128白銀堂(はくぎんどう・いーびんめー) ~琉球沖縄の民話

横浜のトシ

2010年09月01日 20:20


~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第128話。


白銀堂(はくぎんどう・いーびんめー)


 兼城(かねぐすく)の糸満邑(いとまんそん)の北に、一つの岩があり、名を、白銀岩といいます。
 むかし、西原の幸地邑(こうちそん)の人で、美殿(みどん)という男がこの村に引っ越して来て、ここに住んでおりました。
 薩摩人(児玉宗左衛門)から、お金を借りて、数回に渡って約束(やくそく)を違(たが)え、一向(いっこう)に、お金を返そうとしませんでした。
 ある日、薩摩人が、催促(さいそく)にやって来ましたが、約束していたのに家を留守(るす)にしていた美殿(みどん)に立腹(りっぷく)し、彼は、方々(ほうぼう)を探し回った揚句(あげく)、遂(つい)に、白銀岩の下に隠(かく)れている美殿を見付けたのでした。
 怒(いか)り心頭(しんとう)した薩摩人が、腰の太刀(たち)を抜(ぬ)いて一刀両断(いっとうりょうだん)で斬(き)り殺そうとした、まさにその時です。美殿は、涙声(なみだごえ)で訴(うった)えて言うことには、
 「私が、何時(いつ)も隠(かく)れて、貴方(あなた)を騙(だま)す人間に見えるでしょうか。
 ただ、お返しする金子(きんす)がないのです。
 貴方へのお約束(やくそく)を果(は)たし得(え)ず、恥(は)ずかしさの余(あま)り、止(や)むを得(え)ず、こうして隠(かく)れるより他(ほか)に仕方(しかた)がなかったのです。
 何卒(なにとぞ)、命だけは、お助け下さい。
 来年こそは必ず、間違いなく、お返し致します。
 古人(こじん)の教えに、こういうものがございます。
 『心(こころ)(いか)れば、則(すなわ)ち、手を動かす勿(な)かれ。
 手動かば、即(すなわ)ち、当(まさ)に戒心(かいしん)すべし(意地ヌ出(ンジ)ラー手引キ、手ヌ出ラー意地引キ)』」と。
 そう言って、泣いて頼んだところ、薩摩人は美殿(みどん)の言葉を聞いていうことには、
 「確かに、それは道理(どうり)だ。」と。
 そしてその言葉に感銘(かんめい)を受け、尤(もっと)もだと納得(なっとく)したのでした。
 そして美殿(みどん)の一命(いちめい)を助けたばかりか、更(さら)に、返済(へんさい)の期限を、来年まで延(の)ばし、今までのことも許(ゆる)してあげたのでした。
 それから後、薩摩人は、郷里(きょうり)の薩摩に帰りました。
 さて、薩摩の家に着いた時のことです。
 丁度(ちょうど)真夜中になっていました。それでも、勝手(かって)知ったる我(わ)が家(や)のこと。寝ている者を起こさないようにと、静かに戸を開け、部屋に入ると、何と驚いたことに、貞淑(ていしゅく)である筈(はず)の自分の妻が、間男(まおとこ)と抱き合って、寝ているではありませんか。
 頭に血が上(のぼ)った薩摩人は、腰の大刀(たち)を抜(ぬ)き放(はな)ち、間男と妻を切り捨てるべく、刀を大上段(だいじょうだん)に振りかざしました。
 その時です。ふと瞬間に、あの美殿(みどん)の言葉が、頭をよぎったのでした。
 そこで念のため、刀を振(ふ)り翳(かざ)しつつ、燈台(しょくだい)を手に取り、照らし出した目の前の二人を、よくよく見てみました。
 すると、何と間男と思ったのは、男装(だんそう)した、自分の母ではありませんか。
 母は、息子が遠い旅に出ている間(あいだ)、もしも悪い男にでも忍び込(こ)まれでもしたら取り返しがつかないと考え、夜(よ)な夜な、みんなが寝静まってから、人知れず男装(だんそう)して、嫁(よめ)と寝ていたのでした。
 いってみればあの時、美殿(みどん)から、古人(こじん)の戒(いまし)めの言葉を聞いていたお蔭(かげ)で、彼は、母と愛妻の二人を、殺さずに済(す)んだのでした。そのため、この薩摩人は美殿に、大変感謝したのでした。
 それから後、薩摩人は、再び沖縄にやって来ました。
 早速(さっそく)、お礼のお酒を持ち、糸満の美殿(みどん)を訪(たず)ねました。そして、美殿のお蔭(かげ)で、母と妻の命が助った経緯(いきさつ)を、話して聞かせました。そしてその恩を、深く感謝したのでした。
 一方、美殿の方はというと、返済(へんさい)のお金をすっかり整え、用意していました。そして、かつて期限を延(の)ばし、命を助けてもらった礼を心から述べ、そのお蔭で、このように返済(へんさい)するお金が出来たのだと言い、そのお金を薩摩人に差し出しました。
 薩摩人が言うことには、
 「私の母と妻の命は、お金に替(か)えることなど出来ません。せめてこのお金は、あなたがそのまま受取(うけと)って頂(いただ)きたい。」と。
 そう言いましたが、美殿は、どうしても受け取ろうとしません。
 互(たが)いに、心から相手に恩義(おんぎ)を感じていた二人は、お金を、押しつ返しつしながら、何時(いつ)まで経(た)っても、押問答(おしもんどう)が続きます。
 そこで二人は、よく相談の上、以前(いぜん)、美殿が隠れていた岩の下にその金を埋(う)め、互いにその志(こころざし)を表(あらわ)そうということになり、二人でお金を埋めることにしました。
 後世(こうせい)の人が、この話を聞き、その岩を白銀岩と名付(なづ)けて、神様がいる聖地(せいち)として礼拝(れいはい)するようになりました。
 これが白銀堂の由来として、言い伝えられいます。


※註
~『琉球国由来記』には、「ヨリアゲノ嶽、白金ノイベ」とあり、町を鎮守(ちんじゅ)する神が祀(まつ)られていることが書かれ、この伝説より古くから、白銀岩があったことがわかっている。霊所とされていた岩下に隠れた美殿が、温情によって命が助かり、後に、自分も美殿に恩を感じた貸主の薩摩人と共に、金銭を献納(ほうのう)したことが、何時(いつ)しか、白銀堂の由来(ゆらい)になったのではないかとも考えられているが、定(さだ)かではない。
 
※注
【兼城】(かねぐすく)兼城間切(まぎり)。兼城の以前の発音は「かにぐすぃく/かにぐしく」など。
【糸満】(いとまん)糸満の以前の発音は「いちゅまん」など。
【邑】(そん)邑=村。
【西原】(にしはら)西原間切。西原の以前の発音は「にしばる」など。
【幸地】(こうち)幸地の以前の発音は「こーち」など。
【間男】(まおとこ)夫のある女が他の男と肉体関係をもつこと。また、その相手の男。


Posted by 横浜のtoshi

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