久良波祝女殿内 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年08月07日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第175話。


久良波祝女殿内(くらはぬんどぅんち)



 日本(にほん)民話(みんわ)(なか)には、(たび)道中(どうちゅう)にある難所(なんしょ)山越(やまご)えの(さい)(とく)(よる)危険(きけん)()けるため、(ちか)くの民家(みんか)宿(やど)旅人(たびびと)()まり、宿(やど)(むすめ)一夜(いちや)(とも)にし、()ている()(ころ)されてしまう(はなし)がよく(のこ)っていますが、琉球(りゅうきゅう)にも()(はなし)(つた)わっています。
 むかし(むかし)久良波(くらは)丁度(ちょうど)首里(しゅり)那覇(なは)と、名護(なご)のほぼ中間(ちゅうかん)にある山田村(やまだそん)(なか)にある場所(ばしょ)でした。(ふる)く、金武(きん/ちん)間切(まぎり)読谷山(ゆんたんざ/ゆんたんじゃ)間切の(むら)()()って恩納(おんな/うんな)間切の(むら)となる(まえ)山田村(やまだそん)は、読谷山(ゆんたんざ)間切に(ぞく)していました。那覇(なは)から久良波(くらは)までの比較的(ひかく)平坦(へいたん)(みち)(くら)べ、ここからは(しばら)くは山道(やまみち)(おお)(つづ)いたため、首里(しゅり)那覇(なは)からの旅人(たびびと)山田村(やまだそん)周辺(しゅうへん)宿(やど)をとり、翌朝(よくあさ)出発(しゅっぱつ)する(こと)(おお)かったそうです。
 久良波(くらは)にある久良波祝女殿内(くらはぬんどぅんち)は、かつては祝女(のろ/ぬる)()殿内(どぅんち)でしたが、(なが)年月(ねんげつ)(とも)にその()()()者達(ものたち)によって、いつしか旅人(たびびと)()まる宿(やど)()わっていきました。
 そしていつの時代(じだい)のことか、この祝女殿内(ぬんどぅんち)には、(はい)(ひと)はいるが、()()(ひと)はいない、という(うわさ)()(はじ)めました。この宿(やど)一家(いっか)旅人(たびびと)()めて、(つま)(むすめ)一緒(いっしょ)座敷(ざしき)()かせ、旅人(たびびと)(ねむ)った時分(じぶん)(ころ)して()めるということを、ずっと()(かえ)していたのです。もちろん旅人(たびびと)のお(かね)財産(ざいさん)(ぬす)むためです。(あま)りに沢山(たくさん)旅人(たびびと)が、この宿(やど)()まると消息(しょうそく)()たったため、次第(しだい)(うわさ)(ひろ)まるのも至極(しごく)当然(とうぜん)なものの、その(はなし)本当(ほんとう)かどうかは(だれ)にもわからなかったのです。しかし(うわさ)(つい)首里(しゅり)にまで(とど)き、(はなし)真偽(しんぎ)(たし)かめるため、知恵(ちえ)のある(もの)(おく)()まれたのでした。役人(やくにん)(おとこ)旅人(たびびと)(ふん)し、一人(ひとり)でその宿(やど)()まりました。
 悪智恵(わるじえ)無知(むち)(かみ)(ゆる)(はず)もなく、その時分(じぶん)宿(やど)(すで)(ちち)(むすめ)二人(ふたり)だけで細々(ほそぼそ)(いとな)まれておりました。すると(うわさ)(たが)わない()()きで、(おとこ)はその宿(やど)(うつく)しい(むすめ)一緒(いっしょ)()ました。やがて()()け、(むすめ)がぐっすり()てしまうと、自分(じぶん)布団(ふとん)にくるまりながら(おとこ)色々(いろいろ)(かんが)えを(めぐ)らせました。そして(しばら)()ってから、(おとこ)自分(じぶん)()ていた布団(ふとん)(むすめ)をそっと(うつ)し、自分(じぶん)(むすめ)()ていた布団(ふとん)にくるまり、じっとしていました。
 すると真夜中(まよなか)のこと、(あん)(じょう)突如(とつじょ)天井(てんじょう)から(やり)()ちてきて布団(ふとん)()()さりました。
 (やり)()()ろしたのはもちろん宿(やど)(あるじ)であり、(きゃく)布団(ふとん)()ているのが(むすめ)とは(おも)わず、その(よこ)(むすめ)布団(ふとん)(なか)()ているのが旅人(たびびと)だとは気付(きづ)きもしませんでした。
 その()父親(ちちおや)()ぐに()げて行方(ゆくえ)()らずとなりましたが、子孫(しそん)(つい)()え、屋敷(やしき)と、「(はい)(ひと)はいるが、()()(ひと)はいない。」という(うた)だけが(のこ)ったそうな。


 
※この話の参考とした話
沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~「瀬名波の民話」読谷村民話資料4
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村喜名~『喜名の民話』読谷村民話資料2
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~『儀間の民話』読谷村民話資料5
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~『渡慶次の民話』読谷村民話資料7
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村長浜~『長浜の民話』読谷村民話資料3
同上~同上


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●伝承地
沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~むかし昔、久良波祝女殿内は、祝女の住む殿内だけれども、そこは、山原への道だったので、ちょうど旅宿だったようだ。それで、客は、首里からも那覇からも、あちらこちらからやって来た。客は、泊まり客が多く、よく泊まったので、それで大変儲かったらしい。この祝女殿内に、「入る人はいるが、出て来る人はいない」という、話がある。それはどうしてかというと、旅人がそこに泊まると、宿の主は初め、自分の美しい娘だけれども、そこの座敷に寝かせておいた。そうして客が、眠った時分に上から、天井から槍を下ろして、すぐに、泊まっている客を槍で射ち止めて、お金やら宝物やらを全部盗んでしまったようだ。盗んで、その宿の主は、あれからもこれからも、大変多くの物を盗ったので、世間の噂が悪くなり、「これは、このままではいけない」と官府も考えていた。また、ある、知恵のある人が、「お金のある人を苦しめてはいけない」と思って、それで、自分一人でそこに行って泊まった。初めは、この寝間で布団から何から被って、そこの女も一緒に寝ていた。その客は、「これは、物事はよく考えなければいけない」と思い、自分の被っている布団や寝具は、その女に被せておいて、そんなふうにしておいてまた、自分は女物を被っていた。そしたら思った通り、いよいよ、その天井から槍を下ろしているようだ。槍を下ろしたら、そこの女が客の物を被っているし、またそこに泊まっている人は、女物を被っていた。それで自分の娘を客と思って、すぐそこに槍を立ててみたら、自分の娘に当たってしまったらしい。この例え話から、「久良波祝女殿内に、入る人は居るが、出て来る人は、一人もいない。」という歌が、作られていたという話。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~客と間違えて娘を殺してしまった旅館の夫婦は、翌日首を吊って死んでいた。(「瀬名波の民話」読谷村民話資料4)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村喜名~久良波首里殿内では、来客を待って殺しては家の裏側に埋めていた。ある時、一人の武士がそこに泊まった。そして寝た振りをしていた。すると娘が包丁を持って入って来た。侍はすかさずその娘を捕らえた。(『喜名の民話』読谷村民話資料2)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~宿屋の近くに住む草刈りが道端で、「久良波首里殿内、入る人やうしが、出じる人ぉうらん」と歌を歌っていた。草刈りから訳を聞いた侍が試してみようと思い、そこに泊まった。真夜中父親が包丁を研いでいたので、娘と場所を入れ変わった。すると父親は自分の娘を殺してしまった。そこは子孫も絶えて、屋敷ばかりが残っている。(『儀間の民話』読谷村民話資料5)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~泊まり客を食べてしまうという鬼の家があった。ある旅人が、その家の灯を見付、一夜を明かそうと思った。そこが鬼の家だとわかり、どうして逃げ出そうかと考えている時、ある易者の言葉を思い出した。「急がばまわれ」である。旅人は風にまかせてゆれる竹にしがみつき、垣根を越えて外に出た。それから、足跡を残すといけないと思って後ろ向きで逃げた。(『渡慶次の民話』読谷村民話資料7)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村長浜~久良波首里殿内にカボチャを植えたそうだ。そこは、沢山の人を殺して埋めてあるので、大豊作だった。実ったカボチャはとても大きく、その中に人の頭蓋骨が入っていたという。(『長浜の民話』読谷村民話資料3)
同上~旅人を殺して埋めた所に冬瓜が出来たが、たった一つしか実らなかった。出来た冬瓜を切ってみると、血が出て来た。だから現在でも、一つしか実らない冬瓜は食べるものではないと言われている。(同上)

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