てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版) › 130神竜の怒り(しんりゅうのいかり) 〜琉球沖縄の民話

〜琉球沖縄に伝わる民話〜

『球陽外巻・遺老説伝』より、第130話。


神竜の怒り(しんりゅうのいかり)


 久米邑(くにんだそん)の南方に門があり、大門(うふじょう)といわれています。
 その前面は、半月(はんげつ)形の空地(あきち)になっています。古(いにしえ)の人が、そこを、龍(りゅう)の頭になぞらえ、左右に石を置き龍の眼とし、両方に樹を植えて龍の角(つの)を形づくりました。またそこから北に、くねるように伸(の)びる街を貫(つらぬ)く大通りを、胴体(どうたい)に見立(みた)て、中島の水辺の丸(まる)い岩を、龍の珠(たま)としたのでした。
 龍は神霊(しんれい)を持つ陽物(ようぶつ)であるため、この門から、遺体(いたい)を出入(でい)りさせることを、忌(い)み嫌(きら)いました。そして、もしもその禁(きん)を犯(おか)すようなことがあれば、必ずや、神龍(しんりゅう)が怒(いか)り、暴風(ぼうふう)を巻(ま)き起(お)こして、必ず国家の災(わざわ)いをなすと、昔から言い伝えられ、戒(いまし)められてきました。
 ところが、順治七年(一六四九年)のこと。
 新納刑部(薩摩役人)が、この地で亡くなった時、そんなことなどあるものかと、家族は言い伝えを信じず、棺(かん)を門から入れてしまいました。
 葬式が終わって間もなく、突如(とつじょ)、前触(まえぶ)れもなく暴風(ぼうふう)が吹(ふ)き荒(すさ)び、人々を驚かせました。
 その後、尚貞王(しょうていおう)の時代に、愚(おろか)な男が、こっそり夜中(よなか)、ある遺体(いたい)をこの門から出したところ、この年は、例年になく七回も暴風に見舞われた上に、大飢饉(だいききん)になってしまったということです。


※註
〜龍に形どった通りは、「久米大通り」と称(しょう)し、左右の小路(こみち)は龍の足と見立てていたとのことである。久米三十六姓が、旧慣(きゅうかん)を守(まも)っていたが、清朝(しんちょう/一六六二年)になって、それを沖縄的風習(ふうしゅう)に改め、久米人の伝統は久米人の門中制度によって、現在までも受け継(つ)がれている。
 
※注
【久米邑】邑=村。久米村(くにんだ/くみんちゃ)には、14世紀後半より、中国の福建から移り住んだ人達が定住していた。その久米村の入り口に建っていたのが久米大門(うふじょう)。久米大道(現在の久米大通りの北西側)の反対側に建っていたのが西武門(にしんじょう)
【丸い岩】(まるいいわ)俗(ぞく)に大石といわれた。
【陽物】(ようぶつ)陰陽(いんよう)のうち、陽に属するもの。陽気なもの。陰陽とは、古代中国の思想を発端(ほったん)として、森羅万象(しんらばんしょう)、宇宙のありとあらゆる事物を、さまざまな観点から、陰(いん)と陽(よう)の、二つに分類するカテゴリ。陰と陽とは、互いに対立する属性を持った二つの「気」であるとし、万物の生成や消滅といった変化は、この二気によって起こるとする。なお、このような陰陽に基づいた思想や学説を、陰陽思想、陰陽論、陰陽説などといい、五行思想とともに、陰陽五行説を構成した。
【尚貞王】(しょうていおう)1645〜1709年(在位:1669〜1709年)。琉球国、第二尚氏王朝第11代国王。蔡鐸(さいたく/蔡温(さいおん)の父)は『中山世譜(ちゅうざんせいふ)』を編集。


Posted by 横浜のtoshi




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仲本さま。はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。

『球陽外巻・遺老説伝』は122話のため、
あと残すところ4話となりました。

考えてみますと、久
米邑にまつわる話も随分、ありましたね。


右往左往するからこそ、人間です。
他の動物は、
言葉を持たないので、確かに右往左往しません。

人間だけが、さまざまな言葉をもつため、
五感をを通して感じる感覚を、
ある言葉に、いったん置き換え、
認識することができます。

動物は、それができません。
仲間同士、ある種のコミュニケーションや伝達手段が、あるだけです。
従って、
動物は言葉を持たないので、恐れも抱きません。

今日、台風上陸ですね。気をつけて下さい。
この間、行ったばかりなのに大変ですね。
一方、こちらは、
一滴の雨も降らないどころか、曇りの日すらなく、
本当に、暑くて暑くて困ります。

家の外は熱風で、まるで砂漠です。

あははは。
確かに、僕の民話を、そのまま当てはめれば、
沖縄に、続けて、しかもこんな時期に台風が連続するなんて、
誰か、
先祖からの教えに、背いたのかもしれませんねぇ(笑)。

そう言えば、くるくまは、台風がやってくる方向に向かって、ありました。
海から吹き上げる風を、まともに受けそうですね。
風がなくても、
バイクでニライカナイ橋を走っていると、結構、風を受けから。
会社に被害がない事を、お祈り致します。

むかしの人が、現代人より感性が研ぎ澄まされていたのは、確実です。
京都大学の霊長類研究所の正高さんが書かれて、一世風靡した、
『ケイタイを持ったサル』にも、
そういった事が書かれていました。

便利になったとか、裕福になったというのは、
結局は、幻想なんでしょうねぇ。


陰と陽という、二つの「気」という、
アジアで生まれたこの考え方は、やはり身近ですし、妥当な感じが僕もします。
難しいですが、バランスって、色々な場面で、大切です。

こちらこそ、
沖縄の昔の方々から、学ばせて頂いております。

「文は人なり。」
文字のむこうに人がいます。
つまり、
仲本様の、ご先祖さま達から、私は、学ばせて頂いているわけです。
それもまた、出会い。
出会いに感謝です。

では。ぐぶりーさびら〜
Posted by 横浜のtoshi at 2010年09月04日 13:42



カフェくくる うるとらまんサン、はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。

泡瀬、今日は、残念でしたね。
また、
機会がありましたら、宜しくお願い致します。

台風、午後に沖縄接近とか。
気をつけて下さいね。

一方でこちらは、猛暑。
既に、熱中症だけで8月36人亡くなりました。
昨年の8倍だそうです。
曇りの日さえ、ない有様で、9月もそのままの予想。困ったものです。

その一方で、季節外れの台風が沖縄に。

アクセス数は、
僕は気にしない事に、しております。
よく子どもが、イタズラしますし(笑)。

そもそも、お金がもらえるわけではないので。

というのは、
TI-DAを始めた時に、既にしていた方からアドバイス頂きました。

僕の場合、毎日、書きためていって、
一気に、書いたブログをPCに書き出します。
そして、文字以外余計なものを、PCのワープロで、一括で削除すると、
本文が資料になって、自分の為にもなるので、
アクセスは気にならない、というわけなんです。

有益な情報になるかは、わかりませんが、
取り敢えず、
民俗学が趣味ですし、続けていきたいと考えています。

ご紹介、ありがとうございました。
こちらこそ、リンクして頂き、出会いに感謝です。

では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年09月04日 10:15



toshi さん

久米邑となりますと、ご先祖が暮らしていたのではと、書かせてもらいます。この3年平穏無事で五穀豊穣でした?。草や樹木もすくすくと伸び自然は穏やかな毎日でした。人間はと言えば右往左往しているようで、どうなる事やらです。この台風ですよ!何ということでしょう。誰かよからぬ事でも、前触れもなくすぐにやってくる。この台風には高台にある当社は祈る気持ちです。むかしの人は感性が研ぎ澄まされていたのですね。気・陰陽バランス・
いつも勉強させてもらっております。ありがとうございました。
Posted by 仲本勝男 at 2010年09月04日 08:51



残念、台風接近のため朝日見えず。天気のいい日選んで東海岸の朝日掲載します。トシさんのブログやはり人気あります。アクセス数が思ったより多いです。これからも、有益な情報は紹介していきたいと思います。リンクしていただき有難うございます。
Posted by カフェくくる うるとらまん at 2010年09月04日 07:37


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