みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第135話。


屋富祖(やふそ)井戸(カーグワー)



 (むかし)先祖(せんぞ)からの()()えの(はなし)です。
 井戸(いど)のことを、カーグワーと()い、井泉(せいせん)()をあてたりもします。井戸(いど)が、(はじ)めて屋富祖(やふそ)(つく)られるまで、(むら)には(みず)()かったので、村人(むらびと)はずっと(みなみ)にある、エッスのカーグワー(まで)()っていたそうです。
 (むら)に、知念(ちねん)という(いえ)があり、(ただ)しくグセイドウ(御政道)(おこな)われているか、王府(おうふ)から時々(ときどき)役人(やくにん)がやって()ていました。ある(とき)(めずら)しく役人(やくにん)夕方(ゆうがた)やって()ました。(はなし)をしていて(おそ)くなり、()まって明朝(みょうちょう)(はや)くに()つことになりました。
 知念(ちねん)(いえ)のお(かあ)さんは、まだ(あさ)()けずに(くら)三時頃(さんじごろ)()()すと、(とお)井戸(いど)まで水汲(みずく)みに()きました。(かえ)って()(とき)役人(やくにん)(たず)ねることには、「あなたにとって、一番(いちばん)(こま)っていることは、(なん)でしょうか。」と。すると知念家(ちねんけ)(はは)()うことには、「(わたくし)だけでなく村人(むらびと)にとって、やはり(みず)(むら)にはないため、(とお)くに(みず)(もと)めなければならない(こと)(こま)っています。」と、(こた)えたそうです。
 すると、その役人(やくにん)だと(おも)っていた老人(ろうじん)は、(むら)見渡(みわた)しながら()うことには、「(たし)かに(いずみ)井戸(いど)が、この(むら)には不足(ふそく)している。」と。
 そう()うなり、(いえ)(ちか)くまで(ある)いていくと、()っていた(つえ)地面(じめん)(たた)きました。すると、たちまちそこから(みず)()()したのです。それが、屋富祖(やふそ)最初(さいしょ)井戸(いど)()われています。その様子(ようす)()ていた村人(むらびと)(おどろ)き、この(ひと)(かみ)(ちが)いないと(おも)いながら、老人(ろうじん)(あと)()いて()きました。老人(ろうじん)は、ある場所(ばしょ)にいくと、また(つえ)地面(じめん)(たた)いたところ、そこからも(みず)()()したそうです。
 この(とき)から屋富祖(やふそ)(むら)では、(みず)がとても豊富(ほうふ)になったそうです。また自分達(じぶんたち)でも、(むら)四方(しほう)井戸(いど)(つく)るようになり、(むら)(おお)きくなるとミィーガーグワーという井戸(いど)(つく)り、また、ウカンシンという場所(ばしょ)にもクシヌヵーという(おお)きな井戸(いど)(つく)ったそうです。
 いずれにしても屋富祖(やふそ)(むら)は、沖縄(おきなわ)(もっと)(みず)豊富(ほうふ)(むら)になりましたが、(むかし)(みず)()くて大変(たいへん)だった(こと)が、先祖(せんぞ)から子孫(しそん)(つた)えられ、また、村人(むらびと)は、井戸(いど)(みず)大切(たいせつ)使(つか)いながら、感謝(かんしゃ)してきたそうな。


※この話の参考とした話
高木~「古市の井戸」
柳田~「弘法水」
沖縄本島・沖縄県浦添市屋富祖~『浦添市史』第三巻資料編2 民話・芸能・美術・工芸
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~『儀間の民話』読谷村民話資料5
沖縄本島・沖縄県島尻郡佐敷町津波古~『佐敷町史』


Copyright (C) 横浜のtoshi All Rights Reserved.


●伝承地
高木~「古市の井戸」
柳田~「弘法水」
沖縄本島・沖縄県浦添市屋富祖~ずうっと昔のうちのお爺さんからの伝え話よ。井戸は、カーグワーといっている。この井戸を作らん前はよ、昔は、ここは水がなかったもんだからずっと南の方にエッスのカーグワーに行っていたそうだ。元の所の家で知念という家がありますがね、この知念の家にグセイドウ(御政道)といって、政府から人がいらっしゃったそうです。その知念に、このグセイドウという方々らが、夕方来て夜通しお話をしまして、「もう遅くなっているから、こっちに泊まって明日の朝早く立つから」とここにおやすみになったそうです。この家のお母さんは、朝早く三時ぐらいに起きて、ゆっくりゆっくり水汲みに行きよったって。この人がこれを見て、「あんた方が一番困っているのは何ですか」と問うたそうです。そしたら、「水には困っています」といったって。「こっちには井戸が、泉が不足だね」といって、この人は杖をついたお爺さんだったそうですが、知念の家の近くのここに来て下の方に杖を一本立てたら水がぽんと出たのがここのカー(井戸)の始まりだよって聞いたね。その人は、びっくりして、この人は神様なのかも知れんと思って、どこに行かれるかねえと追うて見たら部落の後に行きよったって。そこでも、また一本立てたもんだから後のカーグワー、あっちもぴんぴん水が湧き出たから、この時からこの部落は水がとても豊富になったって。これは、部落の四方には井戸を作るものだと思って、これからまた後で部落が大きくなってからも、ずっと下の方にミィーガーグワーというところも掘って、また後にはウカンシンっていうところに、クシヌヵーってあるでしょ、あの大きな井戸も後で作ったって。もうこれからは屋富祖は、一番水の豊富な所になったって。(『浦添市史』第三巻資料編2 民話・芸能・美術・工芸)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~今帰仁王子が戦にまけた時、兄弟だけが残された。城に居られなくなったので、逃げる途中、兄は水を欲しがった。舟から下りた妹が、五歩程歩くと、最初に踏んだ所から水が湧き出した。(『儀間の民話』読谷村民話資料5)
沖縄本島・沖縄県島尻郡佐敷町津波古~多和田井戸の側を通りかかった旅人が、そこで水汲みをしているお婆さんに、水を下さいとお願いした。お婆さんの親切な心づかいに喜んだ旅人は、村で困っていることはないですかと尋ねた。お婆さんは二度のウマチーと夕立ちは大変ですと答えた。それ以来、津波古では、六月の稲の祭りを行わなくなった。そして、夕立ちも降らなくなったということだ。(『佐敷町史』)


同じカテゴリー(琉球沖縄の伝説・沖縄本島編)の記事

コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

※TI-DAのURLを記入していただくと、ブログのプロフィール画像が出ます。もしよろしければ、ご利用下さい。(詳細はこの下線部クリックして「コメ★プロ!」をご覧下さい。)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
琉球沖縄の伝説・沖縄本島編」 新着20件  → 目次(サイトマップ)       設置方法