~琉球沖縄に伝わる民話~
『球陽外巻・遺老説伝』より、第67話。
螺草浦(みなくさうら)の神女
むかし、宮古島の友利村にある平屋地(ひやち)に、一人の男の子がいました。
生れつき賢(かしこ)くて、又、大層、正直な子供でした。
まだ幼いうちに、父と母が二人とも亡くなりましたので、家屋敷(いえやしき)は、見る影もなく壊れてしまいました。
そこで、ある時は岩洞(いわあな)の中に寝たり、あるいは、木蔭(こかげ)で、僅(わず)かながら雨露(あめつゆ)を凌(しの)いでいました。
そして、日々の暮らしの元となるものはと言えば、明るいうちに、村のあちこちの人々に頼まれて、山で薪(たきぎ)を切ったり、水を汲(く)んだり、お天気のよい日などは、魚を釣ったりして稼(かせ)いだ、僅(わず)かな金でした。
そんな気の毒な、しがない、その日暮らしの日々を送っていましたが、なかなかの親孝行者で、他(ほか)の事はどうあっても、祖先のお祭りだけは、決して怠(おこた)らず、懇(ねんご)ろなお祭りを欠(か)かしませんでした。
ある日のこと、
「今日も、よい天気だな。こんな日には、きっといいものでも取れるに違(ちが)いない。」
と、好きな釣りに、いそいそと出掛(でか)け、螺草浦(みなくさうら)で釣糸(つりいと)を垂(た)れていました。
するとその時、たちまち神女が、小舟に乗って目の前に現(あらわ)れ、申(もう)しました。
「どうぞ、私を貴方(あなた)の妻にして下さい。」
あまりに突然(とつぜん)の事に驚いた男の子は、
「私は、幼い時に両親と死に別れ、今は誰一人、身寄(みよ)りもおらず、まったく一人ぼっちなのです。妻を貰(もら)うことなど、どうして出来(でき)ましょうか。」
と断(ことわ)ると、
「私は、貴方が、一人ぼっちなのをよく知っています。だからこそ、わざわぎ貴方をお慰(なぐさ)めしようと思って、やって来たのです。どうぞ、妻にして下さい。」
とおっしゃって、男の子が断(ことわ)っても一向(いっこう)に聞き入れようとせず、とうとう最後は夫婦になる事になりました。
二人は、昔あった家の場所に帰って家造りを始めたところ、その家は、一日かからぬうちに完全に出来あがりました。
神女は、一つの布袋(ぬのぶくろ)を持っていましたが、決して人には見せず、いつも家の奥深くしまっていて、毎日食べるお米は、その都度(つど)この袋から取り出しては、食事をしていました。
そのうちに月日が流れて、数年が経(た)ち、二人の間に、一人の女の子供が出来ました。
応田原(おたはる)と名づけられた子供は、大きくなって、他家(よそ)にお嫁に行きました。
神女は、夫と一緒(いっしょ)に件(くだん)の布袋を持って家を出ましたが、螺草浦に来た時にたちまち大雨なったかと思うと二人は海の中に消えてしまいました。
一方、お嫁にいった女の子は、次々に沢山(たくさん)の子供を産み、大いに繁昌(はんじょう)しましたが、不愚議な事に応田原は、年をとって白毛(しらが)が増えても、顔は若々しくて、いつまでも元のままでした。
ある時、不図(ふと)した病(やまい)で亡くなり、人々は、山立嶽に葬(ほうむ)りましたが、後になって棺(かん)を開(あ)けて見ると、いつの間にか死骸がなくなっていました。
村人は、大層、不思議な事と思い、崇(あが)めて神嶽にしました。
それから後は、舟で海を渡る人や、又、お願いごとがある人は決まってここにやって来て、お祈りを捧(ささ)げるようになりました。
※註
~山立御嶽・・・・・・女神、応田原を祀(まつ)る。(宮古史伝)
Posted by 横浜のtoshi
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