浮き田 ~琉球沖縄の伝説

2011年08月16日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・沖縄先島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第178話。


(おこ)()



 宮古(みやこ)下地島(しもじしま)(きた)に、(おこ)()という(ところ)があります。この()は、「浮田(うびた)」とも「吸田(ゆびた/ゆぶた)」とも「動田(ゆるずた)」などとも()われてきました。
 むかし宮古(みやこ)(はじ)めとする様々(さまざま)地域(ちいき)では時代(じだい)(なが)れからやむを()ず、人頭税(にんとうぜい)という、一人(ひとり)ひとりに不当(ふとう)(おも)(ぜい)()され、また士族(しぞく)農民(のうみん)奴隷(どれい)のようにこき使(つか)名子制度(なごせいど)がまかり(とお)っていました。
 そんな時代(じだい)の、ある正月(しょうがつ)(あさ)のことです。
 ある主人(しゅじん)名子(なご)()うことには、
 「今日(きょう)は、湿(しめ)具合(ぐあい)がよいから、()仕事(しごと)をするには最適(さいてき)だ。(うし)()れて()って、(おこ)()(たがや)してから、夕方(ゆうがた)から正月(しょうがつ)をしなさい。」と。
 そう()()けられては、不平(ふへい)不満(ふまん)()(こと)さえ(ゆる)されない名子(なご)身分(みぶん)では、命令(めいれい)(したが)(ほか)はありません。
 名子(なご)は、()()(うし)()いて(おこ)()()きました。
 流石(さすが)正月(しょうがつ)ですから、着飾(きかざ)った(むら)人々(ひとびと)が、家族(かぞく)親戚(しんせき)一同(いちどう)(そろ)って(とし)(はじ)めを(いわ)っています。しかし自分(じぶん)だけはこき使(つか)われ、()ぬまで人間(にんげん)(あつか)いされない運命(うんめい)名子(なご)(のろ)いました。そして(なげ)(かな)しみながら、こんな悲惨(ひさん)人生(じんせい)(おく)るなら、むしろ()んでしまいたいとずっと(つぶや)きながら、(すき)()(たがや)していました。
 すると突然(とつぜん)物凄(ものすご)轟音(ごうおん)(とも)地響(じひび)きが一帯(いったい)()(ひび)くや(いな)や、周辺(しゅうへん)地面(じめん)突如(とつじょ)(しず)んで、名子(なご)(うし)もろとも、田圃(たんぼ)一瞬(いっしゅん)()くなってしまったのでした。
 それは(てん)(かみ)さまが(あわ)れんで、現世(げんせい)()(つづ)けたところで(しあわ)せになれない名子(なご)(ねが)いを(かな)えたに(ちが)いないとも()われています。
 この()(ひろ)さは二町歩(にちょうぶ)(ほど)(※2(まん)(平方メートル)(じゃく))もありましたが、()()まれた()(やく)30(つぼ)(ほど)で、()わりにそこには青々(あおあお)とした(くさ)()え、そこに(ひと)()ると地面(じめん)()(うご)いたので、動田(ゆるずた)とも()われるようになりました。
 また()は、しばしば牛馬(ぎゅうば)(みず)()場所(ばしょ)として使(つか)われきましたが、()()のこと、一頭(いっとう)(うし)が、()(ふか)部分(ぶぶん)()ちて(どろ)()()まれて()えたために、吸田(ゆびた/ゆぶた)とも()ばれているそうな。



 
※この話の参考とした話
柳田~嫁の田
沖縄先島・沖縄県宮古市郡伊良部佐和田~『伊良部郷土誌』
沖縄先島・沖縄県宮古市平良~『宮古の民話』


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●伝承地
柳田~嫁の田
沖縄先島・沖縄県宮古市郡伊良部佐和田~下地島の北方よりに浮き田という遺跡がある。今ではこの田をユブ田ともユルズ田ともいっている。ある正月の朝、役人(主人)が名子に対して、「今日は湿いがよいから田の仕事は最適なので、牛をつれてオコキ田へ行って耕してから、夕方正月はやるように」いいつけられた。不平や不満も言えない名子の身分では命令に服さねばならず、名子は泣くなく牛をひいてオコキ田へ行った。村の人びとは、お正月が来たといって着飾って、家族一同揃ってお祝いしているのに、自分一人、酷使されていることに歎き悲しみ、このような悲惨な人生をおくるより死ぬのがよいのだと言いつつ犂を使っていると、突然物凄い音響と共に地面が沈下して牛もろともいなくなったということである。この田の広さは二町歩程もあり、表面には草が生えその表面は人があがるだけで約三〇坪程も揺り動いていたという。それで動田(ユルズ田)とも言った。田は牛馬の水呑み場としても使っていたようだが、或日一匹の牛が深穴におちて泥に吸い込まれていなくなったということでユブ田とも呼んでいる。(『伊良部郷土誌』)
沖縄先島・沖縄県宮古市平良~大昔、貧欲な大地主の家で働く奉公人がいた。一年中、休むことなく働かされていたが、ある正月、ふだんの日と同じく田を耕していたところ、日が暮れても命じられた田を鋤き終えることができなかった。奉公人は涙を流しながら牛を追い続けていると、天の神様が哀れに思い、現世に生きていても幸せになれないと考え、牛や鋤もろともに田圃の中に吸い込んだ。それを今にユビ(吸う)田と称している。(『宮古の民話』)


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