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〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜
〜琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話〜
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第7話。
むかし
ある
すると
それを
ところが
それからというもの、
むかしこの
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県名瀬市小湊〜「奄美民俗」5号
②奄美・名瀬市小湊〜「奄美民俗ノート」5
③同上〜同上
④奄美・大島郡喜界町手久津久〜『奄美大島昔話集』
⑤同右〜『喜界島古今物語』
⑥奄美・大島郡瀬戸内町節子〜『瀬戸内町誌』
⑦奄美・大島郡笠利町屋仁〜『薩南諸島の総合的研究』
⑧奄美・大島郡笠利町節田〜同上
⑨奄美・大島郡笠利町用安〜同上
⑩奄美・大島郡竜郷町戸口〜同上
⑪奄美・大島郡竜郷町竜郷〜同上
⑫奄美・大島郡住用村市〜同上
⑬奄美・大島郡宇検村久志〜同上
⑭沖縄本島・那覇市田原〜『那覇の民話資料』第一集小禄地区
⑮沖縄先島・宮古郡城辺町友利〜『沖縄の昔話』
⑯沖縄先島・宮古郡城辺町保良〜『与那国島の昔話』
⑱沖縄先島・八重山郡与那国町〜『八重山民話の旅』
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●伝承地
①奄美・鹿児島県名瀬市小湊〜昔、名瀬勝のこんびら神社に男の神が、小湊のイチキシマ神社に女の神がいた。ある日海の彼方に松をせおったくじらが現われ、岸の方に向って泳いでくる。それで二人の神は、互いに自分のところにひきよせようと懸命になった。一心にくじらを呼ぶうち、くじらはだんだん女の神(名をイチキシマヒメノミコトという)の方に近よった。それを見て一計を案じた男の神はイチキシマヒメノミコトに彼女の髪や帯が乱れていて見苦しいということを告げた。イチキシマヒメノミコトが、あわてて自分の乱れたかっこうをなおしている間に男の神はくじらを自分のところにひきよせるのに成功したが、くじらは男の神が立っていた岩の下になって死んだという。それ以後正月になると子くじらがその岩のそばにきてないたものだそうだ。昔は、このふきんによく鯨がいたということで、またくじらがせおってきたという松は昔から今の大きさのままで、海岸の岩の上に生えているのだという。この話にかんして小湊地方で次のような歌が歌われている。「泊ノ岩ガネンタレバ クマヤ名瀬ニナリヨタンド(泊の岩がなかったなら、ここ(つまり小湊)は名瀬になっていたんですよ)」(「奄美民俗」5号)
②奄美・名瀬市小湊〜大きな岩を背負った鯨がやってくる。男神と女神が招きあう。男神が女神に腰まきが落ちようとしていると叫ぶ。女神が「えっ」といっている間に男神が招き寄せたのが小湊のくじら松である。(「奄美民俗ノート」5)
③同上〜石が鯨の背中にのって寄ってくる。男神と女神とが招きあう。男神は手ぬぐい、女神は腰まきで招く。とぶら石という。(同上)
④奄美・大島郡喜界町手久津久〜女の人が海辺で洗濯していると、沖の方から小島が流れてくる。女の人はびっくりして、洗濯していた赤い腰まきをそのままふると、その場にとまった。この島の波は外側から島に向って打ち寄せるが、ここだけは反対に内側から外側に向って波が寄せている。(『奄美大島昔話集』)
⑤同右〜手久津久の海岸で母と娘が洗濯していると、沖の方から、二つの島が、海岸の方へ寄ってくるのがみえた。腰にまいていた赤い腰まきをはずし、竹竿高くかざして打ちふった。
島は動かなくなり、波は島の方から沖へ白くとび散ってみえる。ウガミ礁(しょう)のいわれである。(『喜界島古今物語』)
⑥奄美・大島郡瀬戸内町節子〜節子の沖にあるタマタディル(二叉岩)は、昔、喜界島にあったが、西の方の湯湾に向って流れて行くのをキュラユキダリという美人神が白羽扇で招いて、そこに止めたという。(『瀬戸内町誌』)
⑦奄美・大島郡笠利町屋仁〜昔、喜界島が流れていくのを須野のノロが腰巻を振って止めた。もっと早く振ったら近くに止ったのにという話がある。(『薩南諸島の総合的研究』)
⑧奄美・大島郡笠利町節田〜昔、ノロが流れる島を呼び止めた。(同上)
⑨奄美・大島郡笠利町用安〜女が洗濯していたら島が流れてきた、女が赤い腰巻で招くと向うにいってしまった。(同上)
⑩奄美・大島郡竜郷町戸口〜昔、喜界島が流れていた。ノロが自分の腰巻をはずして、向うにいけとふったら、島は今のところに止ったという。(同上)
⑪奄美・大島郡竜郷町竜郷〜加世間で女が洗濯していたとき、喜界島が流れてきた。女が腰巻を脱いで、人間を食べるものがくるといって振ったら島は止った。(同上)
⑫奄美・大島郡住用村市〜集落の前面にトブラジマがある。この島は喜界島から流れついたという。市のノロ神が喜界島のノロ神に踊り勝ったので、この島がこちらに流れついた。(同上)
⑬奄美・大島郡宇検村久志〜宇検の小島は流れてきた。宇検のノロが招いたが、止らなかった。久志のノロが招いたら止った。これをクジバナレという。(同上)
⑭沖縄本島・那覇市田原〜ガーナー森(ムイ)は、昔は今の奥武山公園から離れた海の真中にあった。それが、海の中から東の方に動いて、真玉橋とか、豊見城の石橋とか、国場川の上流を荒して移った。
これではいけないと神さまが、五斤ほどの大石を三つ、森の尻尾に置いた。それで森は動かなくなった。(『那覇の民話資料』第一集小禄地区)
⑮沖縄先島・宮古郡城辺町友利〜上比屋の神さまに、娘がいた。その娘が機を織っているとぎ、平安名崎から島が流れだしたので、母親が早く島をつかまえなさいと言うが、もう一回やって、もう一回やってと言っているうちに、島は今の来間島の所に坐ってしまった。それで母親は、お前は親の言うことを聞かないから、このシマの人には信じさせないと言ったので、その娘はアラダケの人だけに信じられて、友利の人には信じられないこととなった。(『沖縄の昔話』)
⑯沖縄先島・宮古郡城辺町保良〜昔、保良の元島にパナリというシマ(村)があったが、そのシマに美しい娘がいた。その娘のもとに太陽が降りて来て、その娘を妾とし、子どもも生まれる。ある日、太陽がパナリの妾の家に行くと、たまたま妾は留守で、子守りが子どもを寝かしつけながら、お前のお母さんは怒って行った、オニヒトデを取って来て父さんの太陽を騙そうと海へ行ったと歌っている。それを聞いて太陽はたいへんに怒って、お前のような奴は平安名(へんな)へ行けと、子守りを投げ捨てた。その怒った拍子に、パナリの島も踏みつぶして流してしまった。子守りは、その流された平安名のパナリで暮らすようになったが、そのシマは子守りが育てる島なので、あまり大きくは発展しないという。(『ゆがたい』宮古島の民話第三集)
⑰沖縄先島・八重山郡与那国町租納〜昔、与那国島で、ある女が芋掘りを終えて帰る途中、ウブタ道の坂上で、島の北方の大海に、漂う島を見つける。女が村人に知らせるが、村人が駈け付けたときには島は沈んでしまう。皆で、そのあたりを訪ねてみると、島の沈んだ跡がある。村人はそこを流れ島と名付けた。(『与那国島の昔話』)
⑱沖縄先島・八重山郡与那国町〜昔、ある人が、ウブドマイ浜の近くで海を見ていると島が流れてきた。それを見て驚いていると、そこへ妊婦が来て、島が流れてくると指さして言うと、その島は白波の立っている浅瀬の方まできて沈んでしまった。それで、その島の沈んだ所を今はナーガンシーと呼んでいる。(『八重山民話の旅』)
①奄美・鹿児島県名瀬市小湊〜昔、名瀬勝のこんびら神社に男の神が、小湊のイチキシマ神社に女の神がいた。ある日海の彼方に松をせおったくじらが現われ、岸の方に向って泳いでくる。それで二人の神は、互いに自分のところにひきよせようと懸命になった。一心にくじらを呼ぶうち、くじらはだんだん女の神(名をイチキシマヒメノミコトという)の方に近よった。それを見て一計を案じた男の神はイチキシマヒメノミコトに彼女の髪や帯が乱れていて見苦しいということを告げた。イチキシマヒメノミコトが、あわてて自分の乱れたかっこうをなおしている間に男の神はくじらを自分のところにひきよせるのに成功したが、くじらは男の神が立っていた岩の下になって死んだという。それ以後正月になると子くじらがその岩のそばにきてないたものだそうだ。昔は、このふきんによく鯨がいたということで、またくじらがせおってきたという松は昔から今の大きさのままで、海岸の岩の上に生えているのだという。この話にかんして小湊地方で次のような歌が歌われている。「泊ノ岩ガネンタレバ クマヤ名瀬ニナリヨタンド(泊の岩がなかったなら、ここ(つまり小湊)は名瀬になっていたんですよ)」(「奄美民俗」5号)
②奄美・名瀬市小湊〜大きな岩を背負った鯨がやってくる。男神と女神が招きあう。男神が女神に腰まきが落ちようとしていると叫ぶ。女神が「えっ」といっている間に男神が招き寄せたのが小湊のくじら松である。(「奄美民俗ノート」5)
③同上〜石が鯨の背中にのって寄ってくる。男神と女神とが招きあう。男神は手ぬぐい、女神は腰まきで招く。とぶら石という。(同上)
④奄美・大島郡喜界町手久津久〜女の人が海辺で洗濯していると、沖の方から小島が流れてくる。女の人はびっくりして、洗濯していた赤い腰まきをそのままふると、その場にとまった。この島の波は外側から島に向って打ち寄せるが、ここだけは反対に内側から外側に向って波が寄せている。(『奄美大島昔話集』)
⑤同右〜手久津久の海岸で母と娘が洗濯していると、沖の方から、二つの島が、海岸の方へ寄ってくるのがみえた。腰にまいていた赤い腰まきをはずし、竹竿高くかざして打ちふった。
島は動かなくなり、波は島の方から沖へ白くとび散ってみえる。ウガミ礁(しょう)のいわれである。(『喜界島古今物語』)
⑥奄美・大島郡瀬戸内町節子〜節子の沖にあるタマタディル(二叉岩)は、昔、喜界島にあったが、西の方の湯湾に向って流れて行くのをキュラユキダリという美人神が白羽扇で招いて、そこに止めたという。(『瀬戸内町誌』)
⑦奄美・大島郡笠利町屋仁〜昔、喜界島が流れていくのを須野のノロが腰巻を振って止めた。もっと早く振ったら近くに止ったのにという話がある。(『薩南諸島の総合的研究』)
⑧奄美・大島郡笠利町節田〜昔、ノロが流れる島を呼び止めた。(同上)
⑨奄美・大島郡笠利町用安〜女が洗濯していたら島が流れてきた、女が赤い腰巻で招くと向うにいってしまった。(同上)
⑩奄美・大島郡竜郷町戸口〜昔、喜界島が流れていた。ノロが自分の腰巻をはずして、向うにいけとふったら、島は今のところに止ったという。(同上)
⑪奄美・大島郡竜郷町竜郷〜加世間で女が洗濯していたとき、喜界島が流れてきた。女が腰巻を脱いで、人間を食べるものがくるといって振ったら島は止った。(同上)
⑫奄美・大島郡住用村市〜集落の前面にトブラジマがある。この島は喜界島から流れついたという。市のノロ神が喜界島のノロ神に踊り勝ったので、この島がこちらに流れついた。(同上)
⑬奄美・大島郡宇検村久志〜宇検の小島は流れてきた。宇検のノロが招いたが、止らなかった。久志のノロが招いたら止った。これをクジバナレという。(同上)
⑭沖縄本島・那覇市田原〜ガーナー森(ムイ)は、昔は今の奥武山公園から離れた海の真中にあった。それが、海の中から東の方に動いて、真玉橋とか、豊見城の石橋とか、国場川の上流を荒して移った。
これではいけないと神さまが、五斤ほどの大石を三つ、森の尻尾に置いた。それで森は動かなくなった。(『那覇の民話資料』第一集小禄地区)
⑮沖縄先島・宮古郡城辺町友利〜上比屋の神さまに、娘がいた。その娘が機を織っているとぎ、平安名崎から島が流れだしたので、母親が早く島をつかまえなさいと言うが、もう一回やって、もう一回やってと言っているうちに、島は今の来間島の所に坐ってしまった。それで母親は、お前は親の言うことを聞かないから、このシマの人には信じさせないと言ったので、その娘はアラダケの人だけに信じられて、友利の人には信じられないこととなった。(『沖縄の昔話』)
⑯沖縄先島・宮古郡城辺町保良〜昔、保良の元島にパナリというシマ(村)があったが、そのシマに美しい娘がいた。その娘のもとに太陽が降りて来て、その娘を妾とし、子どもも生まれる。ある日、太陽がパナリの妾の家に行くと、たまたま妾は留守で、子守りが子どもを寝かしつけながら、お前のお母さんは怒って行った、オニヒトデを取って来て父さんの太陽を騙そうと海へ行ったと歌っている。それを聞いて太陽はたいへんに怒って、お前のような奴は平安名(へんな)へ行けと、子守りを投げ捨てた。その怒った拍子に、パナリの島も踏みつぶして流してしまった。子守りは、その流された平安名のパナリで暮らすようになったが、そのシマは子守りが育てる島なので、あまり大きくは発展しないという。(『ゆがたい』宮古島の民話第三集)
⑰沖縄先島・八重山郡与那国町租納〜昔、与那国島で、ある女が芋掘りを終えて帰る途中、ウブタ道の坂上で、島の北方の大海に、漂う島を見つける。女が村人に知らせるが、村人が駈け付けたときには島は沈んでしまう。皆で、そのあたりを訪ねてみると、島の沈んだ跡がある。村人はそこを流れ島と名付けた。(『与那国島の昔話』)
⑱沖縄先島・八重山郡与那国町〜昔、ある人が、ウブドマイ浜の近くで海を見ていると島が流れてきた。それを見て驚いていると、そこへ妊婦が来て、島が流れてくると指さして言うと、その島は白波の立っている浅瀬の方まできて沈んでしまった。それで、その島の沈んだ所を今はナーガンシーと呼んでいる。(『八重山民話の旅』)
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