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~琉球沖縄に伝わる民話~

新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第31話


高平良御鎖(たかでーらうざし)



 むかし、首里に高平良(たかでーら)という、鎖之側(さしぬすば)(くらい)にのぼった、平生(へいぜい)から、とても(おご)り高ぶった人がいました。
 時に、大謝名之比屋(うふじゃなぬひゃー)という正直な人がいて、よく走る立派な名馬を()っていたのを、常々(つねづね)高平良(たかでーら)は欲しがっていました。
 高平良(たかでーら)はその思いを大謝名(うふじゃな)に相談して(ゆず)ってくれるようにと(たの)みましたが、(ことわ)られました。
 すると高平良(たかでーら)は、大謝名(うふじゃな)(やと)(にん)(かね)手懐(てなず)け、(ひそ)かに(どく)()らせて、大謝名(うふじゃな)暗殺(あんさつ)してしまいました。
 大謝名(うふじゃなー)には、二人の子どもがいました。長男は、父の後を()いで謝名之子(じゃなぬしー)、次男は、(そう)になって慶雲(ちーうん)と言いました。
 謝名之子(じゃなぬしー)は、旅芸人(たびげいにん)()(やつ)して、仇討(あだう)ちの機会(きかい)(ねら)いました。
 ある日のことです。兄弟は、(ねら)(かたき)である高平良(たかでーら)邸内(ていない)に、入ることに成功しました。万歳姿(まんざいすがた)芸能(げいのう)披露(ひろう)した後、長年待ち続けていた好機(こうき)(おとず)れました。
 すかさず、
  「父の(かたき)、思い知れ。」と、そう(さけ)びながら兄が()りつけましたが、武道を(たしな)んでいた高平良(たかでーら)に、逆に投げ()ばされてしまいました。しかしその後の、一瞬の(すき)をみて弟の慶雲(ちーうん)が、()()覚悟(かくご)()りつけ、見事(みごと)、兄弟二人は力を合わせ、父の敵討(かたきうち)()たしたのでした。

 
※注や解説

高平良御鎖(たかでーらうざし)】~たかでいらおざし、たかでえらうざし、とも。
鎖之側(さしぬすば)】~外交、及び、那覇久米村の行政担当。
大謝名之比屋(うふじゃなぬひゃー)】~うんじゃなのひゃー、とも。
万歳姿(まんざいすがた/まんざいすぃがた)】~「万歳姿」の「万歳」とは、祝言(しゅうげん)を述べながら村々を歩く物乞(ものご)芸人(げいにん)のこと。(おも)に、首里郊外などにいた賎民(せんみん)で、年の初めなどに家々の門に立ち、祝言(しゅうげん)を唱え、あるいは人形を舞わせ、また葬式の時に念仏鉦(ねんぶつしょう)(たた)いたり、念仏を(とな)えるなどして(ぜに)()ていた者たちといわれている。
※【組踊り(くみうどぅい/くみおどり)】~組踊り(くみうどぅい/くみおどり)は、琉球沖縄に沢山(たくさん)あり、この話は「万歳敵討(まんざいてぃちうち/まんざいてきうち)」としてよく知られる。田里朝直(たさとちょうちょく)の作とされ、「仇討(あだう)敵討(てぃちうち)」の一つ。この話では毒殺(どくさつ)となっているが、組踊りでは闇討(やみう)ちの場合が多い。また組踊りでは、「京太郎(チョンダラー)芸人(げいにん)」に(ふん)して(かたき)()つ。


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