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〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜
〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第79話。
むかし
これは、
するとそこに、
それは、もしも
さて、いよいよ
王は
ところが
すると
言うまでもなく
「
そう
「ワガ カナシャン タマノ メイヤ ナマ ゲンキド イシュガテ コゲヨ コガネンキャ」と言って
やがて、
するとその
「ワガカナシャル タマノメイ ナマド イノチヌ キリタン」と
また、その
そしてそれからその岩は、「オアムディ」と
また、
そしてこれは、
※この話の参考とした話
●奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町与路〜『ふるさとの今昔 与路島誌』
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●伝承地
?奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町与路〜大阿母様は首里の王様に拝謁すべく諸準備をなした。ところが、姪が是非首里見物をしたいと同道を乞うので姪同伴で王の御機嫌を伺うべく、王府に参内したのであった。大阿母様は拝謁のおり無作法なことがあってはと、作法のことについて細かい注意を与え、さらに付け加えて、もし王様より何か御下賜の品があって、すすめられて食べるときは、入れ物のフタをあけフタにしずくのないものは、毒物の盛られている証であるので、決して口づけてはならないといましめたのであった。さて、いよいよ拝謁の時になった。王は姪の美しさに目を奪われ、早速王の妻女にしたいと所望された。オアムシャレは姪である故、両親の許可なくそのようなことはできない旨、固く断わり早々に王府を退出すべく申し上げたが、王はいっこう聞き入れられなかった。
やがて二人の前に茶菓が運ばれてきた。何も知らないオアムシャレは途方にくれながらも、進められるままに湯呑みを手にしてフタをあけてみると、まぎれもなくお茶には毒物が混入されているらしくフタ裏に露しずくがついていない。オアムシャレは窓辺にすわっている姪に、湯呑みの湯をすてるよう手渡した。ところが運の悪いことには、姪はオアムシャレが自分に飲めと進めたものとかん違いして、一口で呑みほしてしまったのである。王はオアムシャレを毒殺することによって、オアムシャレの姪を自分の妻とすることができると思い、秘かにオアムシャレ毒殺の計を立てたのであった。毒物のはいった湯を呑みほした姪は、たちまち無惨な死をとげてしまったのであった。姪のあわれでむごたらしい死を見たオアムシャレは、失心せんばかりに驚き急いで下城し、舟子を集めて与路への帰途についたのであった。オアムシャレは舟子たちに、
「姪が病気で倒れた、一刻も早く与路に帰らなければならぬ」と急を知らせると共に励ましを与え、夜を日についで漕ぎ続かせた。航海の途中舟子たちが姪の安否をたずねると、
「ワガ カナシャン タマノ メイヤ ナマ ゲンキド イシュガテ コゲヨ コガネンキャ」と励まし、七日七夜を漕ぎ明かした。途中、舟子たちの疲れをいやすため徳之島の山の港に舟を入れ、しばらく休み、そして与路の港をめざして舟をすすめた。やがて与路の部落が見え出した時、オアムシャレが急に泣きわめきながら、
「ワガカナシャル タマノメイ ナマド イノチヌ キリタン」と姪のなきがらを抱いて入水自殺をとげたのである。そのあおりで舟が傾き波をかぶり舟は沈没し、舟子は海に投げ出されてしまった。助けを求める舟子は海に投げ出されてしまった。助けを求める舟子は、岩にしがみつきもだえた。必死にもがく指の力は、その岩の上に指形を残した。名づけて「オアムディ」という。古老の言によれば、このオアムディに魚つりに渡ると、必ずどんなになぎていても、三回は波が寄せてきて、この岩を洗うそうである。これはオアムシャレの挨拶だと語り伝えられる。(『ふるさとの今昔 与路島誌』)
?奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町与路〜大阿母様は首里の王様に拝謁すべく諸準備をなした。ところが、姪が是非首里見物をしたいと同道を乞うので姪同伴で王の御機嫌を伺うべく、王府に参内したのであった。大阿母様は拝謁のおり無作法なことがあってはと、作法のことについて細かい注意を与え、さらに付け加えて、もし王様より何か御下賜の品があって、すすめられて食べるときは、入れ物のフタをあけフタにしずくのないものは、毒物の盛られている証であるので、決して口づけてはならないといましめたのであった。さて、いよいよ拝謁の時になった。王は姪の美しさに目を奪われ、早速王の妻女にしたいと所望された。オアムシャレは姪である故、両親の許可なくそのようなことはできない旨、固く断わり早々に王府を退出すべく申し上げたが、王はいっこう聞き入れられなかった。
やがて二人の前に茶菓が運ばれてきた。何も知らないオアムシャレは途方にくれながらも、進められるままに湯呑みを手にしてフタをあけてみると、まぎれもなくお茶には毒物が混入されているらしくフタ裏に露しずくがついていない。オアムシャレは窓辺にすわっている姪に、湯呑みの湯をすてるよう手渡した。ところが運の悪いことには、姪はオアムシャレが自分に飲めと進めたものとかん違いして、一口で呑みほしてしまったのである。王はオアムシャレを毒殺することによって、オアムシャレの姪を自分の妻とすることができると思い、秘かにオアムシャレ毒殺の計を立てたのであった。毒物のはいった湯を呑みほした姪は、たちまち無惨な死をとげてしまったのであった。姪のあわれでむごたらしい死を見たオアムシャレは、失心せんばかりに驚き急いで下城し、舟子を集めて与路への帰途についたのであった。オアムシャレは舟子たちに、
「姪が病気で倒れた、一刻も早く与路に帰らなければならぬ」と急を知らせると共に励ましを与え、夜を日についで漕ぎ続かせた。航海の途中舟子たちが姪の安否をたずねると、
「ワガ カナシャン タマノ メイヤ ナマ ゲンキド イシュガテ コゲヨ コガネンキャ」と励まし、七日七夜を漕ぎ明かした。途中、舟子たちの疲れをいやすため徳之島の山の港に舟を入れ、しばらく休み、そして与路の港をめざして舟をすすめた。やがて与路の部落が見え出した時、オアムシャレが急に泣きわめきながら、
「ワガカナシャル タマノメイ ナマド イノチヌ キリタン」と姪のなきがらを抱いて入水自殺をとげたのである。そのあおりで舟が傾き波をかぶり舟は沈没し、舟子は海に投げ出されてしまった。助けを求める舟子は海に投げ出されてしまった。助けを求める舟子は、岩にしがみつきもだえた。必死にもがく指の力は、その岩の上に指形を残した。名づけて「オアムディ」という。古老の言によれば、このオアムディに魚つりに渡ると、必ずどんなになぎていても、三回は波が寄せてきて、この岩を洗うそうである。これはオアムシャレの挨拶だと語り伝えられる。(『ふるさとの今昔 与路島誌』)
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