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三山統一より前の琉球の起源を知りたいのですが、というメッセージが届きましたので、自分なりにまとめて書いてみたいと思います。
三山統一以前は、一般的に「古代
1、瞬天
(①
2、英祖王統時代
(①
3、察度王統時代
(①
続いて、三山時代に入ります。
そして、三山時代最後に、
(島添大里〜知念あたりまでの東海岸一帯)
先ず、1405年に、中山王の武寧を攻撃して、
(〜察度王統は上記の3。尚巴志の統一王統は以降、中山王を名乗ってゆく。)
1416年、北山王の
〜怕尼芝王統
(①
1429年に、残る南山の大里王統の、
他魯毎王を滅ぼして、琉球國を建国。
(大里〜島尻大里/今の糸満を中心に沖縄県島尻郡南部を統治/ 南山城=島尻大里城=高嶺城)
〜大里王統
(①
以上が、琉球國による統一国家以前の、一般的な琉球沖縄の歴史です。
専門的には、諸説、色々ありますが、まずこれが基本的理解の出発ではないでしょうか。
もちろん、第二尚氏王統になってからの、琉球國の歴史として作られた内容であり、第二尚氏王統向きの歴史であり神話的要素も強いので、そのまま全てを事実として
なお、南山の大里王統は、途中から大きく島尻大里城と島添大里城の二つに別れていましたが、複雑なのでここでは略しました。
※
そもそも、
また、
『
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Bowさん。 FBと違って、こちらはフリガナ付きにしてみました。
参考になれば幸いです。
もちろん、浦添(うらしー)の歴史は古く、
13世紀ごろに登場した英祖王統の中心地として栄え、
続く14世紀末までの察度王統もまた、中山国の中心地でした。
舜天王統の支配が、
沖縄諸島にわたったかは疑問視されていて、
巨大な浦添城を中心に、沖縄本島の多くの按司ら豪族を従える、
按司主だったとされています。
それから、
舜天は実在したようで、それ以前は、
琉球国正史『中山世鑑』によると、
沖縄本島に、天帝の遣いとして下ってきた神である、
アマミキヨの子にはじまる天孫氏王統が25代続き、
この後、臣下によって天孫氏が滅ぼされて、
国が乱れていた時きに善政を敷いて、
天下を統一したのが、
浦添の按司の舜天とされています。
この辺の話は、まさに神話っぽいです。
参考になれば幸いです。
もちろん、浦添(うらしー)の歴史は古く、
13世紀ごろに登場した英祖王統の中心地として栄え、
続く14世紀末までの察度王統もまた、中山国の中心地でした。
舜天王統の支配が、
沖縄諸島にわたったかは疑問視されていて、
巨大な浦添城を中心に、沖縄本島の多くの按司ら豪族を従える、
按司主だったとされています。
それから、
舜天は実在したようで、それ以前は、
琉球国正史『中山世鑑』によると、
沖縄本島に、天帝の遣いとして下ってきた神である、
アマミキヨの子にはじまる天孫氏王統が25代続き、
この後、臣下によって天孫氏が滅ぼされて、
国が乱れていた時きに善政を敷いて、
天下を統一したのが、
浦添の按司の舜天とされています。
この辺の話は、まさに神話っぽいです。
Posted by 横浜のtoshi at 2014年04月30日 22:26
Posted by Bow at 2014年04月29日 19:40
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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