黄金山 ~琉球沖縄の伝説
みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第159話。
黄金山
むかし昔、大宜味村、田嘉里屋嘉比の、山口という家の先祖が、奄美大島まで航海した際、種子島に寄ることになりました。その島での、ある夜のことです。
一人の女性が、山口を訪ねて来て言うことには、
「船主の、山口様でしょうか。」と。
「その通り、私は山口だが、一体何の用ですか。」と。
「見ず知らずの私が、誠に御無理な御願いをするのは充分に理解しておりますが、どうか私を、琉球に連れて行って下さいませんか。何卒宜しく御願い致します。」と。
「これはまた急に、どうしてそんなことを考えたのか、訳をお聞きしましょう。」と。
「実は、私、この種子島の島主の娘でございます。
島に好きな男性がおりますが、しかしながら父は二人の仲を、どうしても許してはくれません。
恥ずかしながら、誰にも言っておりませんが、既に私の体にはその人の子が宿っております。それでこうしてお願いしている次第なのです。」と。
「よくわかりました。子どもが生まれたら、その男は必ずあなたと子どもを迎えに行くと言っているのですね。」と。
「はい。そのように約束しております。」と。
「よし。そういうことでしたら、私の船にお乗りなさい。」と。
こうして、島主の娘は屋嘉比にやって来ました。そして月日が流れ、玉のような男の子が生まれました。子どもの生育は順調で、丸々と太った元気な子に育ちました。子どもは立派に成長したものの、母親の種子島に帰りたい気持ちは募るばかりでした。
村の人達は、森の中の洞穴を住み処にして不自由を耐え忍んで子育てする女性に、みな同情しました。そして彼女のために、どうか早く夫の迎えの船が来ますようにと、みんなでお祈りをしてあげました。
しかしながら、子どもを抱いて北の海を眺め続けた女性に、やがて疲れの色がみえはじめ、遂に病の床に伏すようになってしまったそうです。
そんなある日のこと、女性は病をおして、一人で起き出すと、故郷から持って来た黄金を森の中に埋めに行くと、間もなく死んでしまったそうです。
それからその山は、黄金山と呼ばれるようになりました。
北の田嘉里周辺の人は、残された子の血を引く子孫ともいわれ、氏神として黄金山をお祀りして、旧七月の第二の戌の日には村芝居をして、種子島の女性の肖像を掲げて、拝むそうな。
※この話の参考とした話
①柳田~「長者屋敷」「金塚」
②沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村字田嘉里~『大宜味のむかし話』
③沖縄本島・国頭郡国頭村~『国頭村史』
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●伝承地
①柳田~「長者屋敷」「金塚」
②沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村字田嘉里~昔、大宜味村の田嘉里屋嘉比の山口という家の先祖が奄美大島に航海していたとき、たまたま種子島まで寄った。するとある夜のこと一人の女が山口をたずねてきた。「船主の山口さまでしょうか。」と言った。「わしは山口だが、何か用かね。」「まことに、ご無理なことと存じますが、私を琉球につれて行って下さいませんか。」「急にまたどうしてそんなことを。」「はい、私はこの種子島の島主の娘でございます。好きな男がいますが、父は不義密通と申しまして二人の仲を許してくれません。お恥ずかしいことに、私の体にはその人の子が宿っております。それでお願いでございます。」「わかった。それでは子供が生まれたら、その男が迎えにくるのだな。」「そのように約束いたしております。」「よし、そんならこの船に乗りなされ。」ということになって、島主の娘は屋嘉比まできた。こうして月が満ち、玉のような男の子が生まれた。子供も育ちがよく、丸々と元気な子に成長した。子供が立派になるにつれて、女は種子島に帰りたい心がつのるばかりであった。村の人たちは、森の中のほらあなを家にして、不自由を忍んでいる女にみな同情して、どうぞ早く迎えの船の来るようにと祈った。毎年子供を抱いて北の海を眺めていた女に疲れの色が見えて、女はついに病の床に伏してしまった。そしてある日一人で起き出して持っていた黄金をこの森の中に埋めた。間もなく女は死んでしまった。持参の黄金を埋めたのでそこを黄金山と呼んだ。北部の田嘉里のあたりの人は、この残された子の子孫だということである。それで氏神として黄金山でお祭りをして、なお旧七月の第二の戌の日には村芝居をするが、その日は種子島の女の肖像をかかげて礼拝するとのことである。(『大宜味のむかし話』)
③沖縄本島・国頭郡国頭村~昔、漁師達が夜の漁に出て岩山の近くを通
ると、頂上に黄金の花が光を放っていた。こういうことが度々あって、黄金の森という名が付いた。(『国頭村史』)
※安須森御嶽/辺戸御嶽は、琉球開闢七御嶽の一つで琉球最高の聖地である。シヌクシ嶽、アフリ嶽(安須森御嶽)、シチャラ(チザラ)嶽、イヘヤ嶽の、四つの山々の総称(金剛石林山はイヘヤ嶽の一部)。「安須森」を「あすもり」と今は一般的に呼ぶものの、『国頭村史』には「あしむり」が正しい呼び方とある。『琉球国由来記』には「アフリ嶽 神名カンナカノ御イベ」とあり、今帰仁のアフリノハナに涼傘が立つ時、アフリ嶽に君真物の神(※琉球神道の女神。琉球神道に伝わる女神。最高の精霊の意)が現れるという。また、琉球國時代、国王就任に際しては、君手摩という神が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に次々と巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるとされた。山全体は、仏が寝ているように見え、辺戸岳とも。一帯の山「黄金山」は「くがにやま」と今は呼ばれるが、かつては「くがにむい」と呼ばれた。琉球神話では、日の大神(最高神)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせたとある。アマミキヨは命を受けて沖縄本島を作り、『中山世鑑』によると、そこに9つの聖地、『聞得大君御規式の次第』によると、7つの森を作ったとされる。現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが琉球開闢七御嶽として語り継がれ、琉球信仰における最も神聖な御嶽とされる。一方、琉球國の、祭政一致の体制で最重視された御嶽は斎場御嶽で、聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれた(ちなみに斎場御嶽からはアマミキヨ降臨の聖地久高島が遥拝できるものの、琉球王府の史料には出てこない)。なお、アマミキヨが作ったとされる順は、安須森御嶽、クボウ御嶽、斎場御嶽、薮薩御嶽、雨つづ天つぎ御嶽、クボー御嶽、首里真玉森御嶽であり、琉球神話や琉球信仰、琉球開闢七御嶽の上では、安須森御嶽、つまり黄金山が琉球最高の聖地である。
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