ゆいまーるとは?

2012年02月28日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(4)伝説・歴史・雑学・言い伝え等
はいさい、今日拝(ちゅううが)なびら。
質問を受けたので、説明してみます。

前にも書いた気がするのですが、
見つけるより書いた方が早そうなので書きます。

「結・結い=ゆい」は、
元々、農業から起こった言葉とされています。
もちろん異説(いせつ)、つまり、違う説もあります。

意味ですが、田植えや畑仕事、
また、家の屋根の()き替え作業といった際、
たくさんの労働力が必要なわけで、
それを、共同で労働する事を「ゆい()」といいました。
「ゆい」は「もやい」とも、使われる場合がありますが、
正確には最初、
「ゆい」と「もやい」は、微妙に違っていたようです。

「ゆい」
 ~共同体の人々や集落などとは関係なく、
  約束に基づいて一緒に物事を行う。
  そのつどの見返りは求めない場合も多い。

「もやい」
 ~共同体の人々や集落の者達で、
  一緒に物事を行う。
  また、共同体としての財産をさす場合も。

さて、沖縄でも、
琉球時代の古くからすでに、
「ゆい」や「もやい」の習慣があった事は、
確認されています。

「ゆいまーる/いーまーる」という言葉が生まれ、
この場合の「ゆい()」は、
共同とか、一緒に協力して働くという意味で、
「まーる」は、「まわる」からきた「順番」の意味です。

したがって、
「ゆいまーる/いーまーる」は、
相互(そうご)扶助(ふじょ)する行為(こうい)を順番に(おこな)うという意味でした。

そして、いつしか、
「ゆい」と「もやい」二つの言葉の境界(きょうかい)曖昧(あいまい)になり、
また、農業以外の場でも、
広く使われるようになったようです。

特に、「ゆいまーる/いーまーる」で、
個人的に注目している素適な点があります。

琉球沖縄語の「ゆいまーる/いーまーる」の場合、
お互いに助け合う関係を結ぶことを通して、
家族と同じように長い付き合いをしましょうという、
とても素晴らしい意味を含んでいる点です。

お気づきの方も多いと思いますが、
模合(もあい)」は「もやい」からきたと想像できます。
琉球時代には「むえー」と発音し、
寄合(ゆれー/ゆーれー)」ともいわれました。

くれぐれも沖縄で、
「彼と僕は、同じユーレーさ~」と聞いても、
化けて出た訳ではありませんから、驚かないで下さい。
たましぬぎたん(驚く)の場合はすぐ、おばーの魂込(まぶいぐ)みを。

なお、例えば本州の、
無尽講(むじんこう)」、「頼母子講(たのもしこう)」もまた、
地域の互助(ごじょ)のしくみであり、
かつては日本やアジアに、たくさんありました。

互助(ごじょ)は字のごとく、互いに助けあうことです。
あくまでお互いにですから、
一方的なものだったり、相手を騙したり、
人に嘘をついたり、
金儲けとは、性質を異にします。

では。




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笑い猫さん、こんにちは。

「同じユーレー」、爆笑していただけました?
抱きしめて「ありがとう」と涙を流したい気分です。
渾身の力で放ったダジャレ、
やっぱりスベッタかと、凹んでいたところなので。


お菓子の件ですが、
真面目に、きちんとお答えすると、
「ゆい」や「もやい」は、日本の地域地域によって、
全体的には似ているものの、内容が少しずつ異なります。

そもそも親のお手伝いをして、
お菓子をもらったり、お駄賃をもらったり、
お小遣いが貰えるような時代になるのは、
歴史的に浅いと、ある本に書いてありました。

笑い猫さんの場合も、恐らく「もやい」や「ゆい」でいいと思います(笑)。



実は「子供(子ども)」ですが、
近年まで、まったく世界中にいませんでした。
「子供(子ども)」という、考えも言葉も、歴史が浅いのです。

いたのは、「大人」と「小さな大人」。
つまり、労働力がある人が「大人」で、
残りが「小さい労働力の大人」、今の子どもです。

たとえば、
母親が、バケツのような物を持って、遠くへ水を汲みに行けば、
子ども達は、自分の労働力に見合ったバケツを持って、続きました。

または代わりに、幼い兄弟の面倒を見たりという仕事をしました。

社会が大きく変わったのは、イギリスで起こった産業革命。
工業の誕生です。

人間社会に、大きな歯車が、誕生しました。

賃金がもらおうと、
「小さな大人」たちもまた、
「大人」と同じく工業の労働力に、むらがったのです。

しかし、「小さな大人」は、大きな歯車の労働に、ついていかれず、
指や両手や両足を失うのが日常茶飯事、命まで失いました。

1842年の「平均寿命の比較調査」では、
リヴァプールの労働者の平均寿命は、なんと15歳。
五体満足なまま、成人できる「小さな大人」は、なし。

国の未来である「小さな大人」が、そんな状態になって、
国は、国の存亡の危機に気づきます。

その結果、
成人するまでは働かせない目的で、
今でいう「(近代)学校」が発明されました。
同時に、「子供(子ども)」という言葉や考えが発明されました。
ですから「学校」と「子ども」はセットです。

もちろん、そんなに昔の話ではありません。

話がそれてしまいましたが、
先祖から受けつがれてきた、
すてきな言葉や考えは、伝わっていって欲しいものです。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2012年03月04日 19:48


SUZUさんへ。

「ゆいまーる」や「もあい」ですが、
他と同じように、
まず、僕は書物から、琉球や沖縄の色々を学び、
他の書物でまた、様々な角度からそれらを検証します。

そして、実際は、どうなのかを、
今度は自分で沖縄のあちこちにでかけていって、
調べ回ったり、人から話を聞いて、
さらに色々と、確かめるわけです。

今回、SUZUさんに書いて頂いた思い出は、
実は、立派な研究資料の裏付けになる内容で、
価値ある話なんです。

僕が今まで聞いてきた話でも、
きび狩り作業の話だけでなく、
色々な作業を共同で行うことは、
今でも、沖縄や奄美のあちこちで行われ、
それどころか、日本の都会以外で、今でさえ普通のことです。

貴重なお話、ありがとうございます。
感謝。では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2012年03月02日 19:05


こんにちは~。「同じユーレー」に爆笑してしまいました(笑)
「ゆいまーる」、私の好きな言葉のひとつです
↑↑suzu さんのコメントで私も小さい頃を思い出しました。親戚のお手伝い→私はお菓子欲しさで「ゆいまーる」でしたが(笑) お菓子という見返りを求めてるので、ゆいまーるじゃないですね
Posted by 笑い猫 at 2012年02月29日 13:23


としさんこんにちは~
ゆいまーると、モアイは 今でもすっかり 沖縄では、受け継がれています
実家は、私が中学生の 頃まで サトウキビ栽培をしてましたので、この頃
順番に 部落の人たち みんなで きび狩りをしていましたね~「ゆい」
みんなで 助け合って きび狩りをしていました。 動労は 手間賃で支払い することなく 労働でお返しをする。

私は、自分の家の きび狩りの日には、畑に きび狩り作業を している 部落の方たちに おば~が作った サーターアンダギーの オヤツを 届けるのが 楽しみのひとつでした。懐かしぃ~~想い出です
Posted by SUZU at 2012年02月29日 11:24


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