三山統一前の「沖縄」

2017年10月06日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:00│Comments(2)伝説・歴史・雑学・言い伝え等
三山(さんざん)統一より前の「琉球沖縄」


ご訪問、ありがとうございます。

三山統一より前の琉球の起源を知りたいのですが、というメッセージが届きましたので、自分なりにまとめて書いてみたいと思います。



三山統一以前は、一般的に「古代沖縄世(ユー)」などと呼ばれ、時代順には、次の123三山鼎立(ていりつ))の時代に分類されています(三山が統一されて琉球國が誕生し、明治まで続いたというのが定説となっています)


1、瞬天王統(おうとう)時代
(①瞬天(しゅんてん)、②瞬馬順煕(しゅんばじゅんき)、③義本(ぎほん)

2、英祖王統時代
(①英祖(えいそ)、②大成(たいせい)、③英慈(えいじ)、④玉城(たまぐすく)、⑤西威(せいい)

3、察度王統時代
(①察度(さっと)、②武寧(ぶねい)



続いて、三山時代に入ります。



そして、三山時代最後に、尚巴志(しょうはし)が、南山の東側(おさ)め、琉球の歴史は統一国家への道を歩み始めます。
(島添大里〜知念あたりまでの東海岸一帯)

尚巴志(しょうはし)は以下のように次々と攻略。

先ず、1405年に、中山王の武寧を攻撃して、察度(さっと)王朝を攻略。
(〜察度王統は上記の3。尚巴志の統一王統は以降、中山王を名乗ってゆく。)

1416年、北山王の攀安知(はんあち)を攻撃して、怕尼芝(はにし)王統を攻略。


〜怕尼芝王統
(①怕尼芝(はにし)、②(みん)、③攀安知(はんあち)

1429年に、残る南山の大里王統の、
他魯毎王を滅ぼして、琉球國を建国。

(大里〜島尻大里/今の糸満を中心に沖縄県島尻郡南部を統治/ 南山城=島尻大里城=高嶺城)

大里王統
(①承察度(しょうさっと)、②汪英紫(おうえいし)、③汪応祖(おうおうそ)、④達勃期(たふち)、⑤他魯毎(たろみい)




以上が、琉球國による統一国家以前の、一般的な琉球沖縄の歴史です。

専門的には、諸説、色々ありますが、まずこれが基本的理解の出発ではないでしょうか。

もちろん、第二尚氏王統になってからの、琉球國の歴史として作られた内容であり、第二尚氏王統向きの歴史であり神話的要素も強いので、そのまま全てを事実として鵜呑(うの)みにする事は出来ません。それだけに、まだまだ研究する余地がたくさん残されています。

なお、南山の大里王統は、途中から大きく島尻大里城と島添大里城の二つに別れていましたが、複雑なのでここでは略しました。


(みん)洪武(こうぶ)(1372)年、三山(さんざん)、つまり、沖縄本島の三つの国とその地域は、それぞれが独立した国として明国(みんこく)から(みと)められるようになり、それぞれの按司(あじ)()(ぬし)は、(おう)を名乗ることになります。
そもそも、(みん)(げん)を滅ぼして1358年に建国し、琉球、占城(チャンパ)(インドシナ半島の東部の国)、ジャワ初めとする諸国に対して、洪武帝(こうぶてい)帝位(ていい)()いた(みことのり)を発し、同時に傘下(さんか)に入る冊封国(さっぽうこく)になる)ように(うなが)す使者を送りました(※これを招撫(しょうぶ)という)
また、(みん)皇帝(こうてい)洪武(こうぶ)太祖(たいそ)とも。本名(ほんみょう)朱元璋(しゅげんしょう)により、それまでの「瑠求(りゅうきゅう)」という表記は「琉球(りゅうきゅう)」に改められたとも伝わっています。
明史(みんし)』によると、例えば察度(さっと)は、これ以後、「琉球國中山王」と呼ばれるようになる、とあります(※洪武(こうぶ)(1372)年の招撫(しょうぶ)は、中山王の察度のみ。『中山世鑑』には、山南王承察度(うふさと)、山北王怕尼芝(はにし/はにじ)入貢(にゅうこう)したとあるがそれは(あやま)りで、もう少し後のこと。承察度(うふさと)洪武(こうぶ)13(1380)年、怕尼芝(はにし/はにじ)洪武(こうぶ)16(1383)年に入貢)




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Bowさん。 FBと違って、こちらはフリガナ付きにしてみました。
参考になれば幸いです。

もちろん、浦添(うらしー)の歴史は古く、
13世紀ごろに登場した英祖王統の中心地として栄え、
続く14世紀末までの察度王統もまた、中山国の中心地でした。

舜天王統の支配が、
沖縄諸島にわたったかは疑問視されていて、
巨大な浦添城を中心に、沖縄本島の多くの按司ら豪族を従える、
按司主だったとされています。

それから、
舜天は実在したようで、それ以前は、
琉球国正史『中山世鑑』によると、
沖縄本島に、天帝の遣いとして下ってきた神である、
アマミキヨの子にはじまる天孫氏王統が25代続き、
この後、臣下によって天孫氏が滅ぼされて、
国が乱れていた時きに善政を敷いて、
天下を統一したのが、
浦添の按司の舜天とされています。

この辺の話は、まさに神話っぽいです。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2014年04月30日 22:26


ありがとうございます。
浦添出身なので三山統一前の舜天~浦添世に興味があるんです。
舜天などの生い立ちなどにも・・・
Posted by BowBow at 2014年04月29日 19:40


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