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沖縄ほんとうをほんとうに旅してパート3

2012年05月18日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(6)沖縄の旅
はいさい、今日(ちゅう)(うが)なびら。
訪問(ほうもん)、ありがとうございます。

このところ、小禄、昔の呼び方「うるく」を、
旅している、あるいは、迷っているのですが、
その前は、那覇で行ってない所、
もう一度行きたい所を、回りました。

4月23日は、宿から徒歩で(とぅまい)大阿母拝所(うがんじゅ)へ。
泊小学校横、泊幼稚園と並んだ、泊北公園内。
泊大阿母はブログで取り上げたことがあります。

http://totoro820.ti-da.net/e3041718.html

そのまま徒歩で何度も行った旧崇元寺石門へ。
戦前、門の前を路面電車が走っていました。
また、戦争の爪痕(つめあと)が残る門でもあります。

琉球時代、内部はどんなだったかというと、
こんなページはいかがでしょうか。

http://www.kagemarukun.fromc.jp/page111b.html

続いて、浮縄御嶽(うちなーうたき)、通称「ウチナーヌウガン」へ。
誰もがよく知る場所にありながら、
意外に知らない人が少なくありません。

新都心から那覇テラスの坂を下りきった所が、
安里一丁目という交差点です。
橋の向こう正面にマックスバリュが見えますが、
交差点を過ぎた直ぐ右の、建物の陰にあります。
隣りの高い建物と前の駐車場で見落とされがち。

『琉球国由来記』では、「オキナワノ嶽」と表記。
このブログでも、取り上げたことがあります。

http://totoro820.ti-da.net/e2957834.html

一説に「沖縄」の語源となった御嶽とありますが、
『琉球と沖縄』、どちらの言い方が正しいでしょうか?で、
取り上げた内容から、
「琉球」の最初の表記「流求」が656年、
「沖縄」最初の表記「阿児奈波」が779年で、
かなり古くから沖縄という表記がある事からも、
個人的に、語源ではない気がします。

次に、ゆいレールで、牧志(まきし)乗車、儀保(ぎぼ)下車。
宝口樋川(たからぐちふぃーじゃー)へ行きました。
那覇市内でありながら、水量には驚かされます。
道路の反対に広がる末吉公園内の水源と同様。
いったい、どこからこの水がやってくるのか、
不思議でならない場所が、沖縄には実に多い。

続いて首里駅よりオリブ山病院まで歩きました。
近道をしようと、輪をかけて、とどめの遠回り。
いうまでもなく遠すぎて大失敗。帰りはタクシー。

オリブ山病院といえば、「たがみ病院」として、
第25作「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花」で、
リリーが入院し、寅さんが見舞いに行った所。
沖縄以外の場所に住む日本の人々が、
この映画を見て、沖縄ってこんな所なんだと、
初めて知った人が少なくなかった映画です。
昭和55(1980)年8月封切りの映画のため、
私はその当時の沖縄を思い浮かべながら散歩。

別の日の旅ですが、
赤嶺緑地や、天久緑地にも、行ってみました。

赤嶺緑地は、日本最南端・赤嶺駅から徒歩。
赤嶺は個人的に昔から馴染みがある場所で、
何度となくそばを通っているのに今回が初めて。
ゆいレールが空港に向かう時、最後に、
直角に曲がる下が安次嶺交差点で、その近く。

赤嶺緑地といえばやはり、誰もが見覚えのある、
赤と白のチェック模様の給水タンクでしょう。

緑地の、国道331号線側が「安次嶺の御嶽」。
裏から入ってすぐの場所が「赤嶺御嶽」。
中央の、野外ステージに向かう道のわき、
林の中に、「仲本のアジシ」があります。
この緑地はむかし、上の毛(うぃーぬもー)と呼ばれたそうです。

一方の、天久緑地ですが、
今はなき、天久グスク周辺であり、
緑地以外は、以前、回ったことがあります。
天久台病院の裏の入り口の手前の階段を、
今度は、何とか見つける事が出来ました。

天久グスク周辺にまつわる民話は多く、
むかしの地形の感覚を体で感じたくて、
ずっと行ってみたかった所。感無量でした。

天久グスクは、かつての琉球時代、
有名な景勝地の一つだったと伝わります。
緑地への階段を登り始めて、ハブと遭遇。
那覇市内でも、いるところにはいますねえ。

それ以外では、春休みのことですが、
沖縄最年少ブロガーまあたん@と、
ご両親とともに、くるくまへ。
何を食べても美味しい、くるくまで、先ずは舌鼓(したづつみ)

それから垣花樋川(かきのはなひーじゃー)へ。
いつも下から登るので、上から挑戦。
結局、どちらも決して楽ではありません。
垣花樋川は、日本名水百選にも選ばれた所。
樋川(ひーじゃー)」は湧き水から引いた「井泉(せいせん)」。
もちろんヒツジではありません。たぶん~

この周辺は、歴史的に琉球沖縄にとって、
重要な意味のある地が数多く集まっている地域。

奥武島へ寄って天ぷらも楽しんで頂きました。
残念ながら、
サザンリンクスのカレーパンは売り切れでした。

以上、FBでは写真をアップしまたが、
改めて、いくつかを思いつくままに、
補足&ダイジェスト版で書いてみました。

では。




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仲本さん、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

山分けですか、忘れてましたが、それはとってもいい事です。
内緒だなんて、もったいない。

お金なら、分ければ、どんどん減ってしまう。

けれども、知識、特に琉球の知識、琉球の民話や様々な歴史は、
どんどん、みんなに分けても、
減るどころか、
かえって分けた人も、分けてもらった人も、心が豊かになります。

かぐやひもライブ、みんなで行ったら、喜んでもらえました。
観光客相手に、音楽を聞かせて、
たくさん色々な物を食べさせて、儲けようとする、
都会でも、国際委通りでも、それは同じ。

ところが、かぐやひもライブは¥2,000。
ライブの内容、演奏は素晴らしくて、人がいっぱい集まります。

ところで一方、早朝便で那覇に到着して、10時間の間、
色々と、用事も済ませながら、やっと「小禄」探索、ほぼ終わりました~。
いやはや、小さなバイクや徒歩で、路地を走り回る旅でした。
狭い地域で、大旅行。

コメントありがとうございます。では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2012年05月28日 04:40


横浜のtoshi さん
やはり横浜から始めないといけませんね。昨日は初めて祖国復帰40年物の43度の泡盛老人会で(笑)本名は悠遊会で飲みました。リタイヤ組です。最高齢は77歳志喜屋さん会長です。仲村邸宅で久高島を目の前に
夜は星空に燥ぎました。昨日は男だけでした。女性は中村さんの奥さん
私の家内です。(運転)年寄りでも皆様お元気で時間が経つのもなんのそのでした。
もしかすると私が前世で埋めたのか(笑)
山ですから山分けしましょう。
発見者が権利がありますから、横浜のtoshiさんに従います。
toshiさん内緒にしてくださいね。
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2012年05月27日 12:29


仲本勝男様、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

仲本のアジシ、私も、気になっているんですが、
まだ、よくわからんのです。
むかし、住吉神社に行った時、
神社の境内から、上に、立派な階段があって、
上がっていったら森で、
その時は、何にもないと思ったものですが、
もしかすると、ここのためかもしれません。


いや、まてよ?
仲本さん、むかしココに、金の小判、埋めました?
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2012年05月26日 06:29


toshiさん
仲本のアジシ直ぐに気になりました。まーたんさんご両親クルクマにご案内ありがとうございます。月日は早いものですね。ハブには大変でしたね
 噛まないように話してあります。 I love have.
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2012年05月25日 08:48


ryusogiさん、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら

そうですか、むかし、泊にお住まいでしたか。
楽しんでいただけて、書いた甲斐がありました。
こちらこそ、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2012年05月20日 03:53


懐かしい写真、見たことのな写真ありがとうございます。
私は、中学まで、泊に住んでまして、泊小学校に通ってました。
崇元寺の石門も懐かしいですねー。
Posted by ryusogi at 2012年05月18日 21:02


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