127旅人の神(たびびとのかみ) ~琉球沖縄の民話

横浜のトシ

2010年08月31日 20:20


~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第127話。


旅人の神(たびびとのかみ)


 むかし、大和(やまと)の国からやって来た旅人(たびびと)の一人に、温厚篤実(おんこうとくじつ)で、人情味(にんじょうみ)豊かな、なかなかの人格者(じんかくしゃ)がおりました。
 島の人々と直(す)ぐ打(う)ち解(と)け、親しみ交(まじ)わりました。また、農業を助(たす)けながら、忠孝(ちゅうこう)の道を説(と)いた人物でしたが、島に来て、半年も経(た)たないうちに、急に倒(たお)れて亡(な)くなってしまいました。
 あまりに突然(とつぜん)の非業(ひごう)の死に、慕(した)っていた人々は深く嘆(なげ)き悲しみました。そして懇(ねんご)ろに、旅人(たびびと)を、友盛嶽に葬(ほうむ)ったのでした。
 それから後のこと、神名(しんみょう)を、「大和祠船頭殿加那志」(やまとほこらせんどうどんがなし)としました。ここでお祈りをすると霊験(れいげん)あらたかであるため、真面目な村人たちの尊敬を集めたのは言うまでもなく、また話を聞いて、ここにお詣りする人は、絶えることがなくなりました。
 また今でも、特に遠くまで旅する者は、道中(どうちゅう)の安全を、ここでお祈りするとのことです。


※注
【温厚篤実】(おんこうとくじつ)人柄(ひとがら)などが穏(おだ)やかで優(やさ)しく、誠実(せいじつ)で人情(にんじょう)に厚(あつ)いこと。温柔敦厚(おんじゅうとんこう)
【忠孝】(ちゅうこう)忠と孝。忠義(ちゅうぎ)と孝行(こうこう)
【友盛嶽】三津武嶽(みちんだき)のこと。『琉球国由来記』では「友盛ノ嶽御イベ」と記され、『琉球国旧記』では「友盛嶽」と記されて、その由来(ゆらい)が記(しる)されている。「みちんだき」(三津武嶽)は、沖縄本島の東側の、与那原町と西原町の境にある、小高い丘「ウンタマムイ・ウンタマモー(運玉森)」にある拝所です。一本道で、わかりにくいので、行かれる方は、よく調べてから行って下さい。行き方の詳細は、こちら。
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=2dfbea73f3e264ba8ed482d6775976e1
(※なお、運玉森というと、運玉義留(うんたまぎるー)を思い出す人も少なくないだろうと思う。油喰坊主(アンダクウェーボージャー)と共に、西原町と与那原町の境にまたがる運玉森を拠点とする沖縄芝居に登場する架空の義賊。)
【霊験あらたか】(れいげんあらたか) 「れいけん」とも。人の祈りに応じて、神仏などが示す霊妙不可思議(れいみょうふかしぎ)な力の現れ。ご利益(りやく)。「あらたか」は「灼」と書き、「いちじるしい」の意。


Posted by 横浜のtoshi

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