あかいんこ

2015年02月08日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(1)伝説・歴史・雑学・言い伝え等
あかいんこ(アカインコ)

琉球(りゅうきゅう)歴史(れきし)()(のこ)す、
三線(さんしん)奏者(そうしゃ)といえば、
やはり、
通称(つうしょう)あかいんこ(アカインコ)」と、「ねあがり」。

でも(ただ)しくは、
「おもろ歌唱者(かしょうしゃ)」という(ほう)がよいのです。

(じつ)は「あかいんこ(アカインコ)」と「ねあがり」は、
素晴(すば)らしい「おもろ歌唱者(かしょうしゃ)」であり、
祝付(えつ)きであった(こと)が、
おもろ(※琉球(りゅうきゅう)和歌(わか)(うた)われているだけで、
三線(さんしん)普及(ふきゅう)()」だった(こと)(つた)える(うた)は、
(ひと)つもありません。

大変(たいへん)(すぐ)れた(うた)()であったがゆえに、
きっと三線(さんしん)も、
上手(じょうず)()きこなしていただろうという(こと)で、
三線(さんしん)()」と、いつの(ころ)からか、
()われるようになったと(かんが)えられます。

そもそも、
いつの(ころ)から「三線(さんしん)」が琉球(りゅうきゅう)に、
(ひろ)まったのかがよくわかっていません。
資料(しりょう)が、ほとんどないのです。

それらしい場合(ばあい)があっても、
三線(さんしん)()かれていた()()に、
ならないというのが、正確(せいかく)なところです。

ところで、
読谷村(よみたんそん)にある「あかぬくー(アカヌクー)」は、
嘉手納(かでな)読谷(ゆみたん)()らした時期(じき)があるため、
(わたくし)にとって馴染(なじ)みの場所(ばしょ)です。

あかいんこ(アカインコ)」には(つぎ)のように、
いくつもの呼び(かた)(つた)わっています。

赤犬子(あかいんこ)阿嘉(あか)のお祝付(ゑつ)き、
彌覇(ねは)のお祝付(ゑつ)き、阿嘉(あか)いんこ、阿嘉犬子(あかいんこ)
彌覇(ねは)いんこ、阿嘉(あか)()彌覇(ねは)()
など。

「あか」の部分(ぶぶん)に、
阿嘉(あか)」の()()てる場合(ばあい)時々(ときどき)()かけ、
(すこ)しだけ()にかかってはいましたが、
赤犬子(あかいんこ)」だと(おも)ってきました。


あかいんこ(アカインコ)」にまつわる民話(みんわ)(おお)く、
それぞれの(はなし)(なか)で、
あかいんこ(アカインコ)」は、読谷(よみたん)()とあります。

具体的(ぐたいてき)には、
読谷(よみたん)(そん)阿嘉(あか)読谷山(ゆんたんざ)阿嘉(あか)(そん)などと、正確(せいかく)でない表記(ひょうき)(おお)く、
それで調(しら)べてみると、
なかなかその場所(ばしょ)()つかりません。

阿嘉(あか)は、読谷(よみたん)以外(いがい)場所(ばしょ)かも()れない、
(かた)()がれる(あいだ)(あやま)ったのか、
「あか」という地名(ちめい)すら(あや)しいものだと、
そんな、あれこれを(かんが)えるにつけ、
()()まって、
もう(すこ)しで(あきら)めるところでした。

(ただ)しくは、
読谷山(ゆんたんざ)間切(まぎり)(※琉球時代の行政区)
楚辺村(そべそん)の、阿嘉(あか)」でした。

という(こと)は、「あかいんこ(アカインコ)」は、
「赤犬子」より、
「阿嘉犬子」が(ただ)しいといえます。

地名(ちめい)名前(なまえ)()ける()(かた)は、
定番(ていばん)ですから。


※「阿嘉犬子」で、ネット検索したところ、
結構、出てきました。
「阿嘉」の字を知っている方々が、
決して少なくないのだと知りました。

※琉球時代に身分制が確立されると、
系図座(けいずざ)が出来ました。
家譜(かふ)編纂(へんさん)された17世紀後半以後は、
三線(さんしん)家譜持(かふも)ち、すなわち、士族(しぞく)専有(せんゆう)となって、
百姓(ひゃくせい)(※琉球では、一般の人の意。農民ではありません)
持つことが、許されなくなりました。
村々で三線を弾きながら歌い、毛遊(もうあし)びを楽しみ、
カチャーシーを踊るシーンが、
芝居や映画などでよく見かけるものの、
表向き、それは許されない事なのでした。
三線は、あくまで上流階級の者に許される、
高級な楽器としての歴史が長く、
それは現在の古典芸能の三線に受け継がれ、
その命は脈々と今に伝わっているといえます。
もちろん、例えば、
首里奉公(ぼうこう)から故郷のシマへ帰った者たちが
都の土産に三線を持ち帰って、
色々な場面で弾いた可能性など、
全くないとは言いきれません。
その一方で、
近世の規制がなかった、
それより前の時代である古琉球(こりゅうきゅう)時代は、
各地で三線を誰でも、
もしかすると、楽しんでいたのかもしれません。
なお、
現代風の三線のあり方を、
否定しているわけではありません。
正しい歴史や基本の上に、
今の三線があると感じて頂きたいだけです。


※余談
薩摩に伴われての、徳川幕府への江戸上り6回目(1982年/94名)の際、太平楽(たいへいがく)万歳楽(まんざいがく)唐歌(からうた)など(みん)の楽曲5、唱曲(しょうきょく)2のほか、初めて三線歌(さんしんうた)などが(そう)されたが、幕府の儒官(じゅかん)は「その国の楽、はなはだ(ひな)びて、聞くに絶えず」と酷評した。初めて聞く三線歌は理解されなかった。




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2015/02/11 20:23:32
IPアドレス「119.72.199.79」言霊百神、から、
他のURLに誘導する、学問研究を冒涜する、
悪質な書き込みがあり、削除致しました。
どうぞ、みなさまも、お気をつけ下さい。

管理画面の、「足あと」には、それらしいものはなく、
書き込んできました。

ti-daブログ様が用意している、
削除の際の、「削除と同時にコメント禁止IPへ追加する」に、
チェックを入れて削除しました。

※以前、ti-da&しーまブログに、青山みなみという名を語って、
偽ブランドのページに誘導する、悪質な書き込みがありましたが、
それ以来の、久しぶりの悪質な書き込みです。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2015年02月12日 11:49


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

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