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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第161話。
※この話の参考とした話
①柳田~「平家谷」
②奄美・鹿児島県大島郡喜界町長嶺~『喜界島の民俗』
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●伝承地
①柳田~「平家谷」
②奄美・鹿児島県大島郡喜界町長嶺~長嶺にはウィニシマ(上島)とサンシマ(下島)があって、周辺はともに水田が開けている。一帯の水田は平家の強力な指導監督によって開かれたという。ここの稲は特に香りがよく美味だったので硫黄が島の御所(ごしょ)ヘ献納したといわれている。平家丘(ムイ)は自然の高台であるが、その裾を掘りくぼめ、出た土は台上に運んで展望台は高くしたといわれている。その際、労働のために強制徴用された島人たちが、着物の裾で土を運んだと語られているが、それはまことしなやかなうそである。自らの手で着物を作るだけの文化を持った島民が、竹の豊富な島で竹ざるや手籠を持たなかったとは考えられないからである。長嶺付近一帯は平家の隠れ里ではなかったかと思われる。一帯の中心地である平家丘は交通上の要点を占めている。七城、小野津、伊実久、伊砂、坂嶺、大朝戸などは俚道によって平家丘につながっていた。
(『喜界島の民俗』)
①柳田~「平家谷」
②奄美・鹿児島県大島郡喜界町長嶺~長嶺にはウィニシマ(上島)とサンシマ(下島)があって、周辺はともに水田が開けている。一帯の水田は平家の強力な指導監督によって開かれたという。ここの稲は特に香りがよく美味だったので硫黄が島の御所(ごしょ)ヘ献納したといわれている。平家丘(ムイ)は自然の高台であるが、その裾を掘りくぼめ、出た土は台上に運んで展望台は高くしたといわれている。その際、労働のために強制徴用された島人たちが、着物の裾で土を運んだと語られているが、それはまことしなやかなうそである。自らの手で着物を作るだけの文化を持った島民が、竹の豊富な島で竹ざるや手籠を持たなかったとは考えられないからである。長嶺付近一帯は平家の隠れ里ではなかったかと思われる。一帯の中心地である平家丘は交通上の要点を占めている。七城、小野津、伊実久、伊砂、坂嶺、大朝戸などは俚道によって平家丘につながっていた。
(『喜界島の民俗』)
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