真玉橋の人柱 ~琉球沖縄の伝説

横浜のtoshi

2011年04月30日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第132話。


真玉橋(まだんばし)人柱(ひとばしら)



 むかし(むかし)の、沖縄(おきなわ)ではよく()られた、お(はなし)です。那覇(なは)豊見城(とみぐすく)(あいだ)(なが)れる(かわ)()かる、真玉橋(まだんばし)にまつわる、七色(なないろ)むーてぃー(元結)、と()ばれる(はなし)です。
 親子三人(おやこさんにん)()らす家族(かぞく)がいたそうです。母親(ははおや)七色(ななしょく)髪飾(かみかざ)り、七色(なな)むーてぃーを、していました。
 真玉橋(まだんばし)(つく)られた最初(さいしょ)、いくら(はし)()けても、増水(ぞうすい)する(たび)(はし)(なが)れてしまい、何度(なんど)(はし)()(なお)さなければ、なりませんでした。そこで、(はし)(つく)(ひと)(なか)に、民間(みんかん)(うらな)いをした(ひと)がいて、(なな)むーてぃーしているせじ(せじ)(※霊力)(つよ)(おんな)(はし)一緒(いっしょに)()めない(かぎ)り、この(はし)はいつまでも(なが)される、と()われたそうです。
 その結果(けっか)親子三人(おやこさんにん)母親(ははおや)が、生贄(いけにえ)として、(はし)(とも)()められることになってしまいました。その(いえ)には、(おんな)()一人(ひとり)いました。()められに()(さい)(はは)(むすめ)()うことには、
 「あなたは、容姿容貌(ようしようぼう)(うつく)しいのは幸運(こううん)だけれども、(しあわ)せになるために、これから他人(たにん)より(さき)(はなし)をし(はじ)めては、いけませんよ。」と。
 それから(はは)家族(かぞく)(わか)れ、(はし)下敷(したじ)きになったそうです。
 父親(ちちおや)は、もうここにはいられないと(おも)い、(むすめ)()れて山原(やんばる)(ほう)(うつ)ったそうです。
 やがて、(むすめ)(おお)きくなり、十七、八(さい)になりました。(むすめ)(はは)遺言(ゆいごん)(まも)っているのか、あの()以来(いらい)言葉(ことば)(まった)(はな)しませんでした。
 父親(ちちおや)(むすめ)()()って山原(やんばる)(うつ)()んだ(はなし)を、何年(なんねん)()って、偶々(たまたま)(つた)()いた(はし)責任者(せきにんしゃ)である役人(やくにん)は、息子(むすこ)()んで、可哀想(かわいそう)なことをした父親(ちちおや)(むすめ)さんの(ところ)()き、よくお()びをして()なさいと、()ったそうです。
 こうして、(おな)じく役人(やくにん)息子(むすこ)が、国頭(くにがみ)まで()ったところ、ある海辺(うみべ)で、女性(じょせい)(ひと)(しず)かに、(あそ)んでいたそうです。(おとこ)は、綺麗(きれい)(むすめ)さんだなあと(おも)いながら、自分(じぶん)がこれから(たず)ねたい(ひと)(いえ)()いてみました。
 すると(むすめ)は、(くち)(ひら)かず身振(みぶ)りで方角(ほうがく)(おし)えます。役(やくにん)が、(ふたた)び、その(いえ)まで案内(あんない)してくれるように、(たの)んでみました。すると(むすめ)(うなず)き、(だま)ったまま(おとこ)(まえ)(ある)(はじ)めました。
 ()れて()かれた(さき)は、なんとその(むすめ)父親(ちちおや)(いえ)でした。
 役人(やくにん)は、()われてきた(とお)りを父親(ちちおや)(つた)え、礼儀(れいぎ)()くして(あやま)りました。
 それが()わってから、役人(やくにん)父親(ちちおや)に、何故(なぜ)(むすめ)さんは言葉(ことば)(はな)さないのかと、(たず)ねてみました。
 すると父親(ちちおや)(はな)すことには、母親(ははおや)最期(さいご)(わか)れの(とき)に、(むすめ)遺言(ゆいごん)をしたためだと()いました。それは、他人(たにん)より(さき)に、(くち)(ひら)(おんな)になってはいけない。「(むぬ)ゆみ者や馬ぬさちとゆん」(※お喋り者は馬の先を歩いて災いを招く、の意)(まも)りなさいと、()(のこ)したことを(はな)しました。そしてそれ以来(いらい)(はは)(おし)えを(まも)ってか、突然(とつぜん)(おさ)なくして大好(だいす)きな(はは)(うしな)ったためか、(むすめ)は、一言(ひとこと)(はな)さなくなったと()ました。
 すると、その(はなし)()()わった役人(やくにん)(はな)()しました。
 (じつ)(ちち)()()けで、()ず、あなた(がた)親子(おやこ)に、お()びをしてから、言葉(ことば)(はな)さなくなった可哀想(かわいそう)(むすめ)さんを、(わたし)(よめ)()(もら)えないか(たの)みなさいとも()われて、こうして、やって()ました。しかしながら、言葉(ことば)(はな)さない(むすめ)さんが、(わたし)のような(もの)一緒(いっしょ)首里(しゅり)()らすようになって、()たして(しあわ)せになるものでしょうかと、(たず)ねました。
 それから三人(さんにん)は、色々(いろいろ)(はな)()ったそうです。
 やがて、父親(ちちおや)(むすめ)()かって、お(まえ)がもしこの(ひと)(よめ)になりたいなら、そうしなさい。けれども、この(かた)(よめ)になってからは、きちんと(くち)(ひら)いて言葉(ことば)(はな)せるのかと()きました。
 すると(むすめ)は、
 「はい。そう(いた)します。」と。
そう(こた)えて、この(おとこ)(つま)になったそうです。しかも(むすめ)()うことには、数日前(すうじつまえ)に、(はは)(ちょう)になって自分(じぶん)(まえ)(あらわ)れ、そうするようにしなさいと()われていると、いうのです。
 こうして(むすめ)(おとこ)()首里(しゅり)(とつ)ぎ、夫婦(ふうふ)仲睦(なかむつ)まじく、美人(びじん)謙虚(けんきょ)(よめ)(もら)った(おとこ)は、出世(しゅっせ)したそうな。

 
※この話の参考とした話
高木~「源助柱」
沖縄本島・沖縄県那覇市首里石嶺~『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2)』
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~『渡慶次の民話』読谷村民話資料7
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~『宇座の民話』読谷村民話資料6
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~『瀬名波の民話』読谷村民話資料4


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●伝承地
高木~「源助柱」
沖縄本島・沖縄県那覇市首里石嶺~昔ね、真玉橋の話でね、七ムーティー(七色元結)というのがあった話を、お婆さんたちから聞いたよ。それで、親子が三人で暮らしてね、七ムーティーしている女の人が、あっちこっちの村を拝むのをやっていたらね。そしたらね、真玉橋は、いくら架けても流れて、りっぱに架からなかったらしいけどね。それで、その橋を造った人がね、「これは残念なことだ。どうしようかなあ」と言って、こう思っていたときにね、この七ムーティーしている女がね、通りかかったらね、「この橋はどうして架からないのかね、娘さん」と言ったので、 「これはもう、ここに七ムーティーしている人を埋めないことにはね、この橋は架かりませんよ」と言った。それで、橋の近くを何かこう捜したけれど、七ムーティーの人は、いなかったんだね。もしやこの女が、七ムーティーしているかもしれないので、この女の人の髪の毛をみてみたらね、七ムーティーしていたんだね。このことが原因でこの人は、橋に埋められてしまうことになったんだけどね。その家には、親子三人だけど、女の子が一人いたんだね。それで埋められに行くときね、母親が娘に、「おまえはね、もう顔は美しいからいいけれど、人より先にものは言うんじゃないよ」と言って、別れて橋の下敷きになったんだね。それで、父親と娘は、ここにはいられないといって、何かあの山原のあたりに行ったんだね。そして、この娘が大きくなって、十七、八になってもことばを話さない。ことばを話さなくなったからね。それで、首里のこの橋の仕事を受け持っていたかしらの役人にね、父親が、「こういうわけだから、行ってからおわびをしなさい」と言ったんだけどね。役人が国頭まで行ったら海辺で、この女の子が遊んでいたんだって。「ああ綺麗な娘さんだなあ」と思ったがね。その娘は、ことばを話さなかったんだね。それで、「おまえの家は、どこなのか」と言ったらね、「どこのどこだよ」と身ぶりで教えた。「それじゃ連れて行ってくれ」と行くと、それから、連れて行かれたのは、その父親の家で、父親は、「こういうわけで、七ムーティーしていた私たちの家の家族でございます」と言った。「そうか、だけどどうしてこんなにことばを話さないのか」と言うとね、「これは母親が橋のところに埋められるときにね、『顔は人より優れていてもね、人より先にものは言わないよ』と言ったから、それを守っているはずです」と言ったんだって。その役人の父親の言いつけでは、「おわびだからね。こういう女の子がいるから、この娘を嫁さんにしてきなさい」と言われたんだけどね。嫁にするつもりではいたが、これはことばを話さなかったらどうしたものかと、こう三人で考えていたんだね。そしたら、この父親がね、「おまえはね、母親のことを守ってからね、ことばを話さないはずだから、今からはね、おまえはこの人の嫁になって、出世するから、口をひらきなさい」と言った。それで、この娘はしゃべったんだね。この人はね、出世して首里に行ったんだって。(『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2)』)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~辰年生まれの人を埋めないと橋は完成しないということになった。いよいよ、金持ちの家の娘と、貧乏人の娘のどちらかということになった。貧乏人の娘は自分が犠牲になれば盲のお父さんの眼を治すことが出来ると言って埋められることを申し出た。すると神様がその娘を助けた。(『渡慶次の民話』読谷村民話資料7)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~母親が真玉橋の人柱になったために、唖になった娘が、偉い人に慕われ、結婚を申し込まれたが、男方の親は、唖の嫁などいらないといって反対した。ある時、蝶が飛んで来て歌を歌った。それを聞いて娘も後に続いた。それから物を言うようになり、嫁として迎えられた。(『宇座の民話』読谷村民話資料6)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~首里の侍が、娘を気に入り、嫁にしようと思った。それで、娘と娘の父親を連れて、首里に向かった。家に帰ってみると、侍の親達は他所から妻にする人を連れて来てあった。一方の娘が侍に言い寄るのを見て、唖だとばかり思っていた娘が物を言った。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~真玉橋の請負の長男が娘に一目惚れし、是非妻にしたいと思って家に連れて行った。男の家では、物も言えない娘ということで反対した。丁度そこへ蝶が飛んで来た。その蝶が母親だとわかっていたのか、娘は「話をさせて下さいお母さん」と言った。以来話をするようになり、その男の妻になった。(『瀬名波の民話』読谷村民話資料4)

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