~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第123話。

喜才の墓(きさいのはか)


 むかし、大和の国から渡ってきた喜才(きさい)と言う名の僧侶(そうりょ)がおりました。
 喜才は、ある罪によって、慶良間(けらま)に島流(しまなが)しになりました。
 この人の墓は、生前(せいぜん)、余程(よほど)徳望(とくぼう)が高かったことを窺(うかが)い知ることが出来る立派なものです。流罪(るざい)になってから、三、四十年後に、その地で亡くなりました。
 僧を慕(した)った村人達は、渡嘉敷の伊保崎に葬(ほうむ)って、神様として崇拝(すうはい)し、その地を神嶽(かみだけ)としました。
 それからは、毎年、六月に行われる稲大祭(うまちー/うふうまちー)の日には、お神酒(みき)や供(そな)え物をして、お祭りをします。


※註
~『琉球国由来記』には、渡嘉敷間切に「イホ崎大和人墓所ノ事」として、この伝説が書かれている。これは「普陀落僧」として、日本から南支の普陀落山に修行に行く途中、漂着した僧で、罪というのは宗派争いのためではないかと思われる。
 
※注
【喜才】(きさい)鬼才という表記もあり、名前かどうかよくわからない。(鬼才=人間とは思えないほどの鋭い才能。またその持ち主。)
【僧侶】(そうりょ)僧。出家して仏道を修行する人。僧徒。
【慶良間】(けらま)慶良間諸島(けらましょとう)は、那覇の西、約40kmに点在する大小二十余りの島。人が住むのは、渡嘉敷島(とかしきじま)、座間味島(ざまみしま)、阿嘉島(あかじま)、慶留間島(げるましま)の4島。阿嘉島と慶留間島と外地島(ふかじしま/慶良間空港あり)は橋で繋(つな)がっている。
【渡嘉敷】(とかしき)渡嘉敷の以前の発音は「とぅかしち」など。
【伊保崎】(いほざき)渡嘉敷島の地名。イホ崎。いほ崎。『琉球國由來記』に、6月の「うまちー」の時、神酒などを供えて祈願したとある。戦前まで、正月の7日と6月の稲穂祭の時には、いほ崎の学問の神様に、村の安全と作物の豊饒を祈願していたが、戦後は稲穂祭の時の祈願はしていないという。
渡嘉敷島の伝えによれば、ここに葬られている人は、大島出身の学問僧で、この僧が来るまで、琉球では漢文だけを用いていたが、この人が薩摩藩から派遣されてきて国文学を教えたので、琉球でも、和文が出来るようになったと言われている。また、この僧侶は、渡嘉敷に来てから、米祝女殿内(めーぬんどぅんち)で暮らし、島の人から「学問世の先生」と呼ばれた。その頃、根神殿内(にーがん どぅんち)に、とても美しい(にーがんぐゎー)(根神小)という娘がいて、二人は恋仲になり、僧は、昼は米祝女殿内で島の人に学問を教え、夜になるとこっそり根神殿内に通ったのを、島の若い男達は妬(うら)み、僧を殺した。その死体を、渡嘉敷川に流したところ、大雨が降り、死体は渡嘉敷川が海に注ぐ、「んなとぅぬちび」(港の尻)と呼ばれる、河口に芦が生えた所に流れ着いた。村人がその死体を見つけて近くの山に埋めた。ちょうどその年、コレラが流行し、僧の、たたりとされ、改めて、お墓を「うしくるしもー(牛殺し毛)」に移して祀ったが、災いが続いたため、改めて墓を港の内側の場所に移し、墓の向きも港とは 逆の西向きに作り、拝所を建てたといわれる。

【慶良間諸島を調べてみました】
(★有人島)~慶良間諸島は、大きく、渡嘉敷と座間味に、わけられます。
◆渡嘉敷◆~ウチザン嶼(沖山嶼/うちざんしょう)・ウン島(うんしま)・運瀬(うんせ)・神山島(かみやましま(※チービシ環礁の一つ))・儀志布島(ぎしっぷしま/自志布島)・クエフ島(くえふしま(※チービシ環礁の一つ))・城島(ぐすくしま)・黒島(くるしま)・慶伊瀬島(けいせしま(※チービシ環礁の一つ))・自津留島(じつるしま)・地自津留島(じのじつるしま)・白岩(しろいわ)・渡嘉敷島(とかしきしま)★・中島(なかのしま)・ナガンヌ島(ながんぬしま(※チービシ環礁の一つ))・ハテ島(はてしま)・離島(はなれしま)・前島(まえしま)
◆座間味◆~阿嘉島(あかしま)★・安慶名敷島(あげなしくじま)・阿真牛瀬(あまうしり)・安室牛瀬(あむるうしり)・安室島(あむるしま)・伊釈迦釈島(いじゃかじゃしま)・奥武島(おーしま/うぶ岩(うぶいわ))・男岩(おとこいわ)・嘉比島(がひしま)・嘉麻島(かましま)・北平瀬(きたびらし/アチネーラ平瀬(あちねーらびらし))・後原離(くしばるはなり)・久場島(くばしま)・慶留間島(げるましま)★・座間味島(ざまみしま)★・砂白島(すなしるしま)・高内瀬(たかちんし)・積城島(つみしろしま)・中瀬(なかし)・長内瀬(なかちんし)・名瀬(なじ)・平瀬(ひらせ)・フカカネ瀬(ふかかねし)・外地島(ふかじしま(※慶良間空港がある島))・鰤島(ぶりしま)・ムカラク島(むからくしま)・屋嘉比島(やかびしま)・ユブ瀬(ゆぶし)


Posted by 横浜のtoshi





この記事へのコメント・感想・ゆんたくはじめ、お気軽にお書き下さい。承認後アップされます。
横浜のtoshiさん、おはようございます。

toshiさんは学校の教師なんですか?
主人も教師で、夏休みは全くないみたいです。
今夏は沖縄より本土の方が暑いとききます。
お体気をつけて下さいね。
いろいろ情報下さって、ありがとうございます。
感謝します。
今後とも宜しくお願いします。
Posted by かめきちかめきち at 2010年08月28日 09:29


mama、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

そうです。9/1が始業式です。
今年4月~来年3月が忙しいのは、諦めていま~す(トホホ)。

ほとんど、この夏は遊んでないから、
今日は、遊びにでも行くかな?

でも、相変わらず、横浜は、アチコーコーですぅ~

ママも、体調に気をつけて下さいね。

いつもコメント、にふぇーでーびる。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年08月28日 07:53


横浜のtoshiさん

こんばんは~o(^-^)o

8月も終わりになりましたね!
toshiさんの学校は9月1日からですか~

また忙しい毎日が始まりますね!
夏の疲れが出る頃です。
気をつけて下さいね!
Posted by yukuru mama at 2010年08月27日 22:20


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

※TI-DAのURLを記入していただくと、ブログのプロフィール画像が出ます。もしよろしければ、ご利用下さい。(詳細はこの下線部クリックして「コメ★プロ!」をご覧下さい。)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版)」 新着20件  → 目次(サイトマップ)       設置方法