~琉球沖縄に伝わる民話~
『球陽外巻・遺老説伝』より、第102話。
喜舎場公(きしゃばこう)
昔、喜舎場公と呼ばれる人がおりました。初めてこの村のを造った創設者(そうししゃ)のため、その人の名に因(ちな)んで喜舎場村(現在の北中城喜舎場)と名付(なづ)けられました。
ここでは今でも、毎年二月には、村の長者達がそのお墓参(はかまい)りをするとのことです。お墓は、村の後方(こうほう)の岩の方にあるとのことです。
※注
【喜舎場公】(きしゃばこう)。昔は、本文にあるように、二月に祭っていたが、現在は旧暦9月18日に、祭りが行われる。喜舎場公は、仲順大主(ちゅんじゅんうふしゅ)と同時代の人とされ、13世紀初めの人。喜舎場公園の後方の斜面、中腹にお墓がある。公園西の道を上がり、イーヌカー手前を右に曲がって、参道を登りつめた所。お墓の南、トゥンの下にある仲間根所(今は屋敷にヒヌカンのみ)は、喜舎場公の直系とのこと。
【北中城】(きたなかぐすく)1946年に中城村から、喜舎場・熱田・和仁屋・渡口・島袋・比嘉・瑞慶覧・安谷屋・荻道・大城・仲順は北中城村として分かれる。それ以前の古くは中城間切(まぎり)。中城の以前の発音は「なかぐすぃく/なかぐしく」など。
【喜舎場】(きしゃば)中城村に統合されて地域となったが、かつて、中城間切の時代は、この物語にあるように喜舎場村。
Posted by 横浜のtoshi
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