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〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜
〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第9話。
アーマンチュの足跡
この
そんなこともあって、この
※この話の参考とした話
①沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村宜野座〜『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉
②沖縄本島・国頭郡宜野座村宜野座〜『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉
③沖縄本島・国頭郡宜野座村松田〜同上
④沖縄本島・島尻郡玉域村志堅原〜「昭和五十五年度 奄美・沖縄民間文芸研究会合同調査報告稿」
⑤島尻郡栗国村〜「沖縄民俗」十五号
⑥沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷〜渡嘉敷村史別冊「とかしきの民話」
⑦沖縄先島・八重山郡竹富町西表島〜「八重山民話の旅」
⑧沖縄先島・八重山郡竹富町波照間島〜同上
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●伝承地
①沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村宜野座〜宜野座の山にね、アーマンチュの足跡があるよ。片足は宜野座の山に、片足は本部の山にあるらしい。昔はそんな話もあるよ。宜野座の片足は山のてっぺんにあるけれども、あがった山のてっぺんじゃなくて、平たい山のてっぺんだな。そこは一ヵ月、四十日日照りが続いても水があった。私たち子どもの頃、遠足の時に、片足にたまったたまり水(みじ)ぐゎー飲みよったよ。それでも腹こわさなかっただろう。それがアーマンチュの足跡(いさかた)という話だ。(『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉)
②沖縄本島・国頭郡宜野座村宜野座〜アーマンチュの足跡が、大久保山のティラクビにある。それはとても大きいクムイ(池)があった。そのクムイから屋慶名(与那城村)、あるいは平安座(与那城村)あたりまで、アーマンチュが一足で渡ったという。宜野座に片足を置いて渡ったという話。(『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉)
③沖縄本島・国頭郡宜野座村松田〜アーマンチュの足跡は、田圃みたいに、人の足跡みたいに親指の恰好をしていた。小さい時山に登って水が欲しくなると、そこで休んでよく飲んだ。もう片方の足跡は、伊計島(与那城村)の山の中腹に、この松田を向いてあると言われた。(同上)
④沖縄本島・島尻郡玉域村志堅原〜志堅原の仁泉はアマミキョが発見したもので、その足跡が仁泉の岩に残っている。また、志堅原の浜に津波が押し寄せたとき、アマミキョは、体をのばしてそれを防いだので、その浜にはアマミキョのソーキ跡が残っている。(「昭和五十五年度 奄美・沖縄民間文芸研究会合同調査報告稿」)
⑤沖縄県島尻郡栗国村〜昔、粟国にアーマンチュウという大男がやってきた。南海岸の崖には、彼が坐って描いたというサビ色の大きな丸い扇の絵がある。彼は渡名喜島の近くにある無人島を引き寄せようとしたとき、足を踏みはずして、海にはまって死んだという。(「沖縄民俗」十五号)
⑥沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷〜鬼慶良間と阿波連ビンチーとがヒラシという海岸で相撲をとった。そのときの鬼慶良間トートーメー(ご先祖さま)の足跡が、岩の上に残っている。(渡嘉敷村史別冊「とかしきの民話」)
⑦沖縄先島・八重山郡竹富町西表島〜「マヤバッタラーという大男は、片足を浦内川のアブバタに置き、片足はジーラの方に置いて西表島をまたいで立った。その足跡が今でも残っている。(「八重山民話の旅」)
⑧沖縄先島・八重山郡竹富町波照間島〜マンギャという人は、二歩で波照間を越えるほどの大男で、今もその人の足跡が本比田という家の前の岩に残っており、それをマンギャのピヨンという。(同上)
①沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村宜野座〜宜野座の山にね、アーマンチュの足跡があるよ。片足は宜野座の山に、片足は本部の山にあるらしい。昔はそんな話もあるよ。宜野座の片足は山のてっぺんにあるけれども、あがった山のてっぺんじゃなくて、平たい山のてっぺんだな。そこは一ヵ月、四十日日照りが続いても水があった。私たち子どもの頃、遠足の時に、片足にたまったたまり水(みじ)ぐゎー飲みよったよ。それでも腹こわさなかっただろう。それがアーマンチュの足跡(いさかた)という話だ。(『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉)
②沖縄本島・国頭郡宜野座村宜野座〜アーマンチュの足跡が、大久保山のティラクビにある。それはとても大きいクムイ(池)があった。そのクムイから屋慶名(与那城村)、あるいは平安座(与那城村)あたりまで、アーマンチュが一足で渡ったという。宜野座に片足を置いて渡ったという話。(『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉)
③沖縄本島・国頭郡宜野座村松田〜アーマンチュの足跡は、田圃みたいに、人の足跡みたいに親指の恰好をしていた。小さい時山に登って水が欲しくなると、そこで休んでよく飲んだ。もう片方の足跡は、伊計島(与那城村)の山の中腹に、この松田を向いてあると言われた。(同上)
④沖縄本島・島尻郡玉域村志堅原〜志堅原の仁泉はアマミキョが発見したもので、その足跡が仁泉の岩に残っている。また、志堅原の浜に津波が押し寄せたとき、アマミキョは、体をのばしてそれを防いだので、その浜にはアマミキョのソーキ跡が残っている。(「昭和五十五年度 奄美・沖縄民間文芸研究会合同調査報告稿」)
⑤沖縄県島尻郡栗国村〜昔、粟国にアーマンチュウという大男がやってきた。南海岸の崖には、彼が坐って描いたというサビ色の大きな丸い扇の絵がある。彼は渡名喜島の近くにある無人島を引き寄せようとしたとき、足を踏みはずして、海にはまって死んだという。(「沖縄民俗」十五号)
⑥沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷〜鬼慶良間と阿波連ビンチーとがヒラシという海岸で相撲をとった。そのときの鬼慶良間トートーメー(ご先祖さま)の足跡が、岩の上に残っている。(渡嘉敷村史別冊「とかしきの民話」)
⑦沖縄先島・八重山郡竹富町西表島〜「マヤバッタラーという大男は、片足を浦内川のアブバタに置き、片足はジーラの方に置いて西表島をまたいで立った。その足跡が今でも残っている。(「八重山民話の旅」)
⑧沖縄先島・八重山郡竹富町波照間島〜マンギャという人は、二歩で波照間を越えるほどの大男で、今もその人の足跡が本比田という家の前の岩に残っており、それをマンギャのピヨンという。(同上)
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Girls168サマ、こんにちは。
そうですか、お母さま、本部の出身ですか?
ぜひぜひ、聞いてみて下さい。
ただ、もし、
本部にある、もう一つのアーマンチュの足跡が、
どこのことか、ご存じなくても、
少しも、おかしくはないんです。
この話は、『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉に、伝わっているそうです。
調べに行ってはいませんが、
持っている資料や、ネット検索したところ、
本部のもう一つのアーマンチュの足跡が、どこか、
残念ながら、分かりませんでした。
単に、調べ方が、いけなかっただけかも、知れませんが。
コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年10月22日 21:40
Posted by Girls168 at 2010年10月22日 20:17
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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