てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版) › 113改名の神託(かいめいのしんたく) ~琉球沖縄の民話

~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第113話。


改名の神託(かいめいのしんたく)


 むかし、与那城屋部邑は、毎回、幾度(いくど)となく火事に会い、その度毎(たびごと)に、多くの家が焼かれ、村中(むらじゅう)の者は、いつも火事が心配で心配でたまらなかったとのことです。
 ある日のことです。
 「君真物(きみまもの)」と言われる神様が、お現れになって言うことには、
 「しばしば火事が起こるのは、屋部という名前のためである。
 一刻(いっこく)も早く、屋慶名と改名すれば、もう火事は起らないようになる。」と。
 そう仰(おお)せがありましたので、信心深い村人の人々は、早速(さっそく)邑の名を改めることにして、それからは屋慶名という名になりました。
 名前を変えてから後は、一度も火事がなかったとのことです。


※註
~この民話は、屋慶名を「ヤキンナ」にかけた民間語源説(みんわごげんせつ)から出たとも考えられる。
 この村は、昔から、平安座、宮城・伊計の離島との発着地として栄えた地。
 琉歌に、
 屋慶名クワデサ首里にあたらまし
 おれが下なかい茶屋のたたなまし
という、有名な、屋慶名クワデサがある所である。
 
※注
【改名】(かいめい)「かいみょう」とも。名前を変えること。また、変えた名前。
【神託】(しんたく)神が、自分の判断や意志を巫女(みこ)といった仲介者や、夢などによって知らせること。神のお告(つ)げ。託宣(たくせん)
【与那城】(よなぐすく)与那城の以前の発音は「ゆなぐすぃく/ゆなぐしく」など。与那城間切(まぎり)
【屋部】話にあるように、屋慶名の以前の名。
【邑】邑=村。
【君真物】(きみまもの)きんまもん。琉球神道(りゅうきゅうしんとう)における最高神(さいこうしん)とされる。琉球の最高神女であった、聞得大君(ちふぃじん/きこえのおおきみ/きこえおおぎみ)に憑(つ)く神のため、最高神とされる精霊(せいれい)である。遠い常世(とこよ)の国、ニライカナイからやって来る。名は、最高の精霊(せいれい)という意。天地開闢(かいびゃく)以来、琉球国を守護(しゅご)してきた。この神には二面性があり、それぞれ、天から降りてきた場合は「きらいなかないのきんまもん」、海より上がって来た場合は「おほつかけらくのきんまもん」と呼ぶ。彼方(かなた)から時を定めてやって来る、まれびと神。また女性に憑依し(ひょうい)し、人々の前に現れることもあったとされる。
【海中道路】(かいちゅうどうろ)1971年6月より、与勝半島(又は、勝連半島)と、平安座島(へんざじま)、浜比嘉島(はまひがじま)、宮城島(みやぎじま)、伊計島(いけいじま)の四つの島は、つながっている。、与勝半島と平安座島を結ぶ橋が海中道路で、浅い海に土手を積み上げてつくられ、東洋一の規模を誇り、「あやはし」とも呼ばれる。一般的に、海にかかったものは「橋」と言われるが、海の中という意の「海中」道路と呼ばれる由来は、終戦後、干潟(ひがた)をアメリカ軍の水陸両用車やトラックが行き来していたため、その光景から名付けられた。橋が出来る以前は、主(おも)に沖縄の伝統的な舟サバニで行き来した。


Posted by 横浜のtoshi





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はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

そうですか、
本が読めない女性、スーさんが東京にいた時、いましたか。

平仮名しか書けない35歳の大学生は、1人知っていますが。

いや、本は読まなきゃ駄目ですよ。

読めない病気は、病気ですから例外です。
恐らく「学習障害」(Learning Disabilities)の可能性が高いです。
いずれにせよ、一種の発達障害です。

では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年08月19日 16:18


大根は、秋に贈りましょうねぇ。お楽しみに(^^)
いつも、丁寧にお返事ありがとうございます。
贅沢な時間です有り難うございます。

東京暮らしの時に”本が読めない”女性によく出くわしましたね。
NYのスラム街の子供達は貧しさから、書けない読めないがあるそうです。

日本は恵まれているのに、本を読めないのは気の毒としかいいようが無いですね。でも、もしも、教育を受けたくても受けられない子供達のことを思って自分は恵まれているんだ!と感謝の思いになったら読めないかな?とも勝手に思います。

それと、最近、読めない病気も発覚しているそうです。
脳の病気らしいです。
なので、一概に彼女達を責められないですが・・・。
(でも、ブランド品の本は懸命に読んでたな(笑))
Posted by スーさん at 2010年08月19日 14:29


スーさん、
はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

そういえば、僕の家のゴーヤーは大きくなってますが、
スーさんの、長靴のダイコン、
おっきくなってないなぁ(笑)。

声に出して読んだら、うちなー口が、わかったんですか?
それはそうです。

スーさんが、幼い時に、耳で、うちなー口を慣れ親しんだためです。
方言の多くは、そういう特性をもっているのが普通なのです。

方言は、地域で使われ、声で発して使われます。
標準語や、文字は、より広い地域で、通用しなくては意味がありません。

京都大学霊長類研究所の研究(つまり、平たく言えばるサルの研究)や、
この世に生まれた人間が、
様々な能力を、どのように獲得していくかという、
教育学や生理学をはじめとする専門分野の研究の問題ですから、
もちろん、
専門的に、どの研究書を読んでみても、
実に面白いですよ。

親はなくて子は育つ。
つまり、体は大きくなります。

でも、
人間の中味の方は、
勉強、教育、学び、学問や研究なしに、
人は発達できないのです。

「発達」する上で重要なのが、「言葉」です。
言葉なしに、人は発達ができません。

人類の祖先は、目に入った画像を、絵にするようになって(古い洞窟に書かれた絵)、
それで認知能力の、変化が起きました。

それがやがて、象形文字になって、
中国人は漢字という表意文字を作ったって(表音はアルファベットなど)、
世界史の勉強で、習ったと思います。
あれがまさに、御主人の質問に対する、答えなのです。

つまり、
認識や認知の能力は、人類は始まって以来、
そんなに変わってはいないんです。
そもそも五感に、そんな変わりがありませんから。

ところが、
他の動物と、人間が、
まったく違う進化を遂げたのは、
人間だけが、「言葉をもつ」ようになったためです。

これによって、
認知能力が、爆発的に向上しました。

もっとも、最近は、退化しているようですが(笑)。
『ケータイを持ったサル~人間らしさの崩壊~』という本で、
とても有名になりました。

例えば、
みんなの前で、白い黒板を指でさして、
これ何ですか?
と聞いたとします。

黒板です。そんなの当たり前だと、
特に、子どもや、学問がない人なら、そう答えが返ってきそうです。
中には、
そんなの常識だと、言い出す者まで、いるでしょう。

しかしながら、実際には、
まず、
人間の体内に、五感の一つの目を通して、
「椅子の映像」が、入ってくるのです。
そしてこれは、他の動物も同じ。

次に、体内に入った「映像」を、
「白」「椅子」という「言葉」に「置き換え」て、
人間だけが「認識」するのであり、人間だけがそれができるのです。

言葉の置き換えが弱い=認知能力が弱い、というのは、
ごく自然に頷けることなのです。

それだけ「言葉」というものは大切で、
人が人らしくあるためには重要、かつ、かかせないものなのです。

だから、本を読め、本を読めと、言われるわけです。

そして、
「認知能力」は、
人の「発達」と、切っても切り離せない、密接な関わりがあります。

以上、
人の認知(認識)についてでした。

ん~、眠い。
ゆくいみそ~れ~
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年08月18日 01:19


自分の名前を書く時の”心がまえ”の内容が素晴らしかったので
真似しようと思いました。
心構えの詳しい内容は割愛させて頂きます。あしからず(^^)

書道で思い出したのですが、ウチナー口の上手?な先輩から初めて手紙をもらった時に総てウチナー口で書いてあったのですが・・・
文字を目で追ってもチンプンカンプン。

ところが・・・!
声に出して読むと・・・、何とわかる。

方言の素晴らしさ?を改めて実感し感動したことをtoshiさんの書道のお話から思い出しました。
文字も言葉も本島に面白いですね。

そういえば、うちの主人が面白いことを言ったことがありますよ。
「人間って”言葉や文字”をどんな風に最初に認識できるようになったんだろうか・・・?」です。
Posted by スーさん at 2010年08月18日 00:00


はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

本田美奈子サンは、元気だと思っていたら、急に亡くなり、
病名も知って、当時はみんな、驚きましたね。
あくまでブラウン管の中の作られた虚像で、
本物の本田美奈子さんは、知らないものの、
好感がもてる性格がよい方と、みんな思っていたので、尚更でした。

アハハハ、社長が社員に、カツ入れるため、
自分の名前を書かせたんですか?

僕は、絶対にしません。
もちろん、書いて覚えることは、素晴らしい。

でも、
書道的な考えでは、学び始めた時、最もクセが治らないのが自分の名前。
いっぱい、自分で変に書いてきたから、治らないというわけです。
そして、文字や言葉は、公的な表現ですから、
表現は、個性的であっても、
公的表現は、誰でも理解できるものでないと、いけないわけです。

大学で書道の講義をとった時、
日本の書道界を代表する第一人者に、習いました。
しかも、分野は、近代詩文と前衛。

つまり、素人目には、これが書道?という分野です。

ところが、大学の講義で知ったのは、
古典的な字の全てをマスターし、
その上で、書道とは思えない作品を書いているのを知りました。

やはり、基本が出来ている人は違うんだなあと、
本物の書道を見て、感嘆しました。
しかも、お2人とも、書を心から愛している方でした。

以上から、
この社長さんは、重要な過ちを犯しているのです。
しようとしたのは、社員教育。
まず、
社員の名前を、自分で正しく書いて見せ、できればいくつかの書体で書き、
それを、書き取りすべきでした。

例えば、写経というのが、あります。
あれなどは、やはり、
魂がこもった、それなりの美しい字ですから、写し、そして書くことに意味があるのです。

こう書いたからといって、決して、気を悪くなさらないで下さいね。

書くことには、他に、色々な目的や用途があります。

ただ、こういった誤りや間違った事は、
決して真似なさらない方が、よいのです。

では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年08月17日 06:55


こんばんは(^^)
改名、面白いですね。

白血病で亡くなった本田美奈子さん。
私、アイドル時代からファンでした。

声楽を学ぶなどアイドル路線から脱却する姿も素敵でした。
ところが、名前を改名したのですが、それがとても奇妙でした。

32画にすることを占い師さんに言われたらしく、なんと!
”本田美奈子.”ドットを付けて32画にしていたのでした!

私は違和感を感じました。案の定、その後、病に・・・。
名前をいじることは怖いなと思いました。

ちなみに私、旧姓は32画でした。
仕事には恵まれましたが、結婚がかなり遅れました(笑)

私の名前は祖父が島で、まだついていない名前をと調べて付けてくれました。

名前を書く時にいつも、名前を付けてくれた祖父の思いを感じて嬉しい気持ちに包まれます。

女性は嫁に行くと名字が変わってしまいます。
でも名前は一生ものです。亡き祖父と繋がっていることを実感ですね。

あ!名前で思い出しました。
先日、ある会社の社長さんが中堅の社員にカツを入れるために
「毎日、ノートに自分の名前を書くように!」と名前の書き取りを命じたそうです。

すると、その社員さんは変わったそうです。
これ。私も実践してみようと思います(^^)
良いことは真似したいです。うふっ。
Posted by スーさん at 2010年08月17日 01:06


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