~廣福 門 (広福門)~
「広福」を「福を広める、福をゆき渡らせる」とする説明よりも、「広福」は「鎮まる」の意の名詞で、「鎮まる」には「長い」という意もある事から、「中山(琉球國)は
屋根は赤瓦で、壁は朱塗りと赤で統一された、全てが木造建築物。他で多く見られる石造りではないのは、首里城ならでは。建物そのものが門の機能をもち、木造建物の中央が門になっている形式は、首里城の城門の特徴。
琉球國時代、役所として機能し、向かって東側は、民事司法関係を取り扱った役所「
門前は、城内でも眺めの良い場所であり、眼前には、安国山(ハンタン山)の緑を映す
広福門を入った内側は、系図座・用物座(※家系図や城内の物品を管理する機関)や、
「首里森御嶽」は、首里城の十あった
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石積みの中の植物は、ガジュマルやクロツグ。
なお、首里城内に首里森御嶽を作ったのではなく、先に首里森御嶽があり、首里城が後から建てられたというのが定説。
※琉球開闢神アマミキヨが創ったとされる「七御嶽」(琉球開闢七御嶽)
「クボー御嶽」(久高島)
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「クバ御嶽」(今帰仁)
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「アマツヅ御嶽」 (南条市玉城)
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※「御嶽」
沖縄本島とその周辺などでは、ウタキ、奄美地方では、オガミ山、沖縄諸島では、
『琉球国由来記』(1713年)の中には御嶽が、首里29、那覇・泊8、島尻297、中頭210、国頭(伊江島含む)143、伊平屋諸島22、鳥島7、粟国諸島9、渡名喜島6、久米島29、慶良間諸島37、宮古諸島29、八重山諸島76、合計902箇所との記述がある。
御嶽に祀られる神は、ほとんどが村建ての始祖、村の功労者などの人格神、集落の守護神などであり、祖先崇拝が基本の琉球独特のものといえる。
※この夏、8月の撮った写真は以下↓
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