君南風窟 ~琉球沖縄の伝説

2011年06月22日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(2)琉球沖縄の伝説・沖縄本島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第164話。


君南風窟(ちんべーやや)



 慶良間(けらま)渡嘉敷(とかしき/とぅかしち)(じま)阿波連(あはれん/あふぁり)(そん)では、三(がつ)()になると(いさり)をしに、(かなら)ずハナリへ(わた)ります。
 ハナリは阿波連(あはれん/あふぁり)(むら)(みなみ)(おき)にある小島(こじま)で、ハレリは(はな)れるの意味(いみ)だそうです。ハレリには拝所(はいしょ/うがんじゅ)はありませんが、祈願(きがん)をするための(ほこら)があります。その由来(ゆらい)のお(はなし)です。
 むかし(むかし)離島(りとう)から(そと)への交通手段(こうつうしゅだん)といえば帆船(はんせん)でした。慶良間(けらま)(あた)りの島々(しまじま)へも久米島(くめじま)へも山原船(やんばるせん)渡航(とこう)していました。
 ある(とき)久米島(くめじま)への(ふね)が、順風(じゅんぷう)()かなくなったため、阿波連(あはれん/あふぁり)近海(きんかい)にある、砂地(すなじ)であり透明度(とうめいど)(たか)(ふか)海域(かいいき)ウフシュロージで、(かぜ)()って停泊(ていはく)していたそうです。
 しかしながら運悪(うんわる)停泊(ていはく)はずっと(つづ)いて一向(いこう)久米島(くめじま)への順風(じゅんぷう)()かずに、(ふね)はそこに停泊(ていはく)したまままでした。そのときにやはり女性(じょせい)には(ふね)での生活(せいかつ)(きび)しいという事になって、()っていた祝女(のろ/ぬる/ぬーる)(かぜ)()くまでハナリに()ろされたそうです。そして、祝女(のろ)はハナリの洞窟(どうくつ)()らし(はじ)めました。
 やがて、三(がつ)()になりました。阿波連(あはれん/あふぁり)(そん)祝女(のろ)根神(にーがん)(たち)は、久米島(くめじま/ぐしちゃー)祝女(のろ)がきっと(さび)しい(おも)いをなさっているに(ちが)いないから、ハナリに()って(はげ)まし(たの)しませてあげようと、御馳走(ごちそう)用意(ようい)して出掛(でか)けたのでした。
 それ以前(いぜん)にはハナリに神様(かみさま)はいませんでしたが、この(とき)から阿波連(あはれん/あふぁり)人々(ひとびと)はハナリへ()ってハナリの(かみ)(おが)むようになりました。ちなみに、ハナリの(はま)には、久米島(くめじま/ぐしちゃー)祝女(のろ)()まったと()われる洞窟(どうくつ)(いま)もあります。
 なおこの時の久米島(くめじま/ぐしちゃー)祝女(のろ)君南風加那志(ちんべーがなし)と呼ばれていた(ひと)だそうで、そのため洞窟(どうくつ)には、君南風(ちんべー)(やや)という()がついています。
 この(はなし)は、(むかし)から代々、(だいだい)阿波連(あはれん/あふぁり)祝女(のろ)根神(にーがん)年寄達(としよりたち)から、子孫(しそん)へと、ずっと(かた)()がれてきたそうな。

 
※この話の参考とした話
○沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村字阿波連~渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』


●伝承地
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村字阿波連~阿波連では三月三日になると漁をしに必ずハナリへ渡るよ。あそこには拝所はないが、祈願をするためのほこらがあるんだよ。それはその時代にこうだったんだろう。昔は帆船だよね。ここ慶良間あたりも久米島も山原船で、それで旅をしたよ。久米島の船が順風に遭わなくなったので、ウフシュロージと呼ばれる海域で停泊していた。停泊していても、久米島への順風がないからね。そこに停まったままでいたが、女には船での生活ができないからと、ハナリに降りてね、ハナリの窟で暮らしていた。すると、三月三日になったので、ここの祝女や根神たちが、「あの久米島祝女を寂しがらせてはいけないから、あそこに行こう。ハナリで久米島祝女を励ましてこよう」と言って、勇んで行ったそうだ。そこで一日中、久米島祝女を楽しませようと、三月三日だからね、お重を用意して行ったという話。
 それ以前に、あそこに神さまはいなかったがね、そのときからこのハナリに行くようになったんだ。ハナリの浜には、その人が泊まった所だと言われいている窟がある。久米島祝女は君南風加那志という人だよ。その窟の名も、君南風窟と名がついてるよ。それは昔の祝女や根神をしていた年寄たちが、そんな話だったんだよと言って話を聞かせてくれた。(渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』)
◎参考~君南風加那志~『君南風由来並位階且公事』という文書によると、神代に三人の姉妹の神がおり、姉妹のうち、姉は首里の弁ケ岳に住み、二人の妹は久米島に渡った。そのうちの一人が君南風となり、久米島各地の神女を統治し、もう一人は八重山のオモト岳の神になったとされる。なお、中山軍の陣頭に立った、君南風の力によって、八重山のオヤケ赤蜂軍の征伐が成功したのが1500年のことで、その功績によって、君南風は、尚真王からチョノマの首玉を褒美としてもったとされる。具志川村仲地には、君南風の火の神を祀った君南風殿内がある。元々、琉球王国の神女組織は、国王の姉妹がなる最高神女である聞得大君(ちふぃじん/きこえおおきみ)の下に、三人の大あむしられがいて、その下に各村の祝女を統括する三十三君がいた。君南風は、真壁大あむしられに直属する、その三十三君の一人であった。但し、1667年までに三十三君はほとんどが廃止され、伊平屋のあむがなしに、久米島の君南風、今帰仁のあおりやえだけが残った。なお、加那志は、尊敬の意を表す接尾語で「~様」にあたる。
※君南風~山里克也氏によると、『おもろさうし』における「君南風」の表記は「きみはゑ」「きみはへ」「きみはい」等であり、「鬼のきみはゑ」という表記もあるという。『おもろさうし』では猛々しい立ち振る舞いや、時に鬼(超人的な霊力の意)並みの霊力は人々の信望を集め、それが『おもろさうし』に謡われていると山里氏は指摘する。


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笑い猫さん、こんにちは。

なに?「拝所と祈願するところでは、意味が全くちがってくる?」
ん・・・・・・ムズカシイ・・・・・・。

僕も笑い猫さんに言われるまで、
「そういう違いに疑問を持ったことがない」ので、「違いを初めて」これから考えるバ~ヨ~。

初めて知った? 僕がわからないのに? 笑い猫さんにはかないません。
でも貴女には、心でストレートに感じて受け止める、とっても素適なところがありますね。

冗談ではなくて、笑い猫さんの考え方やセンス、こちらこそデージ勉強になります。
僕は、考えすぎてしまうのがいけない。見習わないとね。

笑い猫さんは知らないと思いますが、あなたの後ろから僕はいつも拝んでます。ウソウソ。
ちなみに僕は頂いたお守り、ヤールーに背負わせて、うーとーとぅさせて頂いてます。ホントです。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2011年06月23日 08:35


こんばんは~。

 拝所と祈願するところでは、意味が全くちがってくるのですね?

 そういう違いに疑問を持ったことがないので、
違いを初めてしりました^^

 トシさんのブログ大変勉強になります。

 下手なコメントですみません。。。(苦笑)
Posted by 笑い猫笑い猫 at 2011年06月23日 00:05


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