てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 新・琉球民話・口碑伝説集 › 琉球の豚肉の食べ初め~新・琉球民話・口碑伝説集第1話

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~琉球沖縄に伝わる民話~

新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第1話


琉球(りゅうきゅう)豚肉(ぶたにく)()(はじ)


 (むかし)むかし、玉城(たまぐすく)間切(まぎり)に、仲村渠大君(なかんだかりおうぎみ)という人物(じんぶつ)がいらっしゃったそうです。
 この方が生きていらっしゃった(ころ)琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)()一般(いっぱん)(もの)たちの多くは、(ひと)()くなると親類縁者(しんるいえんじゃ)(あつ)まり(はま)()て、()くなった(ひと)(いた)んでその人の(にく)()べておりました。近親(きんしん)(もの)たちは真肉(ましし)を、そして血縁(けつえん)(とお)くになるに(したが)って脂肉(あんだじし)(にく)()べていたそうです。その名残(なご)りで、近世(きんせい)まで「真肉親戚(ましし・うえーか)」、「脂肉親戚(ぶとぶとー・うえーか)」という言葉(ことば)(のこ)っていました。
 さて、この風習(ふうしゅう)の事を()らず()()たりにして(ひど)(おどろ)(なげ)いた仲村渠大君(なかんだかりおうぎみ)は、(いま)やアジア屈指(くっし)()だたる貿易国家(ぼうえきこっっか)琉球國(りゅうきゅうこく)で、こんなことがまだ(おこ)われているようではいけないと考えて、(なや)(かんが)()いた(すえ)に、(とう)(くに)免登(みんとん)という場所(ばしょ)出掛(でか)け、(ぶた)琉球國(りゅうきゅうこく)()(かえ)ったのでした。
 そしてそれから、(ひと)()くなった(とき)には人肉(じんにく)()わりに豚肉(ぶたにく)()べるようにと根気強(こんきづよ)奨励(しょうれい)して(まわ)ったため、(ひと)死肉(しにく)()べる地域(ちいき)風習(ふうしゅう)(あらた)められ、琉球國(りゅうきゅうこく)全域から段々(だんだん)にその風習(ふうしゅう)()くなっていったのでした。
 これが、琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)の、豚肉(ぶたにく)()(はじ)めと()(つた)えられています。

 
※注や解説

玉城(たまぐすく)】~玉城の以前の発音は「たまぐすぃく/たまぐしく」など。
真肉(ましし)】~脂身(あぶらみ)()かない肉の事。沖縄方言の一部に、「真肉(ましし)」として、赤肉(あかにく)()す言葉として今に残っている。
脂肉(あんだじし)】~脂身(あぶらみ)が多い肉の事。沖縄方言の一部の、脂肉(あんだじし)という言葉は脂身(あぶらみ)を指し、今も残っている。特に、気候風土の関係もあってか昔から脂身(あぶらみ)の方が好きな人が多いとされ、「脂肉上戸(あんだじしじょーぐー)(など)と使ったりする。
【唐】~中国や朝鮮や韓国などの古称(こしょう)。今の中国を指す。別に、灯。また中国の唐の時代を指す場合も。また、中世以降は広く外国のことも指す。ここでは昔の中国の意。

※琉球の方々の中には、すでにこの話をご存知の方もいらっしゃると思います。あくまで口碑(こうひ)の伝承伝説であり、本当の豚肉の食べ初めかどうかの真偽(しんぎ)はわかりません。なお人は祖先からこの世に生まれ出る存在であり、祖先を敬ってその肉を食べ体内に入れる風習はなにも琉球に限った話ではありません。
 元々、豚は、人間が(いのしし)を改良して、家畜化したとされています。
 なお、この話の内容は学問的に扱うべきで、ネットに掲載すると、学問がない人によってこの内容が興味本位や偏見やふざけ半分で扱われる可能性もあり、いっそのこと、この話は飛ばしてしまおうかと迷いましたが、この話だけを飛ばしてしまうことには非常な違和感があり、先人に対して失礼でもありますから、そのまま載せることにしました。
 ところで学問的かつ個人的な見解としては、長い人類の歴史の中で、事故や飢饉などの状況に置かれて人肉を食べたという例と、この話の内容の場合などとは分けて考えます。
 つまり、葬儀で人を食べる場合なのですから、「社会文化的儀礼や慣習」として扱う内容だと考えます。例えば『与那国の歴史(一九七二年)(池間栄三著)によると、「与那国の葬儀に獣肉料理を喰べる風習は、上代に死人の肉を食べていた風習の名残りだといわれている(p38)」とあります。また「南島古代の葬儀(民族第二巻第五号)」にも、今回、取り上げたこの口碑伝説と同様のことが書かれ、つまり昔から、人が死ぬと親類縁者が集まってその肉を食べる風習は日本各地にあったことがわかっています。
 まさにその一例として、琉球では後世になってこの風習を改めて人肉の替わりに豚肉を食べるようになったというこの話のような伝承があり、今日(こんにち)でも琉球の名残(なご)りある地では、近い親類のことを真肉親類(マシシウヤクワ)と言ったりして、その言葉の中にこの風習が見て取れます。またほかの例としては、石垣島では近年まで、親類に死人の出たことを老人に告げると、「アンスカ・ムム・ファリンサカメ(※それではまた皆で食べられるね)」という言い回しがありました。またほかの例では、宮古島では今もなお「葬儀に行こう」という代わりに「骨を(かじ)りに行こう」という表現が残っているそうです。ちなみに一九五九年ごろの時点での話です。
 日本全体に目を向けると、古代から、明治時代に法で禁止されるまで、アイヌ民族や日本人民族の住む日本各地のあちこちで、やはりこうした慣習や風習が残っていた地域がいくつもありますから、この話の内容は何も琉球に限ったことではないのがわかります。
 個人的には、特に最も大切なことを忘れて、こういった話を扱ってはいけないと考えます。その重要なこととは、長い歴史と文化の中から生まれた慣習や風習である以上、必ずその慣習や風習の中に様々な大切な意味がこめられている点です。食べた、伝説であって実際には食べないなどということより重要なのは、まさにその行為の意味だと考えます。
 琉球では、亡くなるとその人の魂は、例えばニライカナイにゆくと考えていただけではなく、死後七代になるとその人は子孫の守護神になると考えられて来ました(祖先崇拝)。そして、最期にこの世に残った肉体に対する昔の人々の考え方の一端(いったん)を知る上で、こういった民話伝承もまた貴重な存在です。つまり、肉体を、魂が宿る(うつわ)のように考えた古代エジプトのミイラの場合と比較しても、色々な点で考え方に違いが見られます。
 親族や一族で人肉を食べる行為の場合は、トートーメー同様、一族の(きずな)の強さを再認識する意味が強かったからだと個人的には考えます。つまり今の自分が生存するのは、何にもまして先祖のお陰なのであり、その先祖に自分が生かされていることに感謝する意味がこの伝統的風習に含まれているというのが私の考えです。また、もしかすると亡くなった人とその人を(いと)しく思う者との、肉体的な融合(ゆうごう)の意味が強かったのではないとも考えています。人は、両親の肉体からこの世に生まれ()でるのであり、その新たな生命にとって、その根源である先祖の肉を食べて自分の体内に入れる行為(こうい)は、先祖との、肉体的、精神的融合(ゆうごう)や、生存の再確認の意味があるのではないかと私は考えます。
 以上のような個人的で学問的な見解からしても、現代の考えを基準にして先祖の肉を食べるという行為を表面的にしか捉えずに野蛮と考えて完全否定してしまう考え方があるとすれば、それは避けられなければいけない行為です。
 最後に重ねて申し上げておきますが、こういった話を聞いた未熟な子どもなどに話した場合、恐怖におびえたり精神に異常をきたす人が出るかも知れません。また心にダメージを受ける子ども、誤解する子どもが出るかも知れないなど、いずれにしても良くない結果を生む場合がありますから、くれぐれもこの話の取り扱いには、十分、注意して頂きたいと考えます。もちろん、子どもに限ったことではなく、知的水準が低い大人に対しても同じです。
 なお余談(よだん)ですが、沖縄を代表するゴーヤチャンプルーは昔から戦前までずっと豚肉を使用してきました。アメリカに占領された戦後から現在にかけて、日本の本土にはないアメリカ的な食が沖縄本島の都市部を中心にして広がり、豚肉に代わってスパムなどが使われ伝統が失われつつありますが、いうまでもなく長寿の国の食事である先祖から伝わった琉球ならではの食こそ、歴史と伝統に裏打ちされた素晴らしい文化的な食なのであり、先祖からの遺産だと考えます。


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