~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第99話。


女傑諸樽(じょけつ・むたる)


 むかし、那覇の比嘉親雲上(ひが・ぺーちん)の妻であった諸樽(むたる)は、あの、大力(たいりき)(なら)ぶ者がなかった鄭大夫(ていたいふ)の妹で、夫の家が貧(まず)しいため、毎日毎日、首里の市場(いちば/まちぐゎー)に通って商売をしながら、暮らしを支(ささ)えておりました。
 ある日のことです。
 その日の商売は、うまくゆかないと思っていたところが、暮(く)れ方(がた)から売れ出して、品物を全て売り捌(さば)いて帰る頃には、すっかり夜が更(ふ)けて、道(みち)行く人も、途絶(とだ)えがちな時刻でした。
 諸樽(むたる)が、崇元寺(そうげんじ)近くの、浮縄美御嶽(うきなわみおだけ)の前に差し掛かった時のことです。
 覆面(ふくめん)をした強盗(ごうとう)が五、六名、突然(とつぜん)(あら)われて、諸樽の売り上げ金を強奪(ごうだつ)しようと、躍(おど)り掛(か)かったのでした。
 所詮(しょせん)は女と侮(あなど)った強盗の荒(あら)くれ男達を、諸樽(むたる)は、片(かた)っ端(ぱし)から、ねぢ伏(ふ)せ、張(は)り倒(たお)し、首根(くびね)っこを押さえて踏(ふ)み付(つ)けて、散々(さんざん)、痛(いた)い目に遭(あ)わせたのでした。強盗は一人として逃げ出せた者はなく、ただその辺(あた)りの地面を這(は)いずり廻(まわ)るだけでした。
 諸樽はそれから、その連中を一つ所(ところ)に集めるなり、みんなの足を揃(そろ)え、その上に大きな石を乗せるなり、さっさとその場を引き上げ、帰ってしまいました。
 ようやく正気(しょうき)に返った強盗達が、足を抜(ぬ)こうとしたものの、大石の下敷(したじき)ではどうにもならず、みんなで力を合せて石を取り除(の)けようとしたものの、石はびくとも動きません。
 やがて夜が明けました。
 通り掛(が)かった人達も、力を借したものの、その大石は微動(びどう)だにせず、通行人は驚き、また呆(あき)れ返って、最後は、ただただ見物(けんぶつ)しているばかりでした。
 其処(そこ)へ、丁度(ちょうど)、通り掛(か)かったのが、諸樽(むたる)の兄の、鄭大夫(ていたいふ)でした。
 盗人(ぬすびと)一同は、犯(おか)した過(あやま)ちや悪事(あくじ)を詫(わ)び、悔(く)い改(あらた)めることを誓(ちか)って、助けを大夫(たいふ)に求めました。
 すると、鄭大夫(ていたいふ)が言うことには、
 「こんな大石を動かせる者といえば、私の妹の外(ほか)にはいないであろう。」と笑いながら言うなり、大石を軽々(かるがる)と持ち上げ、盗人達を赦(ゆる)しました。
 またその石をそのまま、美御嶽の前にある大きな溝(みぞ)の蓋(ふた)にしました。
 この大石は鄭大夫岩(ていたいふがん)と呼ばれるようになりました。


※註
~浮縄美御嶽は、崇元寺の東南方にある御拝所で、神名は「ヨリアゲ森カネノ御イベ」。毎年、三、八月に四度の祭礼がある。主に旱魅(かんばつ)の時の雨乞(あまご)いの祈願(きがん)をなす処(ところ)として有名である。
 
※注
【諸樽】(じょたる)前話(97話~「化け物退治」)鄭大夫(ていたいふ)の妹。現在、沖縄の女傑というと、糸満出身の金城夏子(慶子)さんや照屋敏子さん、上原栄子さんを挙げる人が多いだろうと思います(『ナツコ・沖縄密貿易の女王』・『沖縄独立を夢見た伝説の女傑・照屋敏子』『辻の華』)。しかしながら、与那国島の首長・女傑サンアイ・イソバや、波照間島の女傑ヤマダブパメーなどに加えて、この諸樽もぜひ記憶に加えたい頂きたいところです。
【浮縄美御嶽(うきなわみおだけ)】浮縄御嶽(おきなわうたき)、浮縄嶽、ウチナーヌウガン。一説には、沖縄の語源となった御嶽とあります(尚円王(1470~76)時代、泊村の大安里が、この御嶽近くの川の岸に漁のための釣縄を置いたのが置縄(おきなわ)となり、御嶽(ウタキ)の名前となり、沖縄の語源となったとあります)。しかしながら個人的には、その話、以前から沖縄という表記はすでにある点から、沖縄の語源とするには無理があると思います(※このブログ最初の「琉球?沖縄?どっちの言い方が正しいのでしょうか?」2009.8.20)


Posted by 横浜のtoshi

追伸
 よい子のみなさん。
  かつてよい子だった、お嬢様方。
   くれぐれも、諸樽の精神だけを見習い、真似だけは決してせぬように。真似た僕みたいに、手の親指の骨折だけでは、通常、すみませんので・・・・・・






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屋宜朋子さま。

こちらこそ、いつも応援を、にふぇーでーびるm(_ _)m。

あんまり忙しい日が続いて来て、
つい、サイドバーやお気に入りを、整理していなかったので、
休みに入ったので久々に、整理してみただけの事です。

でも、仕事は速いがミスが多い、それが僕なので気を付けないと。

FM21のリンク、気づいてくださったんですねぇ。
嬉しい・・・・・・(涙)。
通常、そういう気遣いは報われないので・・・・・・(涙)。

抑揚の魔術師、屋宜朋子さん、ちばりよ!
人々のマブイを癒し魅了し愛を吹き込みつつ、
屋宜朋子のミラクルワールドを豊かに広げ続けて下さいね。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年08月03日 07:17


横浜のtoshiさま☆彡

いつも、応援ありがとうございます!
FM21のリンクまで、感謝しかありません☆
Posted by First ☆ Star 屋宜朋子First ☆ Star 屋宜朋子 at 2010年08月03日 00:53


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