普天間権現と忘れ刀 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年09月02日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第185話。


普天間権現(ふてんまごんげん)(わす)(がたな)



 むかし(むかし)薩摩(さつま)(くに)の、ある(さむらい)が、沖縄(おきなわ)から国元(くにもと)(ふね)(かえ)ろうとした(とき)(こと)です。
 風向(かぜむ)きが(むか)(かぜ)のために、どうも(おも)わしくない()()()(にち)(つづ)いて、いくら()ってみたところで、(すこ)しも(かぜ)まわりが()くなりません。
 そんな(とき)(さむらい)は、普天間権現様(ふてんまごんげんさま)は、(ねが)(ごと)(かな)えて(くだ)さる、いい神様(かみさま)だと()いて、早速(さっそく)権現(ごんげん)(おが)みに()ました。
 この時代(じだい)(ふね)は、()(かぜ)()けて(はし)帆船(はんせん)のため、薩摩(さつま)()かう()(かぜ)()えて(くだ)さいとお(ねが)いするために、祈願(きがん)()たわけです。
 最初(さいしょ)に、洞窟(どうくつ)(なか)(はい)(とき)(こと)ですが、(こし)(かたな)(こし)()したまま、神様(かみさま)(まえ)でお(ねが)(ごと)をするのは失礼(しつれい)だと(かんが)えて、(かたな)()(あら)手水舎(ちょうずや/てみずや)(ところ)()いて、洞窟(どうくつ)(なか)(はい)って(おが)んだそうです。
 (おが)んだ(あと)洞窟(どうくつ)()ると(すで)(ねが)(どう)り、風向(かぜむ)きが薩摩(さつま)()かう(かぜ)()わっています。(あわ)てた(さむらい)は、(かたな)()れて(うま)()()り、そのまま那覇(なは)まで(はし)って、ぎりぎりで(ふね)()()み、そのまま国元(くにもと)(かえ)ったそうです。
 その()(わす)れられて(かたな)は、ある(ひと)()(とき)には、(へび)()わって()()し、またある(ひと)には、その場所(ばしょ)にある(かたな)()えないため、いつまでのその場所(ばしょ)にあったそうです。
 そして、やがて薩摩(さつま)(さむらい)が、希望(きぼう)した(かぜ)()かせて(くだ)さった、お(れい)(まい)りに()(とき)まで、(かたな)()いた場所(ばしょ)にそのままあったそうです。
 それからというもの、普天間権現(ふてんまごんげん)神様(かみさま)は、船旅(ふなたび)(とき)縁起(えんぎ)()神様(かみさま)だという(うわさ)(ひろ)まって、航海(こうかい)()(ひと)(みな)(たび)(まえ)(おが)むようになったそうな。



 
※この話の参考とした話
沖縄本島・沖縄県宜野湾市喜友名~『宜野湾市史』第五巻資料編四 民俗
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村阿波連~渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』


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●伝承地
沖縄本島・沖縄県宜野湾市喜友名~薩摩の侍がね、沖縄から国元へ船で帰ろうとしたとき、風向が向い風でどうもおもわしくなくてね。んで二、三日か四、五日待っても風まわりがないので、「権現さんはいい神様だそうだから」と言って、普天間権現に拝みに来たそうだ。昔は帆前船だから、「風まわりを追い風に変えて下さい」と祈願に来たわけだ。んで、最初、洞窟の中に入るとき、腰に刀をさしたまま神様の前に入ってはいけないと思って、刀を手洗い水の所に置いて、中に入って拝んだんだ。ほんで、出てきたらもう風向が変わってしまっていたんで、刀をさすのを忘れて、そんまま馬を走らせて那覇に行って、そこから船でお国元に帰ってしまったそうなんだ。拝みおわって洞窟から出てきたら、もう急に風向が変わってしまっていたというんだな。 その後、この人が忘れていった刀は人が見たら蛇になって逃げたりしていたらしい。そんで、刀はそこにあることはあるんだが、人がそこから出入りしても気付かれずにいたんだ。だもんだから、その薩摩の侍が後日、お礼参りにきたときまで刀はちゃんとあったそうだ。それからは、普天間権現は船旅の時に縁起がいい神様だからいうて、皆な拝むようになったそうだ。こんなふうな話、それだけは聞かされた。(『宜野湾市史』第五巻資料編四 民俗)
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村阿波連~大和に行く人が忘れた太刀は、人が来るとハブになっていたので、そこを訪れた人がハブだといって叩いたりした。すると、その人が戻って来た時には、太刀は傷だらけになっていたという。(渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』)

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