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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第110話。
ある
三月三日は
その
そうこうしているうちに、
ところが
「ここで
「では、この
すると
「
しかしながら
というのも、
そこで
すると、やがてその
その
※この話の参考とした話
①沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
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●伝承地
①沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~私の三代前のお婆さんは神人でいらっしゃったそうだ。その人から聞いた話を聞かすのだがね。大和の薩摩の国から王様の使いか王様が与那原の浜に漕ぎ船でね、ここに来られた人がいたようだ。そして、三月三日には、御殿や殿内の女達が三月遊びと言って、浜遊びをするでしょう。そこの場所にこの人もいらしたようだね。そうしたら、ここで三月遊びをしている時に、この中に西村御殿とかいう所の娘で、たいそう美しい人がいらっしゃったそうだ。それで遊んでいる娘達の中からこの西村御殿の娘一人を、薩摩の人がその船に乗せてしまってね。大和に連れて行かれたわけだ。そうやって、連れて行かれたので、この娘は、たいそう苦労したようだ。十七・八才の若い娘だから、たいそう苦労して、もう、「沖縄に帰してくれ。帰してくれ」と、ひどく泣いてお願いしたがそれでも帰さなかった。
そうこうしているうちに娘は、妊娠してしまった。それで、「もう、ここで私が子を産んだとしても、私はここで生きようとは思わない。死ぬのだから、どうか帰して下さい」といろんな手でお願いした。そしたら、 「では、この甕に漬けてある魚を、海にでも水の中にでも入れて、これが生き返るものなら、貴方は帰してあげる。そうでなければ、帰れないと思いなさい」と言われたそうだ。それで、その魚を大きなたらいに水を入れて魚をその中に入れると、もう一生懸命願ったそうだ。そうしていると魚は、生き返ったわけだ。そしたら、「貴方はただの人間ではない。神からの使いの女だから、帰してやるから帰りなさい」と帰されたそうだ。
そうして、帰り着いた浜は、与那原の浜だそうだ。しかし、この人は与那原の浜に着きはしたが、自分は妊娠したのでね。昔御殿・殿内の娘はね、こんな事やったら大変不義理な者と言ったもんだ。だから、自分の親の元にも帰る事ができなかった。その与那原の浜に近い三津武獄の山の林の中で子供を産んで自分は死んだそうだ。その子供を玉城間切の人がさがして、貰って育てあげて、この子供は成長したわけだ。自分は死んでね。
そうしたら、この事が公儀に聞こえたので、公儀でもってこの女の墓を造って、今でも三津武獄に墓は造られているそうだ。それで、この墓は公儀が拝んでいるわけだ。そして、玉城間切の人にその人は育てあげられて、玉城間切がその人の村になるわけだ。この人の子供は、三男までいたそうだ。それで、この人の長男は玉城間切に住んで、次男の子孫は糸満で生活して、三男の子孫はこの読谷に来たわけだ。その三男から安田の家は始まったそうだ。安田という姓は、あまり沖縄にはないでしょう。この人から生まれた子は、渡慶次ぺークミーと名が付けられているらしい。そういう事で、清明祭の時など私達は、三津武獄の墓をいつも今でも拝んで、鹿児島に向かって拝んでいるんだよ。だから、私達の祖先は鹿児島からきているというわけだ。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
①沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村字伊良皆~私の三代前のお婆さんは神人でいらっしゃったそうだ。その人から聞いた話を聞かすのだがね。大和の薩摩の国から王様の使いか王様が与那原の浜に漕ぎ船でね、ここに来られた人がいたようだ。そして、三月三日には、御殿や殿内の女達が三月遊びと言って、浜遊びをするでしょう。そこの場所にこの人もいらしたようだね。そうしたら、ここで三月遊びをしている時に、この中に西村御殿とかいう所の娘で、たいそう美しい人がいらっしゃったそうだ。それで遊んでいる娘達の中からこの西村御殿の娘一人を、薩摩の人がその船に乗せてしまってね。大和に連れて行かれたわけだ。そうやって、連れて行かれたので、この娘は、たいそう苦労したようだ。十七・八才の若い娘だから、たいそう苦労して、もう、「沖縄に帰してくれ。帰してくれ」と、ひどく泣いてお願いしたがそれでも帰さなかった。
そうこうしているうちに娘は、妊娠してしまった。それで、「もう、ここで私が子を産んだとしても、私はここで生きようとは思わない。死ぬのだから、どうか帰して下さい」といろんな手でお願いした。そしたら、 「では、この甕に漬けてある魚を、海にでも水の中にでも入れて、これが生き返るものなら、貴方は帰してあげる。そうでなければ、帰れないと思いなさい」と言われたそうだ。それで、その魚を大きなたらいに水を入れて魚をその中に入れると、もう一生懸命願ったそうだ。そうしていると魚は、生き返ったわけだ。そしたら、「貴方はただの人間ではない。神からの使いの女だから、帰してやるから帰りなさい」と帰されたそうだ。
そうして、帰り着いた浜は、与那原の浜だそうだ。しかし、この人は与那原の浜に着きはしたが、自分は妊娠したのでね。昔御殿・殿内の娘はね、こんな事やったら大変不義理な者と言ったもんだ。だから、自分の親の元にも帰る事ができなかった。その与那原の浜に近い三津武獄の山の林の中で子供を産んで自分は死んだそうだ。その子供を玉城間切の人がさがして、貰って育てあげて、この子供は成長したわけだ。自分は死んでね。
そうしたら、この事が公儀に聞こえたので、公儀でもってこの女の墓を造って、今でも三津武獄に墓は造られているそうだ。それで、この墓は公儀が拝んでいるわけだ。そして、玉城間切の人にその人は育てあげられて、玉城間切がその人の村になるわけだ。この人の子供は、三男までいたそうだ。それで、この人の長男は玉城間切に住んで、次男の子孫は糸満で生活して、三男の子孫はこの読谷に来たわけだ。その三男から安田の家は始まったそうだ。安田という姓は、あまり沖縄にはないでしょう。この人から生まれた子は、渡慶次ぺークミーと名が付けられているらしい。そういう事で、清明祭の時など私達は、三津武獄の墓をいつも今でも拝んで、鹿児島に向かって拝んでいるんだよ。だから、私達の祖先は鹿児島からきているというわけだ。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
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Posted by 横浜のtoshi at 2013年06月20日 21:20
Posted by きよひこ at 2013年06月14日 05:09
かずみサン、こんにちは。
お褒めにあずかり、ありがとうございます。
また、貴重な、ご意見、ありがとうございます。
かずみサンのコメントを、胸でしっかり受けとめて、
これからも、頑張っていきたいと、思います。
また、みなさんが、少しでも楽しめるように、
色々、できる範囲で、考えていきたいと思っています。
これからも、感じたことなど、
メールや、コメントに書いて頂けると、光栄です。
ありがとうございました。では。
お褒めにあずかり、ありがとうございます。
また、貴重な、ご意見、ありがとうございます。
かずみサンのコメントを、胸でしっかり受けとめて、
これからも、頑張っていきたいと、思います。
また、みなさんが、少しでも楽しめるように、
色々、できる範囲で、考えていきたいと思っています。
これからも、感じたことなど、
メールや、コメントに書いて頂けると、光栄です。
ありがとうございました。では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年02月13日 11:05
実はわたしもカッコ内のフリガナが気になっていました。
ちょっと読みづらいと。難しいものだけフリガナをしてみては・・
例えば独特な読み方(ペーチンのような)とか人の名前とか・・
と思ってました。実際フリガナがないのはかなり読みやすいです。
でも読者の皆様はそれぞれニーズが違いますね。^^;
ちょっと読みづらいと。難しいものだけフリガナをしてみては・・
例えば独特な読み方(ペーチンのような)とか人の名前とか・・
と思ってました。実際フリガナがないのはかなり読みやすいです。
でも読者の皆様はそれぞれニーズが違いますね。^^;
Posted by ウイング at 2011年02月12日 11:27
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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