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~琉球沖縄に伝わる民話~

新訳球陽外卷(きゅうようがいかん)遺老(いろうせつでん)』第9話

那覇(なは)起源(きげん)




 (とお)(いにしえ)時代(じだい)より、呉氏(ごし)(いえ)に一つの怪石(かいせき)がありました。
 (かたち)は、野菰(なば)のようであったそうです。
 とうとうそれでこの()名付(なづ)けて奈波(なは)()うようになりました。
 その発音(はつおん)(ひび)きは那覇(なは)とそっくりでありました。
 (のち)()那覇(なは)(あらた)めました。
 しかしながらその(いし)は、(つち)(なか)()まってしまい、(いま)では、()(こと)出来(でき)ません。



 
※注や解説

往古(おうこ)】~(ふる)くは「おうご」とも。往昔(おうせき)往昔(おうじゃく)()()った(むかし)大昔(おおむかし)(はる)(むかし)昔々(むかし)(いにしえ)
呉氏(ごし)】~()(せい)我那覇(がなは)のこと。太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)まで那覇(なは)東町(ひがしまち)にあったという。
野菰(なば)】~「菰」は「きのこ」。『由来記(ゆらいき)』は「茸」の()()てる。現在(げんざい)は「野菰」というと野菰(ヤコ)で、『万葉集(まんようしゅう)以来(いらい)「おもいぐさ」の別名(べつめい)である「ナンバンギセル」の生薬名(しょうやくめい)。「那覇(なは)」の以前(いぜん)までの発音(はつおん)は「なーふぁ」など。「那覇(なは)語源(ごげん)」には諸説(しょせつ)がある。「沖合(おきあい)魚場(ぎょば)/漁場(ぎょば)」の意味(いみ)の「なは(なわ)」からきた「なば/なふぁ」が有力(ゆうりょく)(せつ)。ほかに、(むかし)から那覇(なは)(うみ)には、(した)部分(ぶぶん)(しお)(けず)()られて(きのこ)のような(かたち)になった「なーば(いし)」があり、その()起源(きげん)であるとする(せつ)もある。そしてこの(はなし)もまた起源(きげん)として(むかし)から(つた)わっている。18世紀(せいき)首里(しゅり)王府(おうふ)編纂(へんさん)した『琉球国(りゅうきゅうこく)由来記(ゆらいき)』の「(まき)八・那覇(なは)由来記(ゆらいき)」には、浮島(うきしま)西(にし)()む「呉姓我那覇(ごせい・がなふわ)」という(ひと)自宅(じたく)奇石(きせき)があり、その(かたち)が「野菰(なーば・茸)」に()ていることから、「なは」という言葉(ことば)出来(でき)たとある。「我那覇(がなふわ)」の(なば)、つまり「我那覇(がなふわ)()奇石(きせき)(なば)(かたち)()ていて、発音(はつおん)()ている「我那覇(がなふわ)」の「那覇(なふわ)」の()があてられたと個人的(こじんてき)解釈(かいしゃく)している。
【この()】~ナバのある()。すなわちこの()中心(ちゅうしん)(ひと)(あつ)まり、やがて(むら)形成(けいせい)した。そして「なば」を「なは」としたとある。
【原文】自往古時呉氏宅有一怪石形如野菰(俗曰奈波)遂稱此地曰奈波其聲韻與那覇相似後亦改字那覇然其石沈沒土中今不得見焉


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