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~琉球沖縄に伝わる民話~

新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第18話


佐久真之殿(さくまのとん)板敷橋(いちゃじちばし)



 東風平間切(こちんだまぎり)東風平村(こちんだそん)に、板敷橋(いちゃじちばし)という橋があります。板敷橋(いちゃじちばし)は、洪水(こうずい)(たび)損壊(そんかい)し、人々は、修補(しゅうほ)にいつも苦しんでいました。
 毛氏座喜味親方盛守の外祖(がいそ)に、國吉爾也(くによしにや)という人物がいて、真和志間切(まわしまぎり)上間(うえま)(そん)住人(じゅうにん)でした。
 彼は洪水(こうずい)で流された橋が、度々(たびたび)修理(しゅうり)されるのを見て、堤橋(つつみばし)(きづ)くべきであると(もう)し出ました。それが聞き()れられて、石を(もと)にした堅固(けんご)防水基(ぼうすいき)(きづ)かれました。
 國吉爾也(くによしにや)は、この功労(こうろう)により、尚眞王(しょうしんおう)から、佐久真(さくま)の地を請地(うけち)として(いた)き、石高(こくだか)十三(ごく)()禄高(ろくだか)(あた)えられました。
 座喜味親方はその地に佐久真之殿(さくまのとん)を造って、稲祭の時には、村の農民から、お神酒(みき)一樽、花米(はなぐみ)九合、御五水(うぐしー)六合、それに親方から、お神酒(みき)一樽を出して、村人達とお祭りをするようになりました。

 
※注や解説

東風平(こちんだ)】~東風平の以前の発音は「くちんだ」など。現在の八重瀬町(やえせちょう)。南風原町、大里村、具志頭村の合併が意見不一致となって、二〇〇四年九月に合併協議会が解散。二〇〇六年一月一日に東風平町(こちんだちょう)具志頭村(ぐしかみそん)合併(がっぺい)して八重瀬町(やえせちょう)となる。
板敷橋(いちゃじちばし)】~板敷橋(いちゃじちばし)とは一日橋(いちにちばし)のことで、一日橋と呼ばれる以前の正しい名。国場川(こくばがわ)()けられた橋跡が、旧一日橋跡(きゅういちにちばしあと)。琉球國時代、この一帯の川は板敷川(いちゃじちがー)と呼ばれ、橋も板敷橋(いちゃじちばし)と呼ばれた。橋は、南風原間切(はえばるまぎり)(※現、南風原町)東風平間切(こちんだまぎり)(※現、八重瀬町(やえせちょう)首里(しゅり)を結ぶ重要な橋で、古くから木橋が架けられていた(※架橋年不明)成化(せいか)年間(1465~87年)東風平村(こちんだそん)(※現、八重瀬町字東風平)国吉(くによし)という者が、洪水のたびに橋が損壊(そんかい)するのを見て、土台に石組の防水基(ぼうすいき)(※潮切(しおきり)を築いて堅固(けんご)な橋としたので、時の国王であった尚眞(しょうしん)(※琉球國第二尚氏王統、第3代国王)より褒賞(ほうしょう)されたという(※『球陽(きゅうよう)』尚真王附条)。しかし、依然(いぜん)として橋は木製であったため、一六八九年、石橋に改修された。石橋の完成を記念して、橋を見下ろす識名(しきな)台地に、「板敷橋記(いたじきばしき)」の碑が建立(こんりゅう)された(※「板敷橋記」は『琉球國碑文記』に所収)一日橋(いちにちばし)の名は、一五一一年、尚眞王の養父(ようふ)花城親方守知(はなぐすくウェーカタしゅち)葬送(そうそう)(さい)し、損壊した橋を一夜二昼の一日で修繕(しゅうぜん)したという伝承(でんしょう)(※『球陽』尚眞王三十五年条)由来(ゆらい)とする説がある一方で、板敷橋(いちゃじちばし)からの音韻(おんいん)転訛(てんか)との説もある。一九四五年(昭和二〇)の沖縄戦当時、一日橋(いちにちばし)の一帯は、首里から南部へ避難(ひなん)する交通の要衝(ようしょう)にあたっていたため、多くの犠牲者を出し、橋も破壊された。終戦直後、米軍により鉄橋が()けられたが、その後、橋より五十mほど上流に架けられていた沖縄県営鉄道(※軽便(ケービン)鉄道)与那原(よなばる)線の鉄橋跡を利用して、那覇と与那原を結ぶ道路(※現国道三二九号)が開通し、一日橋(いちにちばし)として架け()えられた。
【毛氏座喜味親方盛守】~毛氏(もううじ)(※琉球時代、琉球國の士族は氏名(うじめい)、つまり、日本の姓名(せいめい)(=名乗り、大和名(やまとな))以外に必ず中国風の姓名(せいめい)(=唐名(からな/とうみょう))を持っていた(※明治十二年迄)。特に、王族や士族の間で門中は大切だった。琉球王の一族の本家は尚氏、分家は向氏のため、本家の人々は「尚」、分家の人々は「向」、の姓から始まる中国風の「姓」と名前を持った。また、直系・傍系には名乗頭「朝」がついた。琉球には、四大名門門中があり、それは「向氏」「翁氏」「毛氏」「馬氏」の四姓で、琉球王府の要職は全てこの一門で占められていた。なお四姓は全て首里士族出身)。座喜味の読みは、「ざちみ/じゃちみ」など。親方の読みは「うぇーかた」(※琉球國の位階の称号の一つ。王族の下に位置する士族の最高の称号で、国政の要職についた。功績ある士族が賜るもので、親方は必ずしも世襲ではなく、従って親方の子が必ずしも親方になるわけではない。紫冠を戴き、花金茎銀簪を差し、正二品以上は、金簪を差した。)
外祖(がいそ)】~母方の祖父。母の父。外祖父。
國吉爾也(くによしにや)】~國吉は国吉、爾也は仁也の表記もみられる。
真和志間切(まわしまぎり)】~真和志の以前の発音は「まーじ」など。
上間村(うえまそん)】~上間の以前の発音は「うぃーま」など。
防水基(ぼうすいき)】~和船の、水押(みよし)の水中にある部分を、潮切り、水切り、(なみ)切りと呼び、船が前進する時の、水面を切る部位。ここも恐らく、川の水の勢いを断ち切る橋の作りと思われる。
花米(はなぐみ)】~花米とは綺麗(きれい)精製(せいせい)した「(きよ)(まい)」のこと。
御五水(うぐしー/うぐしい/うぐしぃ)】~神前(しんぜん)(そな)える特別な泡盛(あわもり)


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