てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 新・琉球民話・口碑伝説集 › カシチーの御願~新・琉球民話・口碑伝説集第9話

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~琉球沖縄に伝わる民話~

新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第9話


カシチーの御願(うぐゎん)



 むかし、首里に一人の正直な男がおりました。
 ある夜、(みょう)な夢を見たので、(うら)()(はん)じさせたところ、
 「お前は(かみなり)に打たれて死ぬ運命(うんめい)だ。」と言われました。
 それを聞いた男は大層(たいそう)驚きましたが、他人に迷惑(めいわく)をかけてはいけないと()(さき)に考え、家族に別れを告げると(ひと)人里(ひとざと)(はな)れた山奥(やまおく)に行き、そこで運命(うんめい)の時を待っておりました。
 するとそこに、白髪(はくはつ)老人(ろうじん)がやって来ました。
 老人は、男がこんなにも奥深(おくぶか)い山にいる(わけ)(たず)ねたところ、男はありのままを話しました。それを(だま)って聞き終わると老人が言うことには、
 「(わたくし)は、(じつ)雷神(らいじん)なのである。
 本当のことを言うと、お(まえ)(いのち)(もら)うためにここにやって来たのだ。
 見たところ、お(まえ)正直(しょうじき)な上に(おこな)いが()く、特に他人(たにん)の事までよく考えることが出来(でき)る人間だ。そしてまたお前はこれから先、祖先(そせん)(つみ)(つぐな)う生き方が出来(でき)る人間であり、事実(じじつ)、そう()きなければならない。
 (いのち)(たす)けてやるから、安心(あんしん)するがよい。」と。
 そう言い終わるやいなや、老人は、かき消すようにその場から()なくなったのでした。
 男は感謝(かんしゃ)し、(よろこ)びながらその場を立ち()ろうと歩き出したところ、(たちま)ち耳が()けんばかりの雷鳴(らいめい)(とどろ)き、今まで男がいた場所にある大木(たいぼく)を、()(ぷた)つに引き()いたのでした。
 さて一方(いっぽう)、男の家族はてっきり(かれ)が死んだものと思い、葬式(そうしき)準備(じゅんび)をしていたのでした。そこに突然(とつぜん)、ひょっこり男が帰って来たのを見るなり、驚いて()()りました。そして家族は彼から話を聞き、喜び合いました。そして、()いた御飯(ごはん)に赤い(こな)を入れて赤飯(カシチー)にし、お祝いしたのでした。
 その日は旧暦(きゅうれき)六月二十五日の(こと)で、やがてこの日はカシチーの御願(うぐゎん)の日となり、(ぞく)に「六月カシチー(ルクグヮチカシチー)」と()ばれるようになりました。
 なおこの時期(じき)は、農家にとっては新米(しんまい)収穫(しゅうかく)時期であり、豊年祭(ほうねんさい)大々的(だいだいてき)(もよお)され、綱引(つなひ)(など)余興(よきょう)もあちこちでとり(おこな)われます。

 
※注や解説

【カシチー】~新米(みーめー)糯米(もちごめ)を蒸したのが白カシチー。カシチー・カッチーと呼ばれる強飯(こわめし/ごうはん/おこわ)のこと。旧暦六月二十五日頃、新米(しんまい)収穫(しゅうかく)を祝って作られるのがカシチー(※なお、日取りは一定していない。沖縄本島と周辺離島)。新米の収穫祝いとして「カシチー」が()かれ、火の神(ヒヌカン)や仏壇や神棚などに供えられ、新米の収穫を神や先祖に報告し、感謝した。また、一族はじめとして共食し、豊作と一家の健康を祝い、また親戚にも贈った。「六月カシチー(ルクグヮチカシチー)」は、六月二十五日折目、六月二十五日ウマチー、アミシ、浴みしの御願などとも。一方で、カシチーの日には、村落行事として二四~二六日にかけて夜間に綱引が催される。このカシチー綱の前に、六月十五日(六月ウマチー)にもワラビ綱を引く地域や、カシチーの翌日にアミシー綱を引く地域もある。六月カシチー以外に八月二十五日の八月カシチーの折目もある。
【ウマチー】~麦稲四祭(ウマチー)御祭り(ウマチー)。旧暦二月、三月、五月、六月の十五日を前後に行われる。(おも)に、二月ウマチーは麦の穂祭り、三月ウマチーは麦の収穫祭、五月ウマチー稲や粟の穂祭り、六月ウマチー稲や粟の収穫祭。昔、琉球王府には「麦稲四祭(ウマチー)」という祭儀(さいぎ)があり、歴代の国王は、稲作発祥(いなさくはっしょう)の地とされる沖縄島南部、知念(ちねん)玉城(たまぐすく)の地を巡拝(じゅんぱい)して、五穀(ごこく)の順調な成長を祈った。そして後に王府(おうふ)国中(くにじゅう)稲穂祭(いなほさい)を行わせた。そのため、村々の拝所(うがんじゅ)で、祝女(のろ/ぬる/ぬーる)を中心とした神女(なんちゅ)たちが、稲穂、麦、神酒(みき)(※米や麦を発酵させたもの)、五水(※泡盛)、スネー(※野菜の和え物)といった物をお(そな)えして、神前に向かってオタカベ(※祝詞(のりと)(とな)える、その稲穂祭が、ウマチーという行事の起源とされている。ウマチー行事は、集落の拝所(うがんじゅ)である御嶽(うたき)殿(とぅん)などに、村の祭祀(さいし)(つかさど)祝女(のろ/ぬる/ぬーる)筆頭(ひっとう)にして、神役(かみやく)の人々や、集落の代表、集落内の宗家の代表などが、お神酒(みき)やお供物(くもつ)(そな)えて豊穣祈願(ほうじょうきがん)し、また集落(しゅうらく)繁栄(はんえい)祈願(きがん)する行事であった。またもう一つの意義(いぎ)として、この日に親族(しんぞく)一門(いちもん)宗家(そうけ)(つど)って祖霊(それい)(おが)み、一族の繁栄(はんえい)を祈願した。なお明治時代に入ると、今まで色々な時期であったウマチーが自然に統一(とういつ)され、旧暦二月、三月、五月、六月の十五日をウマチーの日とするようになった。しかしながら一部の地域では、依然(いぜん)として祭祀(さいし)が行われる日は(こと)なった。 かつて農村部の集落単位で行われた重要なウマチー行事(ぎょうじ)は、やがて琉球沖縄の人々にとって、先祖から伝わる()らしのしきたりとして「御願(うぐゎん)」の形で生活に()()んだ行事になった。(ただ)し今でも、昔からのまま集落(しゅうらく)一族(いちぞく)としてのウマチー行事として色濃(いろこ)く残る地域(ちいき)がある。



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