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~琉球沖縄に伝わる民話~

新訳球陽外卷(きゅうようがいかん)遺老(いろうせつでん)』第17話

八貫奴(はっくゎんびょう)




 (とお)(むかし)時代(じだい)男女(だんじょ)二人(ふたり)がいて、自分達(じぶんたち)()()ろうとして、しばらく夷堂(えびすどう)石囲(いしがこ)いにもたれ()かってじっと()っていました。
 たまたま(おとこ)()使(つか)いを()(ひと)出逢(であ)って、お(かね)契約(けいやく)をし、その(ひと)銭八貫(ぜにはっかん)(あた)えて二人(ふたり)()れて()きました。
 しかしながらその下人(げにん)(たち)は、(ひど)役立(やくた)たずであったそうです。
 これより(のち)(ぞく)役立(やくた)たずの下人(げにん)無能(むのう)(もの)()ぶのに、みな八貫奴(はっくゎんびょう)()うようになりました。



 
※注や解説

往昔(おうせき)】~()()った(むかし)大昔(おおむかし)往古(おうこ)昔々(むかしむかし)(はる)(むかし)(いにしえ)
夷堂(えびすどう)】~「えびすどう」。これは親見世前(おやみせまえ)夷堂(えびすどう)()す。那覇(なは/なーふぁ)には、戦前(せんぜん)まで二つの夷堂(えびすどう)があったという。『那覇由来記(なはゆらいき)』にはこうある。「里ノ中、売買()場ニ、(その)殿(でん)立給フ(たちたもう)」と。十六世紀(せいき)(はじ)め、日秀上人(にっしゅうしょうにん)建立(こんりゅう)したとも。(どう)(なか)には、()竿(ざお)()って(たい)(かか)えた恵比須(えびす)さまと、米俵(こめだわら)()った大黒(だいこく)さまの()安置(あんち)されていたという。かつては旧一〇月二〇日には(おお)きな(さかな)(そな)えられ、祭祀(さいし)()(おこな)われた。なお、それとは(べつ)に、那覇(なは)(こう)対岸(たいがん)の、(のち)那覇(なは)()編入(へんにゅう)される小禄(おろく/うるく)(そん)垣ノ花(かきのはな)地区(ちく)に、漁業神(ぎょぎょうしん)として恵比須(えびす)さまの分霊(ぶんれい)舟揚場(ふねあげば/ふなあげば)のお(どう)(まつ)られていたという。
()つ】~「站」は、じっと()つこと。
奴僕(どぼく/ぬぼく)】~(おとこ)()使(つか)い。下男(げなん)雑役(ざつえき)使(つか)われる(おとこ)。しもべ。やっこ。「奴僕」は方言(ほうげん)で「ヌザ」「ニージャ」
銭価(せんか)】~(ぜに)価格(かかく)(ぜに)(ぎん)換算(かんさん)したもの。
約定(やくじょう)】~約束(やくそく)して()めること。()()めを()わすこと。契約(けいやく)。「やくてい」は誤読。
帯去(たいきょ)す】~()()びて()()る。()っていく。
(しか)れども】~しかしながら。そうだけれども。
不幹(ふかん)】~出来(でき)(わる)(もの)出来損(できそこ)ない。ぐうたら。能幹(のうかん)反対(はんたい)
【原文】~往昔之世有男女二人要賣其身暫倚夷堂石圍而站焉偶逢買奴僕之人約定價錢即與錢八貫而帶去然其奴僕甚不幹自此之後俗叫奴僕不能者皆云八貫奴


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