白銀堂 ~琉球沖縄の伝説
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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第183話。
白銀堂
昔から沖縄ではよく知られたお話の一つです。
むかし昔のことです。薩摩国の人が、糸満のマンクーという人にお金を貸しました。
昔から糸満の漁師は、あちこちの海に出掛けて行って漁をする事で有名でしたが、このマンクーは、難破して魚具等をすっかり無くしてしまい、新しく漁をするための道具を揃えるために、お金を借りたのでした。
やがて、その借金の期日になり、薩摩からお金を貸した人がお金を取りにやって来ました。
するとマンクーが答えて言うことには、
「実は、お金を作ることが出来ませんでした。誠に申し訳ございません。必ずお返しますから、もう少しだけ待って下さい。」と。
薩摩の人はそれを聞いて言うことには、
「最初ですから、一度は聞いてあげましょう。次には必ずお返し下さい。」と。
そう言って、仕方なしに帰りました。
そして、次に約束した日に薩摩の人がやって来ると、やはりまだお金は用意出来ていません。
流石に薩摩の人は、約束を二度までも守らず、私を騙しおってと怒り、マンクーを切り捨てようとしました。
すると必死にマンクーが言うことには、
「どうかお待ち下さい。私には、本当にお金が無いんです。返済を伸ばして下さったあなたのお金のお蔭で、私は何とか仕事を続けられており、あなた様には大変に恩義を感じております。必ずお返ししなければと思って頑張っているのですが、漁師の仕事は自然相手で、偶々、このところ不漁続きなのです。
ただ、お返し出来ないのも、約束を守れなかったのも事実で、切られても仕方がない事だと覚悟は決めています。但し、勘違いをなさらないで下さい。あなたを騙そうと思ったり、全く守れない約束をしたつもりはございません。それだけは、どうぞ信じて下さい。
それから今のあなたは、ただ意地にまかせて刀を振り上げていらっしゃいます。ただそれには理由があることで、私があなたの刀で殺されても、なにもお恨み致しません。けれども、私が生きていてこそ、あなたは私からお金が取れるのではないでしょうか。私が死ねば、確かにあなたの気持ちは収まりますが、お金は取れないのですから、それでは意味がありません。
ところで私には、祖先から言い伝えられてきた言葉がございます。それは、『意地が出たら手を引きなさい。手が出たら意地を引きなさい。』という言葉です。
私がこれを言うのは、何もあなたから借りたお金の返済を伸ばして頂だくためでも、言い逃れで申し上げているのでもございません。私はそういった先祖からの戒めを大切に信じている人間で、あなたへの真心を信じて頂きたくて、お話ししました。
次にあなたがここへいらっしゃる時には、必ずやお金を作ってお待ち申し上げておりますので、どうかもう一度だけ、返済を伸ばしては頂けないでしょうか。」と。
マンクーの話を聞いた薩摩の人が言うことには、
「確かに、お前が言うことには一理ある。しかも返すお金が無いのでは仕方がない。しかもお前を殺したところで、私には、結局、お金は戻らない。
お前は本当にお金を返して、私との約束を守れるのか。」と。
マンクーは、「間違いなく、約束をお守り致します。」と。
薩摩の人はそれを聞くと、次に来るまで多目に時間をとってあげるから、必ず約束を守って下さいと言うと、国に帰って行きました。
さて、薩摩の人は、当時の長旅の末、故郷の自宅に帰り着いたのが調度夜中の、誰もが寝静まった時刻でした。薩摩の男は、寝ている者を起こしてはと配慮しながら妻が待つ寝室へ静かに入っていきました。すると妻が、男と一緒に寝ているではありませんか。あろうことか、長旅で疲れてやっと家に帰ってみれば、妻は自分の留守中に間男を連れ込んでいたのですから、男はそれを見るなり頭に血が上り、刀を抜くと、先ず間男を殺そうと刀を振り上げたのでした。
ところがその時、男は、糸満マンクーが言った言葉を思い出したのです。
意地が出たら手を引け、
手が出たら意地を引け。
そこで男は、念のためにと思い、明かりで間男をそっと照らしてみました。すると男ではなく、母なのでした。息子が旅行中に、嫁に何かあったら大変だと、母は男装して、夜な夜な嫁を守るため、一緒に寝ていたのでした。
暫くして、目が覚めた妻と母に向かって呟きました。
「もう少しで私は大変なことをしてしまうところだった。」と。
それから月日が経ち、マンクーとの約束の日に薩摩の人は糸満にやって来ました。するとマンクーは、今度 こそ借りたお金をきちんと作り、更に利子まで加えて待っていました。そして言う事には、
「あなたのお陰で、今も命があって、こうしてあなたにお金が返せて嬉しいです。ありがとうございました。謹んで、どうぞお納め下さい。」と。
すると薩摩の人が、応えて言う事には、
「いやいや、私は今日ここに来たのは、お金を取りに来たわけではないのです。
実はあなたのお陰で、私は親と妻の二人の命を救う事が出来たのです。」と言うと、事の、いきさつを話して聞かせました。そして更に言う事には、
「そんな訳で、親と妻が今も生きているのはあなたのお陰で、あなたは私の恩人なのですから、そのお金を取るわけにはまいりません。命はお金では買えませんから。どうぞそのお金は、お納め下さい。」と。
ところがそれから、マンクーは「いや、これは借りたお金で、返すのが当たり前です。」と言い、薩摩の男は「このお金は親と妻の命と同じで、私は取る事が出来ない。」と言います。こうして二人はしばらく押し問答を繰り返し、頭を抱え込んでしまいました。
そして最後には、どうしたらよいか二人でよく相談した上で、きっとこのお金は普通のものではなく、神様が二人を引き合わせて授けて下さった幸運に違いないという話になりました。そこで、二人の変わらぬ友情の証と、神様への感謝を込めて、今の糸満の白銀堂のある場所にお金を持っていって埋めたそうです。
それからというもの、今まで以上に白銀堂の神と、そしてお金を拝む者が増えて、いつしか名前も今の白銀堂になったそうな。
※この話の参考とした話
①柳田~「金塚」
②沖縄本島・沖縄県那覇市久米~『那覇の民話資料』第四集首里地区
③沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~『渡慶次の民話』読谷村民話資料7
④沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
⑤沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~『瀬名波の民話』読谷村民話資料4
⑥沖縄本島・沖縄県島尻郡伊是名村~『いぜな島の民話』
●文献
⑦沖縄本島・沖縄県糸満市~『遺老説伝』附巻
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●伝承地
①柳田~「金塚」
②沖縄本島・沖縄県那覇市久米~薩摩の人ですがね、糸満のマンクーという人にお金を貸したんです。昔から糸満の人は、あっちこっちの海に行って漁をする。それで、このマンクーは遭難にあって、魚具などをなくして、それらを作るため、お金を借りて、いつのいつに払いますから、ということになった。そして、その期限の日になって、薩摩から、お金を貸した人が、お金を取りにきた。マンクーは、「実は、まだそのお金を作ることができなかったので、何日まで待ってください」といったので、薩摩の人は、一回は、それを聞いて仕方がないからと帰った。次の約束の日にその人が来たがまたお金を作っていなかった。それでもう、この薩摩の人が、「私をだましているのか」といって怒って、刀で切ろうとすると、「待ってください。私は本当にお金がないので、のばしてもらっているのだから、あなたのお金は恩義のあるお金なので、必ず作ってお返ししますので、勘違いなさらないで、待っていてください。あなたは、ただ意地にまかせて、そうするがあなたの刀で殺されても、なにも恨みませんが、だけど私が生きていてこそあなたはお金が取れるのです。私を殺してはお金は取れないから、なんの意味もありません。そして、私の祖先から言いつけられたことばがある」といった。薩摩の人が「なんだ」と言うと、「『意地が出たら手を引きなさい。手が出たら意地を引きなさい』ということばです。私は、あなたから借りたお金をのばしてもらうために、あなたにそのように申し上げているつもりはありません。まず、私を真心から信じて待っていてください。今度こそ、次にあなたがいらっしゃるときには、必ずお金を作って待っていますから、もう一度この願いを聞いてください」といった。「もう仕方がない。お金があればお金を取るのだが、ないのだから、おまえがいうようにおまえを殺したところで、刀で殺したところで、お金は取れないので、それじゃおまえ、間違いないな」といった。「間違いありません」と言うので、それを聞いて国に帰った。帰ってみると、この薩摩の母親が男装して妻の座敷にいっしょに寝ていた。妻を守るためにその母親がね。それを、家に帰ってみたので、妻が、留守中に間男を連れこんでいると、勘違いして、「こいつ、ばかやろう」といって、刀を抜いて刀で打ち殺そうとしたが、糸満マンクーが言ったのを思い出して、「いや待て、『意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け』ということばがあったな」と、「まずは」といって、刀をさやに納めて、大声で叫んだ。そしたら実は、間男ではなく、母親が自分の妻を守っていてくれたのだ。起きたのを見てびっくりした。「はあ、もうすこしで私はたいへんなことになるところだった」といって。
それから、次の約束の日に糸満にきてみると、今度は、マンクーはお金をちゃんと作って、利子までも計算して作っておいて、「はあもう、あなたのお陰で、命も助かって、ちゃんとこうしてお金を作ったので、どうか納めてください」といったので、「いやいや、私は今日はお金を取りにきたのではない。おまえのお陰で、私の親と妻の二人の命を救うことができた。私はそのお金を取るわけにはいかない。おまえからそのお金は取れん」といった。「いやこれは借りたお金で、返すのはあたりまえです」といったが、「いや、このお金を、私は取ることはできない。命は親と同じだ」と、こうして後は仕方なくなって、薩摩の人も取らんといい、この人もお返ししないと気がすまないといった。後は、ここの糸満の今の白銀堂という所に埋めて、これはふつうのものではない、神様からのものだから、これを神として、そのお金を拝むようになって。それで白銀堂というのだ。
(『那覇の民話資料』第四集首里地区)
③沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~イビヌメーの神様から習った格言が、母親と妻の命を救うことになった。それで、薩摩の侍は、イビヌメーの神様がおられる所を崇めた。(『渡慶次の民話』読谷村民話資料7)
④沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~薩摩の侍に借金をした男は、娘を売って返済金を作った。侍は「情けのあるお金ですので、こちらで預かって下さい」と言って御願所に納めたということである。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
⑤沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~旅に出る前などには、白銀堂を拝んでから行った。(『瀬名波の民話』読谷村民話資料4)
⑥沖縄本島・沖縄県島尻郡伊是名村~男装して母親と一緒に寝ていたのは自分の妻である事を知った侍は、諺を教えてもらった糸満の人にお金をあげようとした。だが、受け取ってもらえず、現在の白銀堂のある地にそれを祀った。白銀堂という名も二人が付けた。(『いぜな島の民話』)
●文献
⑦沖縄本島・沖縄県糸満市~往昔の世、兼城間切糸満村の北に一岩有り。名を白銀岩と曰ふ。往昔、幸地村の人殿なる者有り、此の村に遷居す。倭人の銀を借り、数次限に違ひて償はず。一日、倭人来り索むるに、其れ家に在らず。倭人怒りて?(あまね)く尋ね、竟に美殿を其の岩下に得。便ち刀を抜きて之れを殺さんとす。美殿哀求して曰く、我豈敢て長く隠れて汝を騙さんや。奈んせん目下、力の償ふべき無く、今又信を失ひ、心深く之れを慚(は)ぢて隠るるのみ。懇求す、寛恩、死を免ぜられんことを。来年は、敢て再びは違はず。古人言ふ有り、心怒れば、即ち手を動かす勿れ、手動けば、即ち当に戒心すべしと。請ふ、其れ之れを思へと。倭人、之れを聞き、甚だ理有りと為し、乃ち限を寛くして去る。倭人帰国し、半夜家に到り、暗かに門戸を開きて入る。只ゝ見る、其の妻、奸夫と相抱きて寝るを。即ち怒り、抜刀手に在るのとき、忽ち美殿の戒を思ひ、乃ち火を挙げ照し視て、方めて母の伴寝たるを知る。従来其の母、子の遠出毎に、奸人の其の妻を逼?すること有るを恐れ、暗地、男粧に扮作し、相伴ひて寝る。伊の倭人、其の戒を聞くに因りて、母妻の命を全うし、感激已まず。嗣後、又琉球に到り、酒を携へて之れを謝す。時に、美殿も銀子を預備して償還し、各ゝ恩に感ず。而して倭人受くるを肯んぜず、美殿亦固く請ふ。竟に其の銀帰する所無く、乃ち之れを岩下に埋め、其の志を表す。後人、因りて名づけて白銀岩と曰ひ、遂に威部と為して尊ぶ。(『遺老説伝』附巻)
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