七掘畑 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ(爲井)

2011年08月18日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第179話。


七掘畑(ななふいばたき)



 琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)七与平利畠(ななゆひいーばたけ)という(はなし)有名(ゆうめい)ですが、こんな(はなし)(つた)わっています。
 むかし(むかし)のこと、大変(たいへん)孝行者(こうこうもの)がいて、(おや)一緒(いっしょ)()ている(とき)に、()()されても、自分(じぶん)()(はら)えばきっと(おや)(ところ)()ってしまってそれでは(もう)(わけ)ないと、じっと我慢(がまん)しているような()どもだったそうです。
 大変(たいへん)貧乏(びんぼう)生活(せいかつ)だったため、(おや)(つい)祖先(そせん)から代々(だいだい)(ゆず)()けてきたの(はたけ)を、ある(とき)()ってしまいました。するとこの()どもは、(はたけ)()った(さき)(はたら)きに()て、それはそれは(あさ)から(ばん)まで懸命(けんめい)(はたら)き、やっと(はたけ)()(かえ)すことができました。しかし(いえ)貧乏(びんぼう)なのは()わらず、二度(にど)三度(さんど)と、(おや)(はたけ)()(かえ)し、手放(てばな)してしまうのでした。そしてその都度(つど)()どもは(はたけ)()(もど)し、それが何度(なんど)(つづ)きました。
 祖先(そせん)から代々(だいだい)(つた)わってきた大切(たいせつ)土地(とち)であり、また子孫(しそん)(のこ)していくべき(はたけ)だと(かんが)えていた()は、このままではいけないと決心(けっしん)し、(なみだ)ながらに()どもは(おや)(はたけ)()ってはいけないと説得(せっとく)しました。それからその(はたけ)()られることはありませんでした。
 (はたけ)調度(ちょうど)七度(ななど)奉公(ほうこう)()七度(ななど)()(かえ)したので、七掘畑(ななふいばたき)()ばれるようになり、この(はたけ)()ろうとすると幽霊(ゆうれい)()るそうな。



 
※この話の参考とした話
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~『瀬名波の民話』読谷村民話資料4
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~『儀間の民話』読谷村民話資料5
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~『宇座の民話』読谷村民話資料6


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●伝承地
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~昔、親が貧乏者だったので、祖先から譲り受けた畑を売ってしまった。また、この人の子どもが、この畑を売ったところを働いて、儲けてまた取り返した。一度取り返したが、また、家が貧乏なので、二度目も親が売ってしまった。それでまた祖先からの遺言もあって、この子どもが取り返した。子供は、「これは、こうではいけない」と思った。ちょうど、七度取り返したので、これが七掘畑と名付けられたそうだ。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~家が貧しいために、七度も下男に出された若者がいた。その若者が、奉公先の主人から貰った畑が、七掘畑である。(『瀬名波の民話』読谷村民話資料4)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~七回売られたにもかかわらず若者は親孝行であった。親と一緒に寝ている時など、蚊に刺されても、自分が追い払うと親の所に行くからと言ってじっと我慢していた。(『儀間の民話』読谷村民話資料5)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~七掘畑は幽霊が出るといわれていた。(『宇座の民話』読谷村民話資料6)

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