115淵に浮ぶ幽霊船(ふちにうかぶゆうれいせん)~琉球沖縄の民話

横浜のトシ

2010年08月18日 20:20


~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第115話。


淵に浮ぶ幽霊船
(ふちにうかぶゆうれいせん)


 与那城のある海の中には、恐ろしく深い淵(ふち)が一つあり、そこは海中が渦巻(うずま)き、底の深さを覗(のぞ)き込(こ)むと目眩(めまい)がするほど、薄気味悪(うすきみわる)いということです。そんなですから、そこを舟で渡って通る人々は、何時(いつ)も戦々恐々(せんせんきょうきょう)として、生きた心地(ここち)がしません。
 この恐ろしい淵の左右には、御嶽(うたき)があり、また御嶽の周辺には畑があります。そのため、安勢理、饒辺、屋慶名三村の百姓(はるさー・ひゃくしょう)達は、舟でそこまで渡って田畑を耕(たがや)し、あるいは、薪(まき)を取るので、殆(ほとん)ど毎日、其(そ)の淵を渡らなければなりません。
 尚(なお)、そこを渡る時の掟(おきて)というものが、昔からあります。
 もしも、その掟を守らない者が一人でも出ると、海の波が忽(たちま)ち高くなって大波が立ち、舟を進めることが出来なくなります。そんなことが幾度(いくど)となく繰(く)り返されて来たため、淵を渡る時の掟が自然に出来て、今まで守られてきました。
 その掟というのは、淵を通る際(さい)には、被(かぶ)っている頭布(ずきん)を外(はず)し、襟(えり)を正(ただ)し、跪(ひざまず)いて、一言(ひとこと)も口をきかないというものです。
 ところで不思議なことがあります。
 淵(ふち)の両方の御嶽の頂(いただ)きから、光が輝(かが)やいて、天に上がることもあれば、逆に光が天から降りることもあるそうです。そしてその光景は、昔から今まで何度(なんど)となく目撃(もくげき)されてきたとのことです。
 何故(なぜ)、此(こ)の淵を中心にして、このような不思議が起こるかですが、それには古くからの言い伝えがあります。
 むかし、大和(やまと)の船が、大きな風のためこの辺(あた)りに漂(ただよ)うように流れ着きました。そしてこの淵を渡る時、渦巻き飲み込まれて沈没し、一人残らず溺死(できし)しました。
 それからというもの、晴天の日には必ず、櫓(ろ)を漕(こ)ぎながら歌う、舟唄(ふなうた)が聞えるようになりました。
 人々は家から飛び出し、声がする方を見てみると、大和の船が帆(ほ)を上げて、淵がある真上(まうえ)に、浮んでいるのです。そしてしばらくすると、決まって跡形(あとかた)もなく消え失せてしまうとのことです。
 このような奇怪なことが起こったこともあって、淵を渡る時の掟が生まれました。
 尚(なお)、その不思議な現象(げんしょう)は、決まって晴天の日に限って起こるとのことです。


※注
【与那城】(よなぐすく)与那城の以前の発音は「ゆなぐすぃく/ゆなぐしく」など。与那城間切(まぎり)
【戦々恐々】(せんせんきょうきょう)おそれて、びくびくするさま。おそれつつしむさま。
【御嶽】(うたき)「おたけ」とも。琉球沖縄の村落の、祖先神(そせんしん)をまつった聖地。小高い丘の森にあるものが多い。社殿はなく、香炉を置いて拝所(うがんじゅ)とし、つい近年まで、特に男子の立入りは基本的に禁じられていた。
【安勢理】(あせり)安勢理の以前の発音は「あすぃー/あしー」など。
【饒辺】(のへん)饒辺の以前の発音は「ぬふぃ」など。
【屋慶名】(やけな)屋慶名の以前の発音は「やきな」など。
【掟】(おきて)この場合の意は、守るべきものとしてすでに定められている事柄。その社会の定め。決まり。法。法度(はっと)


Posted by 横浜のtoshi

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