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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第26話。
小島の暗河
むかし
ある時に男が、
ところが「
ある日のことです。
それを見て男は、てっきり「ねんごろ」が
「
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀造~『徳之島の昔話』
②大島郡伊仙町小島~『徳之島民話集』
③奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~同上
④奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀徳~同上
⑤奄美・鹿児島県大島瀬戸内町蘇刈~南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』
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●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀造~
だんと、音(うとう)わたる、島尻ぬ暗河(くらごう)
〈なんと、その名も高い、島尻の暗河よ〉
をぅなりぬひり知らぬ、あわれ暗河
〈兄妹の見分けもつかない、あはれ、暗河よ〉
このネィグリ(根本)はこういうことだ。昔は、そこに作ってあるようなサバ(草履)を作って履くものであった。井ヒリ(男の兄弟)がヲゥナリ(女の姉妹)に二つのサバを作って持って来て、いいサバはネンゴロ(妾)にやって、悪い方はお前が履けといって渡してあった。ヲゥナリは妾(ねんごろ)のサバが綺麗だったので、それを妾にやらずに自分のものにしてしまった。ある日、そのサバが暗河の入ロにぬいであったので、男はてっきり妾が暗河にいるものと思いこみ、その暗河の中で自分のヲゥナリをねぃんごろにしてしまった。そこで、そのヲゥナリは人のしないことをしたいというので身を投げて死んでしまったという。(『徳之島の昔話』)
②大島郡伊仙町小島~伊仙町の小島クラゴーという鍾乳洞(しょうにゅうどう)のほかにウナリ(妹)とイーリ(兄)が住みついていた。二人は多くの子どもをうみ、小島をひらいた。(『徳之島民話集』)
③奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~検福に好き合っている若い男女がいた。男は愛する女にわらぞうりをこしらえてやった。女は、男の妹にそのぞうりを与えた。妹は、検福の鍾乳洞にぞうりをはいて水汲みに行き、洞穴の入口にぞうりをぬぎ入っていった。男も牛をひいて洞穴にやってきて、ぞうりをみて、愛人と思って妹と愛を交換した。妹は洞穴に姿を消した。(同上)
④奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀徳~遠い昔、ウトゥンジャマ・エー(兄妹洞)という小さい鍾乳洞のなかに仲の良いウナリ(妹)とイーリ(兄)が住みついき、多くの子どもをうみ、亀徳をひらいた。(同上)
⑤奄美・鹿児島県大島瀬戸内町蘇刈~昔、沖縄のある村の洞穴の入口に一足のわらじがあった。それをみた男が中に入ると女がいたので二人は結ばれた。二人は兄妹であった。人間の始まりである。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
①奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀造~
だんと、音(うとう)わたる、島尻ぬ暗河(くらごう)
〈なんと、その名も高い、島尻の暗河よ〉
をぅなりぬひり知らぬ、あわれ暗河
〈兄妹の見分けもつかない、あはれ、暗河よ〉
このネィグリ(根本)はこういうことだ。昔は、そこに作ってあるようなサバ(草履)を作って履くものであった。井ヒリ(男の兄弟)がヲゥナリ(女の姉妹)に二つのサバを作って持って来て、いいサバはネンゴロ(妾)にやって、悪い方はお前が履けといって渡してあった。ヲゥナリは妾(ねんごろ)のサバが綺麗だったので、それを妾にやらずに自分のものにしてしまった。ある日、そのサバが暗河の入ロにぬいであったので、男はてっきり妾が暗河にいるものと思いこみ、その暗河の中で自分のヲゥナリをねぃんごろにしてしまった。そこで、そのヲゥナリは人のしないことをしたいというので身を投げて死んでしまったという。(『徳之島の昔話』)
②大島郡伊仙町小島~伊仙町の小島クラゴーという鍾乳洞(しょうにゅうどう)のほかにウナリ(妹)とイーリ(兄)が住みついていた。二人は多くの子どもをうみ、小島をひらいた。(『徳之島民話集』)
③奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~検福に好き合っている若い男女がいた。男は愛する女にわらぞうりをこしらえてやった。女は、男の妹にそのぞうりを与えた。妹は、検福の鍾乳洞にぞうりをはいて水汲みに行き、洞穴の入口にぞうりをぬぎ入っていった。男も牛をひいて洞穴にやってきて、ぞうりをみて、愛人と思って妹と愛を交換した。妹は洞穴に姿を消した。(同上)
④奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀徳~遠い昔、ウトゥンジャマ・エー(兄妹洞)という小さい鍾乳洞のなかに仲の良いウナリ(妹)とイーリ(兄)が住みついき、多くの子どもをうみ、亀徳をひらいた。(同上)
⑤奄美・鹿児島県大島瀬戸内町蘇刈~昔、沖縄のある村の洞穴の入口に一足のわらじがあった。それをみた男が中に入ると女がいたので二人は結ばれた。二人は兄妹であった。人間の始まりである。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
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コメントありがとうございます。
お父上の偉業は、偉業にとどまらず、
先祖から伝わる奄美の古典芸能なのですから、
それは同時に、伝統と歴史の継承でもあります。
お父様の、生きた軌跡を残すことは同時に、
親孝行であるはもちろんのこと、
とても価値ある行動にもなりますから、
ぜひ、頑張って頂きたいと思います。
では。
Posted by 横浜のトシ
at 2021年06月30日 15:23

Posted by おいちゃん at 2021年06月27日 21:55
Posted by 横浜のトシ
at 2021年06月27日 09:35

太原俊成の息子の、おいちゃん、と申します。
亀レス、横レス、すみません、、、
伝説・奄美篇は興味深く、今後、じっくりと読み進めさせて頂きます。
くがなー様は父の事が詳しいですね!
出来れば色々と御話ししたいです、、、
父の偉業を伝える為に友人とユーチューブやインスタグラムを始めました。
太原俊成で検索すると見て聴く事が出来ます。
皆様、大変失礼いたしました。
Posted by おいちゃん at 2021年06月26日 21:50
Posted by 横浜のtoshi
at 2010年11月14日 16:28

この先生の唄には独特な古さがやはりあり、関西奄美民謡界での長老でもあり重鎮ですよ、もちろん奄美大島でもですが。
Posted by くがなー at 2010年11月14日 12:52
それはそれは、くがなーサンの母方の故郷は、奄美だったんですねぇ。
奄美は、一度しか行っていませんが、
レンタカーで奄美を一周したほか、
車で、加計呂麻島(かけろまじま)にも足を伸ばしました。
カケロマ・ブルーを堪能し、
諸鈍の海岸では、貝の多さに、海の中の豊かさに驚愕しました。
嘉鉄でしたか。ヤドリ浜へ行く時に、嘉鉄の海岸で、ちょっと遊びました。
その時に、
嘉鉄は、唄者を数多く輩出している、シマ唄の盛んな土地だとお聞きしました。
いつも貴重な情報を、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi
at 2010年11月14日 10:46

これがきっかけで奄美大島は琉球中山王朝の正式な領地になったのだそうです。
奄美で言う「諸鈍の乱、ナングモリバルの乱」沖縄で言う「大島征伐、大島進攻」の事ですが、関係していたようですね。
Posted by くがなー at 2010年11月14日 00:04
文化祭に続き、
土曜は、学校が終わって、
私学のつどい、という催しの準備のため、夜遅くまで手伝いに、
昨日は、全日、私学のつどい、という式典でした。
横浜は、私学発祥の地ですから、
それなりに、大変でした。
教育セミナーの一つが担当で、
司会や、その準備が大変でしたが、無事、なんとか。
東大の名誉教授である、
大田堯(ひろし)先生の講演は、有意義でした。
僕の先生である、田嶋一先生の先生です。
イチャリバ チョオデェ
(行逢り場、兄弟)
は、
出会えばみな兄弟。
出会った人と温かく接し、触れ合いや、つながりを大切にしましょう、という意だったと思います。
いつも、コメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi
at 2010年11月08日 14:57

人が、昔から罪深いという表現も、少なくはありませんが、
逆の話も多いです。
また、人は神(逆に、神が人)であったりもします。
確かに、
自分の手で、渡せば、普通のことで、何も起こらなかったでしょうねぇ。
そして、伝わるべき話とも、民話とも、ならなかったことでしょう。
いつも、コメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi
at 2010年11月08日 14:50

Posted by SUZU
at 2010年11月08日 12:18

Posted by ぐるんぱ at 2010年11月08日 09:41
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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