132照添照明(てるそえてるあ)かしの神 〜琉球沖縄の民話

横浜のトシ

2010年09月05日 20:20


〜琉球沖縄に伝わる民話〜

『球陽外巻・遺老説伝』より、第132話。


照添照明かしの神
(てるそえてるあかしのかみ)


 昔むかし、八重山(やえやま)の名蔵邑(なぐらそん)の農家に、兄弟二人と妹一人の、三人兄妹がいました。
 兄の名は、発金(はつがね)。そして、弟は玉皿(たまさら)、妹は思務本(おもと)と言いました。
 兄の発金(はつがね)は、それはそれは手に負(お)えない乱暴者(らんぼうもの)の上に悪知恵(わるぢえ)がよく働き、いつも自分の力を自慢(じまん)していました。
 世の中に、自分以上の者はいないと思っていました。そのため、神が一番だなどと言っている者がいるが神など本当はいないのだと、日頃から豪語(ごうご)して憚(はばか)りませんでした。また、凡(すべ)ての物事(ものごと)を、腕力(わんりょく)に訴(うった)えて暮らしていました。
 そんな鬼(おに)のような男ですから、隣人(りんじん)を愛すといったような考えは毛頭(もうとう)なく、寧(むし)ろ逆に、人々を虐(いじ)めて喜んでおりました。
 従って、人々から邪魔者扱(じゃまものあつか)いされ、あんな人間が生きているから世の中が悪くなるのだと囁(ささや)かれ、とても嫌(きら)われておりました。
 そんな折(おり)、「思度大主(おもとおおあるじ)」という女神(めがみ)がいらっしゃっいました。
 女神は、発金の妹の思務本(おもと)に乗り移って、御託宣(ごたくせん)することには、
 「私たち姉妹三人は、大和の国から沖縄に渡ってきた神です。
 姉は、首里城の東の弁ヶ嶽(べんがだけ)に住み、神威(しんい)を現わして世の人々を救っております。
 私と妹は、久米島に渡って、一つひとつの山にそれぞれ住んでいましたが、私は程(ほど)なく、この八重山(やえやま)に渡って来ました。
 そして思度嵩(おもとだけ)に住み、諸々(もろもろ)の神たちから大主(おおあるじ)と仰(あお)がれています。そして八重山諸島(しょとう)の守護神(しゅごしん)となって、世の人々を、善く教え導(みちび)くのが、私の務(つと)めです。」と。
 そこまで話すと、発金は遮(さえぎ)って、高慢無礼(こうまんぶれい)に言うことには、
 「そんな馬鹿(ばか)なことなどあるものか。俺(おれ)は、そんな事、信じるものか。」と。
 そして嘲(あざけ)り笑って罵(ののし)りながら続けることには、
 「もしもお前が本当に神なら、神の力を現(あらわ)して、山に住む大きな怪物を、俺の前に見せてみろ。」と。
 発金(はつがね)が顔に嘲笑(ちょうしょう)を浮かべながらそう言ったところ、妹の思務本(おもと)が言うことには、
 「それならば、池唐(いけとう)という所に、行ってご覧(らん)なさい。」と。
 その言葉に、「よし、然(しか)らば」と返事をするなり、発金はそこに行ってみました。
 すると全長が七尺(しゃく)ばかりの大猪(おおいのしし)が、突如(とつじょ)森の中から駆(か)け出して来るなり、襲(おそ)いかかってきました。発金は、拳(こぶし)を握(にぎ)り締(し)めて大猪を散々(さんざん)(なぐ)りつけ、生捕(いけど)りにして家に持ち帰り、殺して食べてしまいました。
 発金が満面(まんめん)の笑(え)みを浮かべながら、思務本に言うことには、
 「確かに、山の怪物は見たぞ。だが、お前の力が本物なら、今度(こんど)は海の怪物を、俺の前に現して見せろ。」と。
 威張(いば)りながら、発金がそう言ったところ、思務本が答えて言うことには、
 「潮嶺(しおみね)の地に行ってご覧なさい。」と。
 そこで早速(さっそく)、発金はそこへ行ってみました。
 するとそれまで静かだった大海原(おおうなばら)が、突如(とつじょ)、大波(おおなみ)が逆巻(さまか)いたかと思う間に、全長十丈(じょう)はあろうかという大鯖(おおさば)が、波の間(ま)に間に、躍(おど)り上がるのが見えました。
 喜んだ発金は、着ている物を脱(ぬ)ぎ捨てるやいなや、海に飛び込(こ)みました。荒(あ)れ狂(くる)う波の怒濤(どとう)の中を泳ぎ、大鯖と大格闘(だいかくとう)を演(えん)じた末(すえ)、これも打(う)ち殺して持ち帰り、食べてしまいました。
 それから更(さら)に発金は、妹に向かって言うことには、
 「山海(さんかい)の怪物(かいぶつ)は、この眼で、しかと見た。
 だが、神が本当にいるというなら、自分の目で見ない限り、信じることなど出来やしない。本当(ほんとう)に神だというのなら、今すぐ俺に、姿を見せてみろ。」と。
 妹は、約束(やくそく)通り、山海の怪物まで見せたにもかかわらず、それでもなお神の存在を悟(さと)らない愚(おろ)かな兄に、呆(あき)れ果(は)てながら、言うことには、
 「神は霊なのです。人の目に見えるように姿を現すことなど、滅多(めった)にありません。」と。
 そう説明しながら諭(さと)そうとしましたが、発金は、頑(がん)として聞き入れません。そして言うことには、
 「それみろ。出鱈目(でたらめ)じゃないか。
 姿さえ現すことが出来ないのに、この島に神がいるなんて、もうこの俺が誰にも言わせはしないぞ。
 よいか。神などそもそも、この世にいやしないんだ。
 思務本。妹だから許(ゆる)してやるが、兄を騙(だま)せると思ったら大間違いだ。」と。
 そう、決めつけたのでした。
 仕方(しかた)なく、思務本も決心して言うことには、
 「神の姿を、はっきり人に見せることは、容易(たやす)いことではありません。
 けれども、決して出来ないという訳ではありません。
 このままでは、あなたは神を信じないでしょう。
 仕方(しかた)がありませんで、それではこれから一緒(いっしょ)に、出掛(でか)けましょう。」と。
 発金(はつがね)を伴(ともな)った思務本(おもと)は、思度嵩(おもとだけ)を登(のぼ)って行きました。
 頂上(ちょうじょう)に着(つ)くなり、流石(さすが)の発金も驚きました。何故(なぜ)なら、そこには見たこともない豪華(ごうか)で立派(りっぱ)な御殿(うどぅん/おどん/ごてん)があったからです。またそこには、荘厳(そうごん)な神座(かみざ)があり、美しくも気高(けだか)い女神が、そこに座っておりました。
 女神は発金に向って言うことには、
 「お前は、神を信じないばかりか、却(かえ)って逆に、神を散々(さんざん)(けが)すことばかりしてきた。
 やむを得(え)ず、こうして姿を現してお前に見せた。これでもうお前も、神の存在を認めるしかないであろう。
 取り敢(あ)えず、お前には糠(ぬか)の御馳走(ごちそう)することにする。」と。
 そう言い終わらぬうちに、空から、霧雨(きりさめ)のような米糠(こめぬか)が降(ふ)ってきました。
 発金は珍(めず)らしく驚き、じっと目を据(す)えて神を見ていましたが、眼前(がんぜん)で、それまでの御殿も、神座も、女神の姿も、跡形(あとかた)なく消え失せました。
 代わりにそこには、見たこともない古い老木(ろうぼく)が、立っているばかりでした。
 あまりの不思議を目(ま)の当たりにした発金は、後(あと)も振(ふ)り返らず、慌(あわ)てふためき、夢中(むちゅう)で山を下(お)り、我(わ)が家(や)に逃げ帰りました。
 ところが、ふと気付(きづ)くと、体中(からだじゅう)に虱(しらみ)が湧(わ)き、群(むら)がって血を吸(す)います。払(はら)えども払えども、何処(どこ)からともなく後(あと)から後から湧き出し、手のつけようがありません。発金は、半死(はんし)の姿になるまで、転(ころ)がり、のたうち回り、もがき苦しみ、呻(うめ)き続けたのでした。
 ところが、突然(とつぜん)、怒(おこ)り出したかと思うと、
 「俺がこんなになったのは、貴様(きさま)のせいだ。殺してやる。」と。
 そう言うなり刀を取り、忽(たちま)妹を刺(さ)し殺してしまいました。一方で、発金は、虱(しらみ)の餌食(えじき)になって、もがき苦しみながら、二、三日後に息絶(いきた)えました。
 言わば発金は、人間を神に背(そむ)かせるためにこの世に生(う)まれて来た、人の形をした悪魔だったに違いありません。その証拠に、死ぬとその屍(しかばね)は忽(たちま)ち石となり、名蔵野に横たわりました。それは今でも名蔵村にありますが、悪魔の面影(おもかげ)を留(とど)めているとのことです。
 なお、妹の思務本(おもと)の遺体(いたい)は、神が降臨(こうりん)してオモト岳に召(め)し上げられました。また人々により、神として思度嵩(おもとだけ)は厚(あつ)く崇(あが)められました。
 また、二男の玉皿(たまさら)は、元来(がんらい)、信心深い男でしたが、兄と妹に起きたこの出来事があってからは、ますます神を信じる心を深め、名蔵の地の周囲を石で囲って、照添明照志神(てるしいあけてるしかみ)として初めて祀(まつ)ったのでした。そして、島中(しまじゅう)の人々から、この神は尊信(そんしん)を集め、その後、参詣(さんけい)する人が後を絶(た)たなかったということです。


※註
〜『琉球国由来記』の八重山名蔵の項目に、「名蔵御嶽、水瀬御嶽、白石御嶽」と書かれている。三嶽(みたけ)とも、いずれも神名(しんみょう)は照添明照志神。けれども、御イベ名(イビナ)は、名蔵御嶽が、オモトアルジ、東花ヨシハナ、ナカオモトナカタラヒ、ソデタレ大アルジの四座。水瀬御嶽は、水瀬アルジ。白石御嶽は、ミモノ、モソイ各一座がある」とあり、三御嶽の由来としてこの話と同じようなことが書かれている。
 
※注
【八重山】(やえやま)古くから八重山では、「やいま/えいま/やーま」などと言い、沖縄では「えーま」と呼んだ。与那国では石垣島を「だーま」と言った。また波照間島では、自分達の島を「しぃむやいま」(下八重山)と言った。基本的には石垣島と離島も全て含んでそう呼んだ。八重山という文字は、後世になって発音に漢字を当てたと考えられるが、決め手となる説はない。近ごろ、石垣、竹富、新城、黒島、小浜、西表、鳩間、波照間の八つの島々からなるので八重山と呼ぶという表記が時々見られるが、落ちている島があるのでこれは明らかに誤り。
【名蔵邑】(なぐらそん)邑=村。石垣間切(いしがきまぎり/石垣の以前の発音は「いしがち」など)名蔵村。
【御託宣】(ごたくせん)神仏が人に乗り移ったり、夢の中に現れて、その意志を告げること。また、そのお告げ。神託。託宣。
【弁ヶ嶽】(べんがだけ)首里城よりも高いところにある御嶽(うたき)。首里城の東、約1kmに弁ヶ嶽(べんがだけ)という小さな山があり、大小二つの御嶽がある。大嶽(うふたき)と小嶽(くたき)。大嶽は久高島(くだかじま)への遥拝所(ようはいしょ)。小嶽は斎場御嶽(せいふぁうたき)への遥拝所(遥拝所とは、直接行かず、遠くから祈願を済ます所の事。斎場御嶽、知念城跡などもこれにあたる)。弁ヶ嶽は標高約165.7m。沖縄島中南部では最も高い峰。昔は航海の目標だった。
【神威】(しんい)神の威光。神の威力。
【思度嵩】(おもとだけ)「於茂登岳」(おもとだけ)のこと。八重山諸島は石垣島のオモト岳(526m)
【高慢無礼】(こうまんぶれい)高慢とは、自分の容姿容貌(ようしようぼう)や才能などが、人より勝(まさ)って優(すぐ)れていると思い上がり、人を見下(みくだ)すこと。また、そのさま。
【尺】(しゃく) 尺貫法(しゃっかんほう)の長さの基本単位。曲尺(かねじゃく)では約30.3cm、鯨尺(くじらじゃく)では約37.9cm。
【荘厳】(そうごん)重々しく厳(おごそ)かなこと。厳かで立派なこと。また、そのさま。しょうげん、とも。
【糠】(ぬか)玄米などを精白する際、果皮や種皮などが破けて、粉になったもの。こめぬか。
【半死】(はんし)古くは「はんじ」とも。 死にそうになっていること。
【名蔵拝所】(なぐらうがんじゅ)名蔵拝所は、沖縄県石垣市石垣島にある拝所(うがんじゅ)。神名は照添照明し神。四座の御イベ名は大本主(おもとあるじ)、東花手吉花(あがりはなてよしはな)、中大木中垂伊(なかおもとなかたらい)、袖垂大主(そでたれおおあるじ)
【名蔵御嶽】於茂登岳を、イビとして祀(まつ)っていると伝わる御嶽。
【御嶽】御嶽は、琉球の信仰の宗教施設。「腰当森(くさてむい)」、「拝み山」などともいう。琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称。それ以前は様々な呼び名が各地方にあった。「うたき」という呼び名は、主に沖縄本島とその周辺の島々で発音。本来、宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」と発声した。近年は「うたき」という言い方が傾倒する傾向が強い。


※次回、琉球民話より『球陽外巻・遺老説伝』が最終回となります。





Posted by 横浜のtoshi

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