てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 新・琉球民話・口碑伝説集 › 琉球の正月の飾り物の由来~新・琉球民話・口碑伝説集第5話

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~琉球沖縄に伝わる民話~

新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第5話


琉球(りゅうきゅう)正月(しょうがつ)(かざ)(もの)由来(ゆらい)



 むかし、中頭(なかがみ)に、一人の孝子(こうし)がおりました。
 家が、大層(たいそう)(まづ)しかったために身売(みう)りし、昼間は(ほか)の村で働き、夜は自分の食べ物を持って家に(もど)って来ては、父母に孝行(こうこう)()くしていたそうです。
 ある年の大晦日(おおみそか)夜更(よふ)けのことです。(ひつぎ)背負(せお)った、お(じい)さんと出会いました。
 お爺さんに(たず)ねて言うことには、
 「こんな夜更(よふ)けだというのに、一体(いったい)、どうなさったのですか。」と。
 そう、声を()けてみたところ、お爺さんは(ちから)のない声で答えて言うことには、
 「私には、たった一人の身内(みうち)である(まご)がおりました。それが死んでしまったので、これから(ほうむ)りに行くところなのです。
 私は見ての通りの、(ひど)貧乏人(びんぼうにん)です。ですから誰一人、手伝っては(もら)えないのです。」と。
 それを聞いた孝子(こうし)が言うことには、
 「それはそれは、誠にご愁傷(しゅうしょう)さまでございます。それでは私が、ひとつ手を貸して()し上げましょう。」と。
 そう言うと、(ひつぎ)を受け取って(かつ)ぎ、歩き出したのでした。
 しばらく歩いて行って、ふと気付()けば、(なん)と驚いたことに、お爺さんの姿はどこにも見えず、(かげ)も形もありません。
 呆然(ぼうぜん)と立ち(すく)んだ孝子(こうし)は、ただただ途方(とほう)()れるばかりでした。
 やがて仕方(しかた)なく、(ひつぎ)背負(せお)ったまま、両親の家に行きました。
 家に着くなり、早速(さっそく)父母に、経緯(いきさつ)事細(ことこま)かに話しました。
 そして相談の(うえ)、取り()えず(ひつぎ)を開けて見ることにしました。
 すると棺の中には目が(くら)むほどの黄金が、一杯に()まっていたのでした。
 これはきっと神様からの(さず)かり物に違いないと、みんなで涙を流して喜び合いました。その後、親戚(しんせき)(とな)り近所の人々を呼んで、盛大(せいだい)にお(いわ)いの(うたげ)を開き、みんなで楽しく()()いしたそうです。
 さて、金持ちになった孝子(こうし)ですが、その後はますます大金持ちになっていったそうです。
 (なお)、正月の元旦(がんたん)に、蜜柑(みかん)や黄赤白の色紙(いろがみ)で仏檀や(かまど)を琉球で(かざ)(なら)わしは、その孝子(こうし)美談(びだん)から始まったと伝わっています。(また)(ぞく)(ひつぎ)のことを宝物(たからむん)と言うのもまた、この故事(こじ)が始まりだと言い伝えられています。

 
※注や解説

中頭(なかがみ)】~現在の、中頭郡は、むかし「中頭方」といった。
孝子(こうし)】~親によく(つか)える子。親孝行(おやこうこう)な子。



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