坊主ガナシ ~琉球沖縄の伝説

2011年01月24日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(2)琉球沖縄の伝説・奄美編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第77話。


坊主(ぼうじ)ガナシ



 むかし(むかし)沖永良部島(おきのえらぶじま)瀬利覚(せりかく/じっきょ)の、メントヌチの家(※坂井家)に、とても(うつく)しく(わか)(むすめ)がおりました。
 神人(かみんちゅ)である祝女(ノロ)が、琉球(りゅうきゅう)(おう)(ところ)グムチ(貢物/みつぎもの)(おさ)めに()(とき)一緒(いっしょ)()れられて()ったのでした。
 (むすめ)(うつく)しさは、そこに居並(いなら)人々(ひとびと)(すべ)ての()(うば)(ほど)でした。
 (おう)もまた一目(ひとめ)()るなり大層(たいそう)()()ってしまい、奥方(おくがた)一人(ひとり)(むか)えられたのでした。
 (たの)しい日々(ひび)(おく)るうちに身籠(みご)もったため、(むすめ)(しま)(かえ)って、お(さん)()()ちました。
 やがて十月十日(とつきとおか)()(なが)れ、(たま)のような(おとこ)()()まれたのでした。そして、坊主(ぼうじ)命名(めいめい)されました。
 坊主(ぼうじ)ガナシは、いちにち一日(いちにち)成長(せいちょう)してゆきましたが、色々(いろいろ)奇蹟(きせき)()こすために周囲(しゅうい)度々(たびたび)(おどろ)かせ、世間(せけん)では神童(しんどう)として()(はや)(もの)までいたそうです。
 そんな()()のこと、(おさな)坊主(ぼうじ)ガナシは、(はは)一緒(いっしょ)(はたけ)()きました。そして(はは)()った(いも)(ざる)(なか)()れる手伝(てつだ)いをしていましたが、坊主(ぼうじ)ガナシには、(なに)()()わぬ(こと)があったとみえて、(ざる)(なか)(いも)は、(すべ)(すずめ)になって()んで()ってしまったのでした。
 (おどろ)いたものの、(はは)息子(むすこ)に言うことには、
 「ああ、うちの坊主(ぼうじ)は、本当(ほんとう)()()だよ。(まった)く、お利口(りこう)坊主(ぼうじ)で、お(かあ)さんは、(うれ)しいよ。」と。
 そう、言葉(ことば)(やわ)らかに、愛情(あいじょう)()めて(なだ)()かしました。
 すると、(いま)さっき()()った(はず)(すずめ)()(もど)ってきたと思う()に、(ざる)一杯(いっぱい)(いも)(もど)ったのでした。
 坊主(ぼうじ)ガナシは(また)自分(じぶん)空中(くうちゅう)に、ノウ(※強い(なわ))()ると、その(うえ)自由(じゆう)(ある)くことが出来(でき)ました。
 そして、やがて自宅(じたく)(にわ)高台(たかだい)から、琉球王(りゅうきゅうおう)である父君(ちちぎみ)(しろ)までノウを()り、その(うえ)(ある)いて、沖永良部島(おきのえらぶじま)琉球(りゅうきゅう)とを往復(おうふく)するようになりました。
 ()()(こと)です。
 いつものように坊主(ぼうじ)ガナシは、(ちち)である(おう)(ところ)()きました。
 (おう)色々(いろいろ)(はなし)をした(あと)で、坊主(ぼうじ)ガナシに()かって()うことには、
 「与論島(よろんじま)沖永良部島(おきのえらぶじま)を、お(まえ)にあげよう。この(ふた)つの(しま)立派(りっぱ)(おさ)めてみなさい。」と。
 それを()いた坊主(ぼうじ)ガナシは、とても(よろこ)び、沖永良部島(おきのえらぶじま)(かえ)るため、いつも(どう)り、ノウの(うえ)(ある)()したのでした。
 ところが以前(いぜん)から(あたま)()坊主(ぼうじ)ガナシを、見聞(みき)きしてきた琉球王(りゅうきゅうおう)正妻(せいさい)がいて、この人は(ねた)みが(はげ)しい性根(しょうね)(くさ)った人物(じんぶつ)で、とにもかくにも坊主(ぼうじ)ガナシが(きら)いできらいで仕方(しかた)ありませんでした。
 そしてまた、()()(おさ)めるべき琉球(りゅうきゅう)まで、やがてきっと、この坊主(ぼうじ)ガナシに()られてしまうに(ちが)いないという妄想(もうそう)(とら)われ、そう(おも)()むようになっていました。そして辺戸(へど/ふぃどぅ)(みさき)与論島(よろんじま)()(なか)(あた)りを、坊主(ぼうじ)ガナシが(ある)いている(とき)見計(みはか)らって、こっそり、ノウを切断(せつだん)しました。
 幼い坊主(ぼうじ)ガナシは、そのまま海中(かいちゅう)(ふか)(しず)んでゆき、永遠(えいえん)に、この()()ってしまったのでした。
 メントヌチの(いえ)(にわ)高台(たかだい)には、坊主(ぼうじ)ガナシが、ノウに()(とき)使(つか)った踏台(ふみだい)(いし)が、(いま)でも大切(たいせつ)保存(ほぞん)されているそうです。
 その(いし)は、沖縄本島(おきなわほんとう)への方角(ほうがく)を今でも()き、また大空(おおぞら)(あお)いでいるかのようでもあり、まるで坊主(ぼうじ)ガナシをいつまでも()(つづ)けているかのようだと()われています。


 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡知名町~『ふるさと知名町」


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡知名町~昔々、瀬利覚のメントヌチの家(坂井家)に美しい若い娘がいました。ノロが沖縄の王様にグムチ(貢物)を納めに行くとき、一緒に連れられて行きました。その美しさは居並ぶ人々の目を奪い、ついに王様の気に入って、奥方に迎えられることになりました。そして楽しい生活が続けられているうちに、とうとう妊娠しましたので、娘は島に帰りお産の日をたのしみに待っていました。やがて十月十日の日も満ちて玉のような男の子が生まれました。坊主(ぼうじ)と命名されました。坊主ガナシは一日一日と大きくなり、いろいろな奇蹟な動作をして、皆におどろかれ、世間では神童としてほめはやされました。或る日母と一緒に畠へ行って、母の掘った芋をザルの中に入れましたが、坊主ガナシが何か気に喰わぬことがあったと見えて、ザルの中の芋はみんな雀になって飛んでいきました。あれよ、あれよとびっくりしました母は、
 「あゝ、うちの坊主はよい子だよ。お利口な坊主だよね……」と言葉やわらかに、なだめすかしました。今雀になって飛んでいった芋は、又ザルの一ぱいに舞い戻ってきました。又空中にノウ(強い縄)を引張って、その上らかも自由に歩けるようになりました。その後自宅の庭の高台から、沖縄の父君の王様の城までもノウを引張り、その上を歩いて沖縄との往復をしていました。或る日の事でした。坊主ガナシが沖縄の夫君王様のに行きますと、王様はいろいろはなしをした後で、坊主ガナシに次のようなことを申しました。
 「与論島と沖永良部島はお前にやるから、この二つの島を治めるようにしなさい」と。坊主ガナシはよろこんで沖永良部島に帰ろうと思い、いつもの通りノウの上を歩きました。ところが、かねてから坊主ガナシの頭の良いことを見たり、聞いたりしている沖縄の本妻は、我が子が治めるべき沖縄までも、この坊主にとられるのではないかと、心配していつの間にか、心ひそかにこの坊主を妬んでいました。丁度坊主ガナシが辺戸岬と、与論島の中間当りを行く頃にノウをポッンと切断してしまいました。坊主ガナシは海中深く落ちてとうとうこの世を去りました。坂井家の庭の高台には、坊主ガナシがノウに乗る踏台の石が、今でも大事に保存されて沖縄の方向を向いたまま大空を仰いで坊主ガナシを待っているようです。(『ふるさと知名町」)


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会長。個人的には、これだけの能力をもっていれば、これしきの事で死ぬとも思えず、恐らく生きている筈だと思うんです。
ただ、見える人にだけしか見えないのでは、ないでしょうか?
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2014年03月26日 08:20


為井俊雄さん坊主ガナシはいつお帰りになるんでしょう。」
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2014年03月06日 16:58


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