おう)より(なに)御下賜(ごかし)(※いただき物)(しな)があって(すす)められて()べる(とき)()(もの)(ふた)()けて(うら)(しずく)がないものは、(どく)などが()られている(あかし)なので、(けっ)して(くち)()けてはならないと(いまし)めました。
 さて、いよいよ(おう)拝謁(はいえつ)する(とき)がやってきました。
 王は一目(ひとめ)()るなり大阿母様(オアムシャレ)(めい)(うつく)しさに()(うば)われ、(すく)ぐに(つま)として(むか)えたいと所望(しょもう)されました。
 大阿母様(オアムシャレ)は、(めい)である(ゆえ)両親(りょうしん)許可(きょか)もなく、そのような(こと)など出来(でき)ないと、(かた)(こと)わりました。そして拝謁(はいえつ)感謝(かんしゃ)し、自分達(じぶんたち)目的(もくてき)(たっ)せられたので早々(そうそう)王府(おうふ)退出(たいしゅつ)させて(いただ)きたいと(ねが)()ました。
 ところが(ねが)いは()()れられず、何故(なぜ)か、なかなか二人は(しろ)からの退出(たいしゅつ)(ゆる)されません。
 別室(べっしつ)(ひか)えていた二人の(まえ)に、やがて茶菓(さか)(※茶と御菓子)(はこ)ばれて()ました。
 大阿母様(オアムシャレ)は、途方(とほう)()れながらも(すす)められるままに湯呑(ゆの)みを手にし、(ふた)()けてみると、先祖(せんぞ)から(つた)()いてきたように(ふた)(うら)(しずく)がありません。
 (まぎ)れもなく、お(ちゃ)(どく)がもられていると(さっ)した大阿母様(オアムシャレ)は、人の()があるので、湯呑(ゆの)みの(ふた)()じると、窓辺(まどべ)(すわ)って(そと)()ていた(めい)に、湯呑(ゆの)みの()をこっそり()てるように手招(てまね)きで(つた)え、手渡(てわた)したのでした。
 すると(めい)は、大阿母様(オアムシャレ)自分(じぶん)()むように(すす)めたのだと勘違(かんちが)いしてしまい、()める()もなく、一口(ひとくち)()()してしまったのでした。
 (おう)が、大阿母様(オアムシャレ)毒殺(どくさつ)し、その(めい)自分(じぶん)(つま)にしようと(はか)ったのでした。
 言うまでもなく(どく)(はい)った()()()してしまった(めい)は、(たちま)(もだ)(くる)しみながら、()るも無惨(むざん)()()げたのでした。
 突然(とつぜん)()って()いた(めい)の、(あわ)れで(むご)たらしい()(ぎわ)()の当たりにした大阿母様(オアムシャレ)は、驚愕(きょうがく)し、失心(しっしん)しそうになりましたが、なんとか(めい)()(かか)えて(いそ)いで下城(げじょう)すると、舟子(ふなこ)(※船を漕ぐ人達)()(あつ)めて、与路(よろ)への帰途(きと)につきました。
 大阿母様(オアムシャレ)舟子達(ふなこたち)(さけ)んで言う事には、
 「(めい)病気(びょうき)(たお)れてしまいました。一刻(いっこく)(はや)く、与路島(よろじま)(かえ)らなければなりません。」と。
 そう()って、舟子達(ふなこたち)にお(ねが)いして、(よる)(ひる)もなく(ふね)()(つづ)けてもらったのでした。航海(こうかい)途中(とちゅう)心配(しんぱい)した舟子達(ふなこたち)(めい)具合(ぐあい)(たず)ねましたが、大阿母様(オアムシャレ)は、
 「ワガ カナシャン タマノ メイヤ ナマ ゲンキド イシュガテ コゲヨ コガネンキャ」と言って舟子(ふなこ)(はげ)ますばかりです。
 結局(けっきょく)舟子達(ふなこたち)は七昼夜(ちゅうや)(ほとん)(やす)むことなく()(つづ)けたのでした。そうは()うものの実際(じっさい)には途中(とちゅう)舟子達(ふなこたち)(つか)れを(いや)すため、一度(いちど)だけ徳之島(とくのしま)(さん)(みなと)(ふね)()れ、ほんの一時(いっとき)、そこで(やす)んで、そこから一気(いっき)与路(よろ)(みなと)目指(めざ)して(ふね)(すす)めたのでした。
 やがて、与路(よろ)部落(ぶらく)()()しました。
 するとその(とき)大阿母様(オアムシャレ)(きゅう)()(わめ)いて、
 「ワガカナシャル タマノメイ ナマド イノチヌ キリタン」と()うなり、(めい)亡骸(なきがら)()いたまま、(うみ)()()んで入水自殺(にゅうすいじさつ)してしまったのでした。
 また、その(あお)りを()けた(ふね)(おお)きく(かたむ)いた拍子(ひょうし)に、大波(おおなみ)(かぶ)って転覆(てんぷく)し、舟子達(ふなこたち)もまた、(うみ)()()されてしまいました。
 舟子達(ふなこたち)は、(ちか)くにあった(いわ)まで(およ)いでそれにしがみつき、島に()かって(たす)けを(もと)め、やがて救助(きゅうじょ)されました。この(とき)舟子達(ふなこたち)必死(ひっし)にしがみついた(ゆび)(あと)が、(いま)でも(いわ)(のこ)っています。
 そしてそれからその岩は、「オアムディ」と()ばれるようになりました。
 また、古老(ころう)(げん)によると、このオアムディの(いわ)に、魚釣(さかなつ)りのために(わた)ると、どんなに(うみ)()いで(しず)かな(とき)であっても、(かなら)ず三回は大きな(なみ)()せて()岩全体(いわぜんたい)(あら)うのだそうです。
 そしてこれは、大阿母様(オアムシャレ)挨拶(あいさつ)なのだと、(むかし)から与路島(よろじま)では、(かた)()がれて()たそうな。



※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町与路〜『ふるさとの今昔 与路島誌』


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●伝承地
?奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町与路〜大阿母様は首里の王様に拝謁すべく諸準備をなした。ところが、姪が是非首里見物をしたいと同道を乞うので姪同伴で王の御機嫌を伺うべく、王府に参内したのであった。大阿母様は拝謁のおり無作法なことがあってはと、作法のことについて細かい注意を与え、さらに付け加えて、もし王様より何か御下賜の品があって、すすめられて食べるときは、入れ物のフタをあけフタにしずくのないものは、毒物の盛られている証であるので、決して口づけてはならないといましめたのであった。さて、いよいよ拝謁の時になった。王は姪の美しさに目を奪われ、早速王の妻女にしたいと所望された。オアムシャレは姪である故、両親の許可なくそのようなことはできない旨、固く断わり早々に王府を退出すべく申し上げたが、王はいっこう聞き入れられなかった。
やがて二人の前に茶菓が運ばれてきた。何も知らないオアムシャレは途方にくれながらも、進められるままに湯呑みを手にしてフタをあけてみると、まぎれもなくお茶には毒物が混入されているらしくフタ裏に露しずくがついていない。オアムシャレは窓辺にすわっている姪に、湯呑みの湯をすてるよう手渡した。ところが運の悪いことには、姪はオアムシャレが自分に飲めと進めたものとかん違いして、一口で呑みほしてしまったのである。王はオアムシャレを毒殺することによって、オアムシャレの姪を自分の妻とすることができると思い、秘かにオアムシャレ毒殺の計を立てたのであった。毒物のはいった湯を呑みほした姪は、たちまち無惨な死をとげてしまったのであった。姪のあわれでむごたらしい死を見たオアムシャレは、失心せんばかりに驚き急いで下城し、舟子を集めて与路への帰途についたのであった。オアムシャレは舟子たちに、
 「姪が病気で倒れた、一刻も早く与路に帰らなければならぬ」と急を知らせると共に励ましを与え、夜を日についで漕ぎ続かせた。航海の途中舟子たちが姪の安否をたずねると、
 「ワガ カナシャン タマノ メイヤ ナマ ゲンキド イシュガテ コゲヨ コガネンキャ」と励まし、七日七夜を漕ぎ明かした。途中、舟子たちの疲れをいやすため徳之島の山の港に舟を入れ、しばらく休み、そして与路の港をめざして舟をすすめた。やがて与路の部落が見え出した時、オアムシャレが急に泣きわめきながら、
「ワガカナシャル タマノメイ ナマド イノチヌ キリタン」と姪のなきがらを抱いて入水自殺をとげたのである。そのあおりで舟が傾き波をかぶり舟は沈没し、舟子は海に投げ出されてしまった。助けを求める舟子は海に投げ出されてしまった。助けを求める舟子は、岩にしがみつきもだえた。必死にもがく指の力は、その岩の上に指形を残した。名づけて「オアムディ」という。古老の言によれば、このオアムディに魚つりに渡ると、必ずどんなになぎていても、三回は波が寄せてきて、この岩を洗うそうである。これはオアムシャレの挨拶だと語り伝えられる。(『ふるさとの今昔 与路島誌』)


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