みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第146話。
この
むかし
ところがどうしたことか、
なお
それから
それ
その
※この話の参考とした話
①柳田~「夜泣石」
②奄美・鹿児島県大島郡喜界町中里~『喜界島古今物語』
Copyright (C) 横浜のtoshi All Rights Reserved.
●伝承地
①柳田~「夜泣石」
②奄美・鹿児島県大島郡喜界町中里~喜界町中里の海岸に「すらぎ」と呼ばれている所がある。此処に、奇麗な清水が湧きでる泉があって、夏時、海水浴を楽しんだ若者達が、冷い淡水で塩気を洗ったり、漁夫が飲料水を汲みに来たりでにぎやかになる場所である。古老は語る。昔、大島は、浦上の付近であった出来事だとか。若い芸人らしい男女が小舟に乗って遊んでいたが、どうした事か、舟は岸を離れて「アレヨ、アレヨ」という間に、潮の流れに、ずるずる押し流されてどうすることも出来なかった。浮きつ、沈みつ、波にゆられて、運命にゆだねる外に道がなかった二人は、小舟の中に身も魂も託して、いつしか「ウト、ウト」としていたが、幾刻(何時間)経ったのであろう?舟が、波にゆられているようでないのに気づき、起き出てみたら、山は見えないけれど、遥かに遠くへひらけた島の、海浜に寄せられているのではないか。命拾いに喜びあった二人は、やがて、上陸して、その島がどこであるかを確かめようとしたが、皆目わからなかった。何と此処が、中里のすらぎであろうとはーー。女は、蜜月の身持ちであった。舟にゆられた勢もあってか、上陸して間もなく産気づき、間もなく玉のような子供が初声あげて生まれ出た。二人は、すらぎの泉水で、赤児の身を清め、前途の祝福を祈ったが、或る日、子供をおんぶしてオムツなど洗濯していると、すらぎの岩が崩れ落ちて、可哀想に、母子はその下敷きになって此の世を果てたという。それ以来、すらぎのほとりでは、夜な夜な赤子の泣き声にまじって、母のあやす「よし、よし」という声が絶えなかったと伝えられている。昭和の今でも(一九六四)時々、夜釣りの漁夫が、この声を耳にした、と噂とりどり。(『喜界島古今物語』)
①柳田~「夜泣石」
②奄美・鹿児島県大島郡喜界町中里~喜界町中里の海岸に「すらぎ」と呼ばれている所がある。此処に、奇麗な清水が湧きでる泉があって、夏時、海水浴を楽しんだ若者達が、冷い淡水で塩気を洗ったり、漁夫が飲料水を汲みに来たりでにぎやかになる場所である。古老は語る。昔、大島は、浦上の付近であった出来事だとか。若い芸人らしい男女が小舟に乗って遊んでいたが、どうした事か、舟は岸を離れて「アレヨ、アレヨ」という間に、潮の流れに、ずるずる押し流されてどうすることも出来なかった。浮きつ、沈みつ、波にゆられて、運命にゆだねる外に道がなかった二人は、小舟の中に身も魂も託して、いつしか「ウト、ウト」としていたが、幾刻(何時間)経ったのであろう?舟が、波にゆられているようでないのに気づき、起き出てみたら、山は見えないけれど、遥かに遠くへひらけた島の、海浜に寄せられているのではないか。命拾いに喜びあった二人は、やがて、上陸して、その島がどこであるかを確かめようとしたが、皆目わからなかった。何と此処が、中里のすらぎであろうとはーー。女は、蜜月の身持ちであった。舟にゆられた勢もあってか、上陸して間もなく産気づき、間もなく玉のような子供が初声あげて生まれ出た。二人は、すらぎの泉水で、赤児の身を清め、前途の祝福を祈ったが、或る日、子供をおんぶしてオムツなど洗濯していると、すらぎの岩が崩れ落ちて、可哀想に、母子はその下敷きになって此の世を果てたという。それ以来、すらぎのほとりでは、夜な夜な赤子の泣き声にまじって、母のあやす「よし、よし」という声が絶えなかったと伝えられている。昭和の今でも(一九六四)時々、夜釣りの漁夫が、この声を耳にした、と噂とりどり。(『喜界島古今物語』)
この記事へのコメント・感想・ゆんたくはじめ、お気軽にお書き下さい。承認後アップされます。
笑い猫さん、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。
きっと、実際にあったままの、お話なんですかねぇ?
首里の赤木の話? 僕、知りません。今度、教えてね~。
お婆ちゃんの思い出と一緒に、
地域の伝説や民話が、思い浮かんでくる、
これぞ沖縄や、地域の民話ならで、デージ素適なことですね。
沖縄のみなさんには、きっとそんな、忘れかけている素適な思い出が、あるんでしょうねぇ。
僕は横浜の港、山下公園で、
よくお婆ちゃんを思い出します。
むかし、外国に売られていった子どもの話「赤い靴」や、
関東大震災、横浜大空襲の時の話を、思い出します。
では。
きっと、実際にあったままの、お話なんですかねぇ?
首里の赤木の話? 僕、知りません。今度、教えてね~。
お婆ちゃんの思い出と一緒に、
地域の伝説や民話が、思い浮かんでくる、
これぞ沖縄や、地域の民話ならで、デージ素適なことですね。
沖縄のみなさんには、きっとそんな、忘れかけている素適な思い出が、あるんでしょうねぇ。
僕は横浜の港、山下公園で、
よくお婆ちゃんを思い出します。
むかし、外国に売られていった子どもの話「赤い靴」や、
関東大震災、横浜大空襲の時の話を、思い出します。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年05月26日 18:12
あまりにも突然で、ちょっと悲しいお話ですね・・・。
誰かを恨めしいとか、その場所に近づくな という話ではなく、
子供の泣き声とそれをあやす母の声。。
母子の気持ちを考えると心が痛みます。
子供の声の民話?といえば、首里の赤木の話がありますね?
昔、祖母ちゃんが
「この赤木を伐ろうとすると、赤ん坊の泣き声がするんだよ」と
散歩道によく言っておりました。
それ以来、大人になってもこの赤木を下だけは
小走りになってしまう小心者デス。。。
誰かを恨めしいとか、その場所に近づくな という話ではなく、
子供の泣き声とそれをあやす母の声。。
母子の気持ちを考えると心が痛みます。
子供の声の民話?といえば、首里の赤木の話がありますね?
昔、祖母ちゃんが
「この赤木を伐ろうとすると、赤ん坊の泣き声がするんだよ」と
散歩道によく言っておりました。
それ以来、大人になってもこの赤木を下だけは
小走りになってしまう小心者デス。。。
Posted by 笑い猫 at 2011年05月26日 00:29
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
「琉球沖縄の伝説・奄美編」 新着20件 → 目次(サイトマップ) 設置方法 |