~琉球沖縄に伝わる民話~
『球陽外巻・遺老説伝』より、第96話。
麦の神酒(むぎのおみき)
むかしむかし、南風原(はえばる)の神里村(かみざとそん)に、一人の老いた農夫が細々(ほそぼそ)と暮らしていました。
貧乏(びんぼう)の、どん底(ぞこ)暮らしのため、稲穂祭(いなほまつ)りの日に、みんながお祭りを祝(いわ)っているにも関わらず、ただ一人でいつもと変わらず竹富嶽で、額(ひたい)に汗(あせ)して、一生懸命、畑を耕(たが)やしているのでした。
そこに仙人(せんにん)さながらの老人が現われて、言うことには、
「村中(むらじゅう)の者が、神をお祭りする日ということで、今日だけは働かずに、楽しく遊んでいます。それなのに、どうして貴方(あなた)独りだけが、畑を耕(たがや)していらっしゃるのですか。よければ、わけを話して下さい」と。
そう質問するので、耕(たがや)していた手を止めて老農夫が答えて言うことには、
「お祭りの日は、長い間の習(なら)わしとして、村中の者が一緒(いっしょ)になって、お米でお神酒(みき)を作ります。そして神様を祀(まつ)る習慣が、昔からずっと続いてきたのでございます。そして私のような貧乏人であっても、同じようにこのお米を負担(ふたん)しなければなりません。しかし生きていくのがぎりぎりで、どうしてもお米を負担できず、それが長年の苦しみの一つです。しかもこの通り、私はますます老いて、もう残った力(ちから)も僅(わず)かです。いずれにしても私に出来ることといったら、命のある限り、毎日休まず、土と向かい合って働くことだけなのです。」と。
そう丁寧(ていねい)に、また、正直に答えたのでした。
すると、それを聞いて、老人が言うことには、
「なろほど、そういうことでしたか。よく話して下さいました。
実は、私はこの村の神なのです。
今から後は、村のあちこちで行われるお祭りは、やめさせることに致(いた)しましょう。そしてまとめて、奴留殿内(ヌンドンチ)にだけ上げればよいことに致します。
それから、お神酒(みき)ですが、今からは、米より簡単(かんたん)に作りやすい麦(むぎ)で、お神酒を作ることと、しましょう。」と。
そう申(もう)されやいなや、その姿は風とともに、消え失せました。
この後、この神様のお告(つ)げを守り、琉球ではお神酒は麦で作るよう変わって、今日(こんにち)に到(いた)るまで、それを守っているとのことです。
※注
【南風原】(はえばる)南風原間切(まぎり)。南風原の以前の発音では「ふぇーばる」など。
【神里村】(かみざとそん)神里の以前の発音では「かんざとぅ/かんじゃとぅ」など。
【奴留殿内】(ヌンドンチ)ヌンドンチ=ノロ殿内。
Posted by 横浜のtoshi
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