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~琉球沖縄に伝わる民話~

新訳球陽外卷(きゅうようがいかん)遺老(いろうせつでん)』第42話

(かみ)になった大屋子(おおやこ)




 (むかし)南風原(はえばる/ふぇーばる・)間切(まぎり・)宮平(かみやひら/みゃーでーら/なーでーら・)(そん)に、善繩大屋子(よくつな・おおやこ/うふやこ/うふやくう/うふやくぅ/うぷやぐ)という(もの)がおりました。
 ()()(むら)(そと)判断(はんだん)して(さだ)め、住居(じゅうきょ)のためにたくさん土地(とち)()(ひら)いてそこに()みました。
 いつも(りょう)をしてそれを生活(せいかつ)のための仕事(しごと)としていました
 ある()のこと、西原(にしはら/にしばる)我謝(がじゃ/がーじゃ)にあった浜辺(はまべ)()き、(たけ)()んで(さく)(つく)り、それで(しお)(なが)れを()()って(さかな)(つか)まえていました。
 ある(とき・)(きゅう)一匹(いっぴき)大海亀(おおうみがめ)海中(かいちゅう)より()()ねるようにして(いきお)いよく()てくるのを()ました。
 すると()もなく、一人(ひとり)(おんな)(うみ)にいて(おどろ)いたことに大亀(おおがめ)()()りをやってのけたのでした。
 そしてすぐに(おんな)大屋子(おおやこ)()かって()ことには、
 「(わたし)は、あなたにこの大亀(おおがめ)()()げましょう。
 (はや)背負(せお)って自宅(じたく)(もど)りなさい。」と。
 大屋子(おおやこ)はたいそうこの(もう)()(こころ)から(よろこ)んで、()ぐさま(かめ)()()背中(せなか)背負(せお)ってその()()ったのでした。
 (かえ)(みち)のまさに途中(とちゅう)まで()()いた(とき)大亀(おおがめ)大屋子(おおやこ)(くび)にかみつき、とうとう(かめ)のために(きず)()って、大屋子(おおやこ)気絶(きぜつ)して()んでしまいました。
 村人(むらびと)はこれを(あわ)れんで、まさに埋葬(まいそう)(こころ)()くしたのでした。
 三日後(みっかご)に、家族(かぞく)世間(せけん)一般(いっぱん)(なら)わしに(したが)い、(はか)()ってこれを()ると、(ひつぎ)(なか)大屋子(おおやこ)亡骸(なきがら)()く、ただただ(から)(ひつぎ)(のこ)っているだけです。
 家族(かぞく)がこのことに(おどろ)(いぶか)っている(あいだ)に、もっぱら()いたのが、空中(くうちゅう)から(おお)きな一つの(こえ)があって()ことには、
 「この大屋子(おおやこ)は、()んでここを()ったのではない。
 出掛(でか)けていって儀来河内(ギライカナイ)(あそ)んでいる。」と。
 家族(かぞく)非常(ひじょう)不思議(ふしぎ)がって、(ゆめ)から(はじ)めて()めたかのような、()った(とき)()めるのに()ているような体験(たいけん)をしたのでした。
 そしてたちまちススキ・マーニ・クバが、ことごとく大屋子(おおやこ)以前(いぜん)まで()んでいた(いえ)()えてきました。
 こういう(わけ)わけで後世(こうせい)(ひと)は、(かみ)(とうと)(しん)じて(たき)としました
神名(しんめい/じんみょう)嘉美司嘉美淵威部(カミツカサカミフチイベ)



 
※注や解説

南風原(はえばる/ふぇーばる・)間切(まぎり・)宮平(みやひら/みゃーでーら/なーでーら・)(そん)】~「南風原(はえばる)」の以前(いぜん)発音(はつおん)は、「ふぇーばる」など。「宮平(みやひら)」の以前(いぜん)発音(はつおん)は、「みゃーでーら/なーでーら」など。
善繩(よくつな)】~「ヨクツナ」。人名(じんめい)
大屋子(おおやこ/うふやこ/うふやくう/うふやくぅ/うぷやぐ)】~琉球國(りゅうきゅうこく/るーちゅーくく)制度(せいど)の、中央(ちゅうおう)官人(かんじん)に、元々(もともと)「大屋子もい(「もい」は接尾(せつび)美称(びしょう))」があり、領有(りょうゆう)する間切(まぎり)やシマの()をとって(しょう)した。やがて「大屋子もい」に「親雲上(ぺーちん)」の()()てられるようになる。地方(ちほう)制度(せいど)としては、古琉球(こりゅうきゅう)沖縄(おきなわ)本島(ほんとう)には二十七の間切(まぎり)存在(そんざい)し、間切(まぎり)行政(ぎょうせい)担当(たんとう)する官人(かんじん)職名(しょくめい)は「首里(しゅり/しゅい/すい)大屋子」で、(たと)えば今帰仁(なきじん)場合(ばあい)は「今帰仁首里大屋子」となる。(したが)って間切(まぎり)構成(こうせい)するシマには、(じゅん)に、「大屋子」、「与人(ゆんちゅ)」、「(おきて)」、「目差(めざし)(など)がいるものの、「首里大屋子」と「大屋子」は同格(どうかく)で、いうなれば地元(じもと)有力者(ゆうりょくしゃ)(たち)であった。
邑外(そんがい)】~(むら)(そと)。「邑」=「村」。
(ぼく)する】~(うらな)う。(うらな)って(さだ)める。判断(はんだん)して(さだ)める。
家宅(かたく)】~住居(じゅうきょ)住宅(じゅうたく)(いえ)
(ひら)きて】~()(ひら)く。 左右(さゆう)()(ひら)く。
栖居(せいきょ)】~()む。「栖」も「居」も()む、の()
(なり/ぎょう)】~生活(せいかつ)のための仕事(しごと)生業(なりわい)
一日(いちじつ/ひとひ/いちにち)】~ある()先日(せんじつ)、の()
西原(にしはら/にしばる・)(ぐん・)我謝(がじゃ/がーじゃ)】~西原(にしはら/にしばる・)間切(まぎり・)我謝(がじゃ/がーじゃ)(そん)
海浜(かいひん)】~海岸(かいがん)浜辺(はまべ)海辺(うみべ)(うみ)への昇降口(しょうこうぐち)、つまり出入(でい)(ぐち)を「とぅぶり」などという。
()き】~「往」=「行」。「いく」という発音(はつおん)古語(こご)の「ゆく」がイ音便化(おんびんか)したもの。
(さく)】~『由来記(ゆらいき)』には、「(うを)()ルカキアリ。(みぎ)カキ見廻(みまわ)」とあり、「(さく)」は常置(じょうち)されたものであることがわかる。
(つく)る】~(つく)る、に(おな)じ。
忽/便/倏(たちま)ち】~非常(ひじょう)(みじか)時間内(じかんない)動作(どうさ)(おこな)われるさま。()ぐ。即刻(そっこく)(またた)()。あっという()(にわか)に。(きゅう)に。(すみ)やかに。(おお)くが「たちまちに」の(かたち)で)(げん)に。(たし)かに。まさに。ただ(いま)。「()()ち」の()から派生(はせい)した()
(いち)】~一匹(いっぴき)一頭(いっぴき)。小学館『数え方の辞典』には、カメの数え方は「匹」で、大形種(おおがたしゅ)希少種(きしょうしゅ)のものになると「頭」でも(かぞ)えるとあり、(ひき)にしました。
(おど)()づる】~()()ねるようにして(いきお)いよく()てくる。(おお)きく浮上(ふじょう)する。姿(すがた)(あらわ)す。
頃間(けいかん)】~()もない(ころ)()もなく。
出来(でき)す】~やってのける。なしとげる。
負ひて(おいて)】~背中(せなか)(かた)にのせる。背負(せお)う。
(まわ)る】~(うご)く、移動(いどう)するの()
喜悦(きえつ)】~(こころ)から(よろこ)ぶこと。(おお)きな(よろこ)び。
()り】~「把」は」「取」に(おな)じ。
半途(はんと)】~()(みち)途中(とちゅう)行程(こうてい)(なか)ば。中途(ちゅうと)
咬傷(こうしょう)】~かみ(きず)。かまれた(きず)。「咬」は」「噛」に(おな)じ。
(つい)に】~「(つい)に」「(つい)に」とも。ついに。とうとう。しまいに。結局(けっきょく)最後(さいご)に。()わりに。また(「(つい)ぞ」に(おな)じで)(いま)までに一度(いちど)も。(いま)(かつ)て。
(がい)す】~(きず)つける。(そこ)なう。(さまた)げる。殺害(さつがい)する。(ころ)す。
既/已(すで)に】~以前(いぜん)に。(まえ)に。もはや。とっくに。どう()ても。(げん)に。すっかり。まったく。もう(すこ)しで。(いま)にも。「既/已(すんで)に」の場合(ばあい)は、もう(すこ)しで、ある(この)ましくない事態(じたい)になりそうなさま。すんでのこと。すんでのところ。
(いた)す】~「する」の謙譲語(けんじょうご)丁寧語(ていねいご)尊大(そんだい)()(かた)(とど)くようにする。(その(こと)(もと)でよくない結果(けっか)を)()()こす。(ある状態(じょうたい)()ち)(いた)らせる。全力(ぜんりょく)(こと)(おこな)う。(こころ)()くす。(いのち)()()す。()(ささ)げる。
後三日(のちみっか)】~三日後(みっかご)
家人(かじん)】~(いえ)(ひと)家族(かぞく)
俗習(ぞくしゅう)】~ 世間(せけん)一般(いっぱん)(なら)わし。世俗(せぞく)習慣(しゅうかん)
(したが)ひ】~()まりに(したが/rt>)う。よる。あちこちとめぐる。
棺中(かんちゅう)】~「棺」は遺骸(いがい)(おさ)める(ひつぎ)のこと。
屍骸(しがい)】~死体(したい)亡骸(なきがら)(しかばね)遺体(いたい)
(あま)す】~(あま)るようにする。(のこ)す。
驚疑(きょうぎ)】~(おどろ)(いぶか)る。
只只(ただただ)】~「ただ」を(つよ)めていう()。ひたすら。(もっぱ)ら。
一声(いっせい)】~(おお)きい一つの(こえ)(おと)
()の】~ (男性(だんせい)三人称(さんにんしょう))(かれ)。あの(ひと)。 この(ひと)
儀来河内(ぎらいかない)】~「ギライカナイ」。また「ニライカナイ」ともいう。(うみ)彼方(かなた)(かみ)(くに)()琉球(りゅうきゅう)神道(しんとう)において、浄土(じょうど)としている、(うみ)彼方(かなた)楽土(らくど)(心配(しんぱい)苦労(くろう)なく(たの)しい生活(せいかつ)ができる場所(ばしょ)楽園(らくえん))現在(げんざい)でも沖縄(おきなわ)奄美(あまみ)各地(かくち)(つた)わる他界(たかい)概念(がいねん)((かんが)(かた)物事(ものごと)全体(ぜんたい)意味内容(いみないよう))の一つ。理想郷(りそうきょう)一部(いちぶ)(のぞ)いて、(はる)(とお)(ひがし)(辰巳(たつみ)方角(ほうがく))(うみ)彼方(かなた)、または、(うみ)(そこ)や、()(そこ)にあるとされる異界(いかい)。また豊穣(ほうじょう)生命(せいめい)(みなもと)とされる神界(しんかい)(とし)(はじ)めには、ここから(かみ)がやって()豊穣(ほうじょう)をもたらし、年末(ねんまつ)(かえ)るとされた。また、(ひと)(まぶい/たましい)もここからやって()肉体(にくたい)宿(やど)り、()ぬと(まぶい/たましい)はここに(かえ)ると(かんが)えらた。(とく)琉球國(りゅうきゅうこく/るーちゅーくく)時代(時代)に、(ひと)死後(しご)七代(ななだい)()つと、その(まぶい/たましい)子孫(しそん)守護神(しゅごしん)()わるという考えが定着(ていちゃく)し、祖先崇拝(そせんすうはい)琉球國(りゅうきゅうこく/るーちゅーくく)全体(ぜんたい)(ふか)根付(ねづ)いた。「後生(ぐそー)(あの世)」である儀来河内(ぎらいかない)は、祖霊(それい)守護神(しゅごしん)へと()まれ()わる祖霊神(それいしん)誕生(たんじょう)()でもある。民俗学(みんぞくがく)二大(にだい)巨頭(きょとう)柳田國男(やなぎだくにお)()は、日本(にほん)神話(しんわ)の「()(くに)」と同一(どういつ)とし、さらに折口信夫(おりぐちしのぶ)は、琉球(りゅうきゅう)他界(たかい)概念(がいねん)として、守護(しゅご)する神々(かみがみ)神界(しんかい)としてのオボツカグラを想定(そうてい)し、ギライカナイを水平(すいへい)の、オボツカグラを垂直(すいちょく)他界(たかい)とし、水平(すいへい)表象(ひょうしょう)垂直(すいちょく)表象(ひょうしょう)考察(こうさつ)した。
(かい)】~不思議(ふしぎ)な。(あや)しむ。
薄茅(すすき/ススキ)】~(すすき)植物(しょくぶつ)()沖縄(おきなわ)ではススキを「グシチ」とか「ゲーン」などという。イネ()多年草(たねんそう)沖縄(おきなわ)では神事(しんじ)魔除(まよ)けなどに利用(りよう)されてきた。
真根(マーニ/まーに)】~クロツグ。植物(しょくぶつ)()沖縄(おきなわ)ではクロツグを「マーニ」「マーニン」「マニ」「アイググシチ」などという。吐噶喇列島(トカラれっとう)以南(いなん)奄美(あまみ)沖縄(おきなわ)列島(れっとう)分布(ぶんぷ)するヤシ()常緑(じょうりょく)低木(ていぼく)。ヤシ()(なか)でも(とく)()(おお)きく細長(ほそなが)いのが特徴(とくちょう)(みき)(くろ)いのは(ふる)()繊維(せんい)がほぐれて(から)()いたもの。
故葉(くば/クバ)】~クロツグ。植物(しょくぶつ)()蒲葵(ビロウ)沖縄(おきなわ)ではクバという。クバは「コバ」「クバ」「クファ」「フバ」「ヂークバ」などともいう。「クファ(固い)(葉)」が()まって「クバ」になったとされ、(おお)きく(つよ)いクバの()は「クバ(がさ)」や「クバオージ(おうぎ)」の材料(ざいりょう)として(むかし)から利用(りよう)されてきた。クバは(ふる)くから(かみ)宿(やど)神木(しんぼく)とされた。
旧宅(きゅうたく)】~以前(いぜん)()んでいた(いえ)
(これ)れに()りて】~「()れに()りて」とも。漢文(かんぶん)訓読語(くんどくご)接続詞的(せつぞくしてき)(もち)いる。このことによって。こういう(わけ)わけだから。こういう理由(わけ)で。
後人(こうじん)】~(のち)(ひと)後世(こうせい)(ひと)
(たき)】~「ヨクツナノ(たき)善縄御嶽(よこちなうたき)/善縄(よこつな)御嶽(うたき)」。現在(げんざい)のものは、一九四九年に宮平(みやひら)御嶽(うたき)拝所(うがんじゅ)箇所(かしょ)井戸(カー)箇所(かしょ)神々(かみがみ)をまとめて合祀(ごうし)したもの。また御嶽(うたき)がある小高(こだか)(おか)は、ウガンモーと()ばれる。御嶽(うたき)裏手(うらて)善繩(よくつな)()(はか)があり、またここに屋敷(やしき)があったとされている。
嘉美司嘉美淵威部(かみつかさかみふちいべ))】~神名(しんめい/じんみょう)。「カミツカサカミフチイベ」「カメツカサカメフチ御イベ」。
【原文】~昔南風原閒切宮平村有善繩大屋子者卜地于邑外大闢家宅而栖居焉常以漁爲業一日往西原郡我謝海濱編竹爲柵絶流捕魚時忽見一大龜從海中躍出頃閒有一女亦出來乃向大屋子曰我賜汝此大龜也早負而回家大屋子大喜悦之即把龜負背而去行至半途大龜咬傷其首遂爲龜所害氣絶而死焉村人哀之已致埋葬後三日家人皆循俗習往墓視之棺中已無屍骸唯餘空棺耳家人驚疑之閒只聞空中有一聲曰他大屋子非死而去也往遊儀來河内也家人大怪如夢初覺似醉方醒忽有薄茅眞根胡葉盡生于其舊宅由是後人尊信爲嶽(神名嘉美司嘉美淵威部)


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