119津堅島を開く(つけんじまをひらく) ~琉球沖縄の民話
~琉球沖縄に伝わる民話~
『球陽外巻・遺老説伝』より、第119話。
津堅島を開く(つけんじまをひらく)
むかし、中城の喜舎場邑に、喜舎場子という人がいました。
ある日のこと、喜舎場嶽に登って、四方八方(しほうはっぽう)の景色を眺めていると、不図(ふと)、東の海に、一つの島があるのを発見したのでした。
喜舎場子には仲がとてもよい妹がいました。喜舎場子は、妹の真志良代(ましらよ)を呼んで言うことには、
「私が考えるところ、向こうの島をよく見てみると、あそこは人が住める、よい島だと思う。後々きっと、一つの村を作ることが出来るに違いない。お前と一緒(いっしょ)に、あの島に渡って暮らしてみたいと思うが、どうだろうか。」と。
それを聞いて、妹も大賛成したのでした。
兄妹は、それから一週間というもの、斎戒沐浴(さいかいもくよく)し、神に祈ってから二人で小舟に乗り、島に渡りました。
そうして、この島に初めて人が住むようになり、二人の子孫は、綿々(めんめん)として繁栄(はんえい)が続きました。そうして、やがて津堅島に村がつくられました。
島の海岸には、津堅瀬(つけんじい)と呼ばれる石がありますが、これは、昔、喜舎場子が海を渡って、この島に来た時に、初めて踏(ふ)んだ石とされています。もう一つ、祭瀬(まつりじい)と呼ばれる石がありますが、妹の真志良代が踏んだ石ということです。
兄妹二人は、安らかにこの島で人生を終わり、中之御嶽がまさに二人が葬(ほうむ)られた場所で、そこでお祈りすると霊顕(れいげん)あらたかであり、今でも人々に拝(おが)み続けられています。
なお、このお嶽はとても神聖な聖地なため、男女とも足を踏(ふ)み入れてはならず、祈願する際は、境内(けいだい)の柵(さく)の外(そと)で、祭品(さいひん)を供(そな)え、お祈りしなければならないとのことです。
※註
~津堅島は、沖縄本島の東方、中城湾入口に位置する、周囲二里の小島で、沖縄本島の東海岸、唯一の、航路標識の燈台がある。
※注
【中城】(なかぐすく)中城の以前の発音は「なかぐすぃく/なかぐしく」など。中城間切(まぎり)。
【喜舎場】(きしゃば)
【喜舎場子】(きしゃばしー)
【邑】(そん)邑=村。
【斎戒沐浴】(さいかいもくよく )飲食や行動を慎(つつし)んで、体を洗って清(きよ)め、心身の汚(けが)れをとること。
【霊顕あらたか】(れいげんあらたか)霊験あらたか、とも。神様のご利益(りやく)が直ぐに現れる。
Posted by 横浜のtoshi
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