ご訪問、ありがとうございます。内容を新しくして、以下へアップ致しました。
http://totoro820.ti-da.net/e3983842.html





この記事へのコメント・感想・ゆんたくはじめ、お気軽にお書き下さい。承認後アップされます。
はいさい、ちゅーがなびら。

さすが、僕のような本の世界とは違って、
本当に歴史を歩んできた人の話は、
素適です。

そうですか、小学生は、禁止だったんですか。へぇ~。
なんだ、近い時代でも、お金、落ちてたんですねぇ。驚き。
なんてたって、ポコポコリさんの家の前みたいなもんですからねえ。

あなたの家の前から海で、久米の方に島が浮いていたなんて、
想像できませんが、実に、想像するだけで、ロマンです。

今日から3泊4日、九州です。
水前寺公園や熊本城、フェリーで渡って、雲仙普賢岳のホテルです。
仕事じゃなきゃ、もっといいのに。
いや、花粉がない沖縄だったらよかったのに。
まあ、仕事だから、贅沢は言ってられませんが。

また、今月末から沖縄、顔を出しますね~。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年03月16日 21:15


十貫瀬といえば小学生の頃はバー街でしたね。
学校に行くのに禁止されている十貫瀬を通ると
小銭が落ちていて拾うのが楽しみでしたよ(笑)
今でも数件は飲み屋が残ってますがほぼ契約駐車場に
変わってしまいました。
七つ墓も昆虫採集したり遊び場でしたね。
楽しい子供時代思い出しました。ありがとうございました。
Posted by ポコポコリ at 2010年03月16日 14:57


こんにちは。

たとえば、福州園は、
那覇市と福建省の国際友好都市10周年を記念して、
1992年に造られました。
大昔から、
琉球は中国と貿易をしていたから、
多くの琉球の人々が、今の中国福建省の福州に住んでいました。

というのは、そもそも、
14世紀末には福州から「久米三十六姓」と呼ばれる人たちが、
那覇に渡来しました。
それは、琉球の歴史でいう三山(さんざん)時代で、
琉球王府によって統一されるよりも前です。

3つの勢力に分かれていた沖縄本島を、
1つにした、つまり首里城に根拠を置く琉球王府は、
三山時代の中山(ちゅうざん)です。

北山も南山も、
利益が多かった中国と進貢貿易をしていましたが、
中山は最も盛んに貿易をして、
貿易だけでなく、
留学生の派遣はじめ、文化の交流にまで力を入れました。
その時、通訳や公文書の作成などに携わったのが、
この「久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)」の人々です。

教科書などには書いてありせんが、
三山のなかから、やがて中山が抜きん出て、
沖縄本島を統一したのは、そのせいなのであって、
当然の成り行きです。

ただし、
もっともっと昔の沖縄を学んでいくと、面白いですよ。

なぜなら、
遙か昔の、沖縄とか、琉球とか言われた地域は、
今の奄美諸島から台湾までの、どこを指していたのか、
わからないというか、全部を含んでいて、
しかも、人が住んでいるのは、
ある地域だけなのですから。
当然、国など、ありはしません。
いるのは、単に、人々だけです。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年02月20日 13:35


横浜のtoshiさん

こんばんは~

今でも十貫瀬って、探せばわかるのでしょうね。

自分の住んでいる辺りだと、やはり興味深いものですね!o(^-^)o

先日、宿泊されたお客さんからも、昔昔の久米の辺りのことを色々と教えて頂きましたよ~(o^∀^o)

昔の沖縄の人は中国人のことを久米人と言ってたそうです。(笑)
Posted by yukuru mama at 2010年02月19日 23:03


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

※TI-DAのURLを記入していただくと、ブログのプロフィール画像が出ます。もしよろしければ、ご利用下さい。(詳細はこの下線部クリックして「コメ★プロ!」をご覧下さい。)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版)」 新着20件  → 目次(サイトマップ)       設置方法