てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版) › 54尻間嶽の天神(すしまだけのてんじん) ~琉球沖縄の民話

~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第54話。

尻間嶽(すしまだけ)の天神

 むかし、宮古島では、十月の間の、よい日には、天つ神(あまつがみ)が尻間嶽に現(あらわ)れなさいまして、親類同志が、お互に、むつまじくしないのをお責(せめ)になりました。
 また神様は、お剣(つるぎ)をふるわれて、いろいろのお祭りごとを怠ける者に、仲よくして、務(つと)めるべきことをおこたってはならぬと、お訓(おさと)しになりました。
 それから後は、十年に一度、十月の間に、吉日をえらんで、十七日の長い間、男の人二人が白衣を着(つ)けて、身を清(きよ)めて、神司(かみつかさ)の子孫一人、根所(にいどころ)の軒(のき)の下に、朝晩ならんで立たせ、木刀(ぼくとう)をふるい、
 「親族は、仲良くし、祖先の祭りごとを怠(おこた)らぬように。」
と教える、長いお祭りをするようになりました。
 その時、ほかの人々も、下座の下に列席して、お祭りをおこないます。


※註
~宮古史伝(慶世村恒任氏著)によれば、
 「尻間嶽・・・・・・むかし、下里村の「すみや」という所に、『こひとの』という人があり、日頃、子のいないのを嘆いていたところ、信仰によって、ようやく一女児をもうけた。名を、「まんなべる」とつけ、両親で葬常に可愛がったが、七才の頃、母が死んでしまった。
  「こひとの」は、是非(ぜひ)なく、後妻を迎えたが、この女は心がよくない者で、常に「まんなべる」を、心憎く思っていた。
 ある日、父の留守に、幼い「まんなぺる」を、尻間山の洞内に投げこんだ。ところが、洞内は、蔓(つる)がはびこっていたために、それにひっかかって、底に落ちずに、七日七夜、泣き苦しんだ。すると、そこに天神が、天降りになって「まんべなる」を抱き、紫雲に乗せて、昇天したもうた。
 その後、天神は「まんなべる」をつれて、尻間山に現れて、
 「下界の者ども、慈悲の心がなく、祖先の神剣をもっていましむるぞ。」
と、おおせられたまいて、「まんなべる」を残して、昇天された。そのことがあって、それから「まんなべる」を、神司(かみつかさ)に立てて、天神を尻間嶽に祀(まつ)って嶽(うたき)をたて、神事が始ったとのことである。
 



Posted by 横浜のtoshi





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