小島の暗河 ~琉球沖縄の伝説

2010年11月07日

Posted by 横浜のtoshi at 20:20│Comments(12)琉球沖縄の伝説・奄美編
みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第26話。


小島の暗河(くらごう)



 むかし(むかし)のお話です。その経緯(いきさつ)はこうです。
 ある時に男が、二足(にそく)の、「さば(※草履(ぞうり))」という()(もの)(つく)りました。
 出来上(できあ)がると、男は「をぅなり()」に二足の「さば」を渡し、出来(でき)が良い「さば」の(ほう)を、「ねんごろ(※(めかけ))」の女性(じょせい)(わた)すように言い、もう一つを、お(まえ)()きなさいと言って(わた)したそうです。
 ところが「をぅなり()」は、「ねんごろ」の「さば」の(ほう)出来(でき)(あま)りに素晴(すば)らしかったので、(めかけ)には(わた)さずそれを自分の物にしてしまいました。
 ある日のことです。綺麗(きれい)な「さば」が暗河(くらごう)鍾乳洞洞窟(しょうにゅうどうどうくつ)入ロ(いりぐち)()いでありました。
 それを見て男は、てっきり「ねんごろ」が暗河(くらごう)の中にいるものと思って入って行き、いつものように二人は(あい)()ったのでした。ちなみに「をぅなり()」の方は、(くら)がりの中で素適(すてき)男性(だんせい)(むす)ばれたのだと思っていました。
 ()っていく男の(うし)姿(すがた)を見た「をぅなり()」は、初めて男が兄だと知って驚き、自分が「さば」を(ぬす)んだために兄とこのような(ねんご)ろな関係(かんけい)になってしまったのだと気づきました。
 「をぅなり()」は、人がしてはいけない事をしてしまった後悔(こうかい)と、()ずかしさの(あま)り、そのまま()()げて死んでしまったそうな。



※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀造~『徳之島の昔話』
大島郡伊仙町小島~『徳之島民話集』
奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~同上
奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀徳~同上
奄美・鹿児島県大島瀬戸内町蘇刈~南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀造~
  だんと、音(うとう)わたる、島尻ぬ暗河(くらごう)
      〈なんと、その名も高い、島尻の暗河よ〉
  をぅなりぬひり知らぬ、あわれ暗河
      〈兄妹の見分けもつかない、あはれ、暗河よ〉
 このネィグリ(根本)はこういうことだ。昔は、そこに作ってあるようなサバ(草履)を作って履くものであった。井ヒリ(男の兄弟)がヲゥナリ(女の姉妹)に二つのサバを作って持って来て、いいサバはネンゴロ(妾)にやって、悪い方はお前が履けといって渡してあった。ヲゥナリは妾(ねんごろ)のサバが綺麗だったので、それを妾にやらずに自分のものにしてしまった。ある日、そのサバが暗河の入ロにぬいであったので、男はてっきり妾が暗河にいるものと思いこみ、その暗河の中で自分のヲゥナリをねぃんごろにしてしまった。そこで、そのヲゥナリは人のしないことをしたいというので身を投げて死んでしまったという。(『徳之島の昔話』)
大島郡伊仙町小島~伊仙町の小島クラゴーという鍾乳洞(しょうにゅうどう)のほかにウナリ(妹)とイーリ(兄)が住みついていた。二人は多くの子どもをうみ、小島をひらいた。(『徳之島民話集』)
奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~検福に好き合っている若い男女がいた。男は愛する女にわらぞうりをこしらえてやった。女は、男の妹にそのぞうりを与えた。妹は、検福の鍾乳洞にぞうりをはいて水汲みに行き、洞穴の入口にぞうりをぬぎ入っていった。男も牛をひいて洞穴にやってきて、ぞうりをみて、愛人と思って妹と愛を交換した。妹は洞穴に姿を消した。(同上)
奄美・鹿児島県大島郡徳之島町亀徳~遠い昔、ウトゥンジャマ・エー(兄妹洞)という小さい鍾乳洞のなかに仲の良いウナリ(妹)とイーリ(兄)が住みついき、多くの子どもをうみ、亀徳をひらいた。(同上)
奄美・鹿児島県大島瀬戸内町蘇刈~昔、沖縄のある村の洞穴の入口に一足のわらじがあった。それをみた男が中に入ると女がいたので二人は結ばれた。二人は兄妹であった。人間の始まりである。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)


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おいちゃん様。

コメントありがとうございます。

お父上の偉業は、偉業にとどまらず、
先祖から伝わる奄美の古典芸能なのですから、
それは同時に、伝統と歴史の継承でもあります。

お父様の、生きた軌跡を残すことは同時に、
親孝行であるはもちろんのこと、
とても価値ある行動にもなりますから、
ぜひ、頑張って頂きたいと思います。

では。
Posted by 横浜のトシ横浜のトシ at 2021年06月30日 15:23


横浜のtoshi様
早々の御返事ありがとうございます!
重ねて、応援ありがとうございます!
親孝行は永遠に、、、
であります。
Posted by おいちゃん at 2021年06月27日 21:55


おいちゃん様。

ご丁寧にコメントありがとうございました。

父の偉業を伝える為に活動なさっているとのこと、
引き続き頑張って下さい。
では。
Posted by 横浜のトシ横浜のトシ at 2021年06月27日 09:35


皆様、初めまして!
太原俊成の息子の、おいちゃん、と申します。

亀レス、横レス、すみません、、、

伝説・奄美篇は興味深く、今後、じっくりと読み進めさせて頂きます。

くがなー様は父の事が詳しいですね!
出来れば色々と御話ししたいです、、、

父の偉業を伝える為に友人とユーチューブやインスタグラムを始めました。
太原俊成で検索すると見て聴く事が出来ます。

皆様、大変失礼いたしました。
Posted by おいちゃん at 2021年06月26日 21:50


くがなーサマ、こんにちは。

三線の世界は、あまり存じ上げないので、勉強になります。
そんなド素人の私ですが、
太原俊成先生の名は、たまたま存じておりました。

いつもコメント、ありがとうございます。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月14日 16:28


今のうちの近隣に住んでいらっしゃる太原俊成先生は嘉鉄出身の奄美を代表する唄者の一人です、ただ沖縄で長年働いてから大阪に移住されましたのでいまいち認知度が低いのですが、何を隠そう東京の国立劇場で初めて奄美民謡の公演を文化庁の企画で行ったのはこの太原俊成先生その人です。
この先生の唄には独特な古さがやはりあり、関西奄美民謡界での長老でもあり重鎮ですよ、もちろん奄美大島でもですが。
Posted by くがなー at 2010年11月14日 12:52


くがなーサン、こんにちは。

それはそれは、くがなーサンの母方の故郷は、奄美だったんですねぇ。
奄美は、一度しか行っていませんが、
レンタカーで奄美を一周したほか、
車で、加計呂麻島(かけろまじま)にも足を伸ばしました。
カケロマ・ブルーを堪能し、
諸鈍の海岸では、貝の多さに、海の中の豊かさに驚愕しました。

嘉鉄でしたか。ヤドリ浜へ行く時に、嘉鉄の海岸で、ちょっと遊びました。
その時に、
嘉鉄は、唄者を数多く輩出している、シマ唄の盛んな土地だとお聞きしました。

いつも貴重な情報を、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月14日 10:46


また奇遇ですが私の母方の故郷は瀬戸内町嘉鉄です、蘇刈の隣のです、数回蘇刈は古仁屋からの奄美交通(今の道之島交通)のマイクロバスで通過しましたよ、一つ手前のバス停のある集落です。この地域の独特な民謡「よん加那」は好きな唄です(他の地域の「よー加那」とは全く異なる)また、うちの母方の実家には平家の末裔伝承があり、屋敷に平家鎗と伝わる総螺鈿細工の柄に銀で作られた物凄く古い「細身の鎗」が家宝として床の間に梁の裏に隠してありますよ、家伝では昔加計呂麻島の諸鈍に城を構えた「平資盛」に随行していた従者の長柄大夫が先祖で、平資盛の指示で、宇検村名柄へ行った長柄家は兄でうちの先祖は弟であったとが、宇検村名柄へ行った長柄家は長柄八丸の代に当時の諸鈍の郷士の「難具盛原(ナングモリバル)」と共に尚元王の琉球王府に反逆して尚元王軍名護親方、摩文仁親方、そして尚元王に攻められ、最終的には滅ぼされたとの事です。
これがきっかけで奄美大島は琉球中山王朝の正式な領地になったのだそうです。
奄美で言う「諸鈍の乱、ナングモリバルの乱」沖縄で言う「大島征伐、大島進攻」の事ですが、関係していたようですね。
Posted by くがなー at 2010年11月14日 00:04


SUZUさん、はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。

文化祭に続き、
土曜は、学校が終わって、
私学のつどい、という催しの準備のため、夜遅くまで手伝いに、
昨日は、全日、私学のつどい、という式典でした。

横浜は、私学発祥の地ですから、
それなりに、大変でした。

教育セミナーの一つが担当で、
司会や、その準備が大変でしたが、無事、なんとか。

東大の名誉教授である、
大田堯(ひろし)先生の講演は、有意義でした。

僕の先生である、田嶋一先生の先生です。

イチャリバ チョオデェ
(行逢り場、兄弟)
は、
出会えばみな兄弟。
出会った人と温かく接し、触れ合いや、つながりを大切にしましょう、という意だったと思います。

いつも、コメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月08日 14:57


ぐるんぱサマ。はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。

人が、昔から罪深いという表現も、少なくはありませんが、
逆の話も多いです。
また、人は神(逆に、神が人)であったりもします。

確かに、
自分の手で、渡せば、普通のことで、何も起こらなかったでしょうねぇ。
そして、伝わるべき話とも、民話とも、ならなかったことでしょう。

いつも、コメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月08日 14:50


toshiさんこんにちは

人間のはじまり、ん~だから人類は皆兄弟・

いちゃりばちょうでぇ・・そんな意味では無い思いますけど・

体調は良くなりましたか?
Posted by SUZUSUZU at 2010年11月08日 12:18


人間は昔から罪深い生き物なんですね、、
兄は自分の手でネンゴロの女性に草履を渡すことを考えなかったのかしら?

着色したら、昼ドラになりそう~なんて思っちゃダメですよね
Posted by ぐるんぱ at 2010年11月08日 09:41


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