玉御殿と木田大屋子 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年09月04日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第187話。


玉御殿(たまうどぅん)木田大屋子(むくたおおやこ)



 むかし(むかし)(はなし)で、沖縄(おきなわ)では()られたお(はなし)です。
 前川(まえがわ/めーがー)(むら)(そば)にお(はか)がありますが、ここに(ほうむ)られているのは木田大時(むくたうふとぅち/むくだうふとぅち/もくたうふとぅち)という、首里(しゅり/しゅい/すい)(おう)(つか)えた(うらな)()のものだそうです。死後(しご)に「時之(ときの)大屋子(おおやこ/うふやこ/うふやくう/うふやくぅ)」という(くらい)(さず)けられました。
 この木田(むくた)という人物(じんぶつ)は、とても(あたま)()れた(うえ)に、(おさな)(ころ)からセジ(霊感)大変(たいへん)(つよ)かったと(つた)わっています。(うらな)いが()()たったために人々(ひとびと)から感謝(かんしゃ)され、相談(そうだん)()()(ひと)()えていきましたが、見返(みかえ)りを(もと)めず、親身(しんみ)にみんなの相談(そうだん)にのったり、病気(びょうき)(こころ)(やまい)(なお)してあげていました。
 琉球国(りゅうきゅうこく)には、(くに)(ささ)える正規(せいき)神官(しんかん)である、聞得大君(ちふぃじん/きこえのおおきみ/きこえおおぎみ)ノロ(祝女)ツカサ()といった、国や地域を(おさ)める大名(だいみょう)のような神人(かみんちゅ)がいました。
 それとは(ちが)って、(べつ)に、(むかし)から民間(みんかん)には(おとこ)(うらな)()トキ(覡・時)などがいました。木田(むくた)死後(しご)時之大屋子(ときのおおやこ)という役職(やくしょく)王府(おうふ)に置()かれたとも()われています。(のち)には、迷信(めいしん)利用(りよう)して邪術(じゃじゅつ)使(つか)い、(ひと)(まど)わし、人々(ひとびと)(あらそ)(ごと)によく(から)んで治安(ちあん)度々(たびたび)(みだ)(もの)(おお)かったため、民間(みんかん)(うらな)()である(おとこ)トキ(覡・時)(おんな)のユタは、 琉球国府(りゅうきゅうこくふ)明治(めいじ)大正(たいしょう)昭和(しょうわ)政府(せいふ)によって幾度(いくど)となく禁圧(だんあつ)()()えされました。(なが)(あいだ)(おとこ)ジュリ(遊女)()いと(おんな)のユタ()いは(いえ)(かたむ)かせる元凶(げんきょう)とされながらも、なかなかこの悪習(あくしゅう)から()()せずに(だま)される(もの)(すく)なくありません。
 しかしながら、この木田(むくた)()きた時代(じだい)は、それより(はる)(むかし)のことで、木田(むくた)幼少(ようしょ)からセジ(霊感)(つよ)く、(うらな)いが()()たると(もっぱ)らの評判(ひょうばん)の、とても真面目(まじめ)に人々に()くした民間(みんかん)霊媒師(シャーマン)なのでした。
 ある(とき)王子(おうじ)(おも)病気(びょうき)(かか)り、()()ちようが、なくなりました。そんな(とき)(うわさ)()いていた尚眞王(しょうしんおう)木田(むくた)()()せ、相談(そうだん)したのでした。そして木田(むくた)()われた方々(ほうぼう)御嶽(うたき)拝所(うがんじゅ)を、(おう)(おが)んで(まわ)ったところ、その御利益(ごりやく)があってか、王子(おうじ)(やまい)(なお)ったのでした。
 それからというもの、木田(むくた)(おう)にとても可愛(かわい)がられたため、(とく)王府(おうふ)様々(さまざま)人々(ひとびと)嫉妬(しっと)(うら)みを()(こと)になってしまいました。(わる)(こころ)人々(ひとびと)は、(こと)ある(ごと)木田(むくた)にいじわるし、(なん)とか(ころ)してしまおうと(たくら)んだのでした。そして(つい)に、木田(むくた)の、いかがわしいセジ(霊感)(ちから)(ため)すようにと、(おう)(はなし)()ちかけたのでした。
 ある()のこと、一匹(いっぴき)(ねずみ)(はこ)()れられ、それを()らない木田(むくた)()かって、(おう)は、(はこ)(なか)(ねずみ)何匹(なんびき)いるかを(たず)ねました。
 すると即座(そくざ)木田(むくた)(こた)えました。
 「三匹(さんびき)おります。」と。
 途端(とたん)に、(おう)側近(そっきん)(わる)(こころ)人々(ひとびと)は、ここぞとばかりに、木田(むくた)大嘘(おおうそ)つきの詐欺師(さぎし)で、(おう)(だま)されていると、(さわ)()てたのでした。そのため、(おう)期待(きたい)裏切(うらぎ)られて面目(めんぼく)(うしな)って(おこ)()し、木田(むくた)はそのまま、当時(とうじ)死刑場(しけいじょう)(おく)られてしまったのでした。(いま)那覇新港(なはしんこう)(むかし)安謝港(あじゃこう)で、ここで(くび)()ねられるのが(なら)わしでした。
 (しろ)でのこの(さわ)ぎが一段落(いちだんらく)した(ころ)、ある(もの)(ねずみ)一匹(いっぴき)(はい)った(はこ)()けました。すると(ねずみ)子鼠(こねずみ)二匹(にひき)()んでいて、三匹(さんびき)になっているではありませんか。
 その(こと)()ぐにさま(おう)(つた)えられ、(おう)即座(そくざ)早馬(はやうま)()し、死刑(しけい)()めようとしましたが、(とき)(すで)(おそ)く、木田大屋子(むくたおおやこ)(くび)は、()ねられた(あと)でした。
 (おう)(ひど)後悔(こうかい)し、(なげ)(かな)しんだものの、(あと)のまつりでした。しかし二度とふたたび、このような間違(まちが)いを起こすまいと、心に強く(ちか)ったのでした。
 なお一端(いったん)玉城(たまぐす/たまぐすぃく/たまぐしく)前川(まえがわ/めーがー)(ほうむ)られた木田(むくた)でしたが、(おう)によって、(のち)首里(しゅり)王家(おうけ)(はか)である玉御殿(たまうどぅん)に、(あらた)めて丁重(ていちょう)(まつ)られたそうな。




※この話の参考とした話
沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町神里~『ふるさとの民語 南風原町』第一集
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村前島~渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』
沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村福山~『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉


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●伝承地
沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町神里~部落側にお墓があるそうですがねえ。この方は木田大屋といって、首里の王様に仕えたそうですよ。そして、とても頭がきれるし、ある程度霊感があったんでしょうねえ。占いみたいようにやったもんだから、皇太子が病気なったもんだから、王様がこの人を呼んで相談したところ、方方の御嶽とか、ああいうところ拝んだら良くなるからと言って、まあその通りやったら良くなったらしい。そしたら、この方は、王様にかわいがられたので、また、別の家来たちがこの人ばっかりかわいがられるといって、悪い心を起こしたんでしょうねえ。結局、いじめて、これを死刑にしてやろうと思って、一つのねずみを箱に入れてですね、この木田大屋に箱の中を見えないようにして、「このねずみは、結局、何匹おるか」と言うと、「三匹いますよ」とこの木田が答えた。別の人たちは、、一匹入れたんだから、てっきり一匹しかいないと思った。そう言ったもんだから、王様に、「この人は、うそをつくよ。一匹しか入れてないのに三匹と言うのは。これはうそをついて人をだましている」と言ったら、王様もとても怒った。昔は、首を切る死刑場は、安謝の港にあった。そこに連れて行って、死刑にしなさいと王様から命令受けて、これが死刑場に連れていかれてから、まあ、本当かうそかと開けてみたら、このねずみは、子どもを二匹生んで、結局三匹なったもんだから、王様はそれ聞いて、「早馬で早く行って、あの死刑するのを止めなさい」と言ったが、早馬で使いが行くまでに、木田大屋は、もう首を打たれてしまってですねえ、王様はとても悲しんで、自分が悪かったと、この人をわざわざ前川から首里の玉御殿(王家の墓)に入れてですね、一番真中に葬ったという話です。(『ふるさとの民語 南風原町』第一集)
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村前島~一匹入れた筈の鼠が、三匹になっていた。(渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』)
沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村福山~昔、王様は、霊感を信じていなかった。それで、或る日、占い師に籠の中の鼠の数を聞いた。籠の中には一匹しか入れなかったのに、四匹と答えたものだから、その場で首をはねた。ところが、後で調べてみると、確かに四匹入っていた。それから王様は、自分の側に占い師を置くようになった。(『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉)

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