てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 伝説・歴史・雑学・言い伝え等 › 七夕は、中国から広がっていった伝説です。
七夕(たなばた/しちせき)の伝説は、
中国から広がっていったお話です。



「羽衣をなびかせ、
天から琉球沖縄に舞い降りた天女とは?」の、
「多良間島の羽衣伝説」で少し()れましたが、
七夕伝説は、もともと、中国の古い神話です。

http://totoro820.ti-da.net/e2499139.html


日本にも古くから伝わったため、
早くから日本文化に()()んで、今では、
日本の伝統的な文化と勘違(かんちが)いされるほど、
日本人なら誰でも知っている民話の一つに、
なっています。


そもそも、中国を起源とする七夕伝説の話は、
広く、そして、深く、
古い時代から日本中に浸透(しんとう)していきました。
それは、
日本人、日本人の心、そして日本の土地に、
とても合う内容だったからかも知れません。


何しろ、今のように明るくなかった夜、
空を見上げると、
天の川という星の川が流れていたのですから、
それにまつわる話が、人々を魅了したのは、
当然といえることでしょう。


日本各地はおろか、
実は、アジア全体にこの伝説は広がり、
七夕を祝う習慣は、
アジア各地で今もなお、残っています。


日本では、
織り姫(おりひめ)彦星(ひこぼし)の、とっても悲しい話として有名。


元祖、中国の話の方は、
牽牛星(けんぎゅうせい)織女星(しゅくじょせい)の、お話。
牛郎織女(ぎゅうろうしょくじょ)』という中国の神話伝説で、
古代中国の民間説話の一つです。




『古詩十九首』 ~その十~
「迢迢牽牛星」


迢迢牽牛星 (迢迢たる 牽牛星)
皎皎河漢女 (皎皎たる 河漢の女)
繊繊擢素手 (繊繊として 素手を擢げ)
扎扎弄機杼 (扎扎として 機杼を弄す)
終日不成章 (終日 章を成さず)
泣涕零如雨 (泣涕 零つること 雨の如し)
河漢清且淺 (河漢は 清く 且つ 淺し)
相去復幾許 (相い去ること 復た幾許ぞ)
盈盈一水間 (盈盈たる 一水の間あり)
脈脈不得語 (脈脈として 語るを得ず)

迢迢(ちょうちょう)たる牽牛星(けんぎゅうせい)
 (はる)かなる牽牛星(けんぎゅうせい)
皎皎(きょうきょう)たる河漢(かかん)(おんな)
 白く輝く天の河(あまのがわの)の女
繊繊(せんせん)として素手(そしゅ)()
 ほっそりとした白い手をあげては
扎扎(さつさつ)として機杼(きちょ)(ろう)
 ささっと、機織(はたお)りの(ちょ)(あやつ)
終日(しゅうじつ) (しょう)()さず
 一日、()り続けても、
 なかなか模様(もよう)は織りあがらず
泣涕(きゅうてい)()つること(あま)(ごと)
 流れ落ちる涙は、まるで雨のよう
河漢(かかん)(きよ)()(あさ)
 天の河は、清らかで、しかも、浅いというのに
(あい)()ること()幾許(いくばく)
 二人の距離は いったい、どれほどのものか
盈盈(えいえい)たる 一水(いっすい)(かん)あり
 容姿端麗(ようしたんれい)織女(しゅくじょ)は、
 一筋(ひとすじ)(かわ)(へだ)てられ
脈脈(みゃくみゃく)として(かた)るを()
 言葉を()わすことなく、
 ただ、じっと見つめ合うばかりの二人



やがて、この中国の七夕(たなばた/しちせき)伝説は、
琉球各地や島々の生活と文化にも溶け込み、
実に、多様(たよう)な話に変化して、
琉球沖縄の先祖から、今に、時代を越えて、
民話として語り()がれ、伝わってきました。





織姫(おりひめ)彦星(ひこぼし)の話を、知らない人のための、補足。

(※こと座の1等星ベガは、
日本の七夕伝説の、織姫の星として知られている。)

織姫(おりひめ)は、天帝(てんてい)の娘。
そして、機織(はたおり)が上手(じょうず)な、働き者の娘だった。
(※わし座のアルタイルは、
日本の七夕伝説の、彦星として知られている。)

彦星は牛追(うしお)いで、彼もまた、たいへん働き者であった。

二人は恋に落ち、天帝は、二人の結婚を認めた。

めでたく夫婦となった二人であったが、
夫婦生活が、あまりにも楽しいため、
織姫は機(はた)を、ちっとも織(お)らなくなり、
彦星のほうもまた、ちっとも牛を追わなくなり、
二人は、毎日、楽しく遊んですごしていた。

それを知った天帝は怒(いか)り、
二人を、天の川の、向こうとこちらに隔(へだ)てて、
引き離してしまった。

そして、一年に一度、7月7日にだけ、
天帝は、二人が会うことを許した。

その日、
天の川に、どこからともなくカササギが飛んできて橋を架(か)け、
二人は、会うことができる。

しかしながら、
もしも7月7日に雨が降ってしまうと、
天の川の水かさが増して、織姫は渡ることができず、
彦星もまた、彼女に会うことができない。



※星の逢引であることから、
七夕には「星あい」という別名がある。
また、この日に降る雨は、「催涙雨」とも呼ばれ、
「催涙雨」は、織姫と彦星が流す涙と言われる。

上の、中国の古典文学である、七夕の説話(せつわ)は、
長い歴史を通して、中国各地の民話として広がり、
様々(さまざま)な内容に変化しながら、
アジア各地に、広がっていったのです。




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