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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第11話。
むかし
ある
お
この
むかしの
ある
いつものように
この
ある
「
すると、
「
それでもあなたは、
どうか、お
すると、トラヌパの
「そんなことを
もう
これは
「
トラヌパの
「
すると
「
さて、ンマヌパの
その
その
「あなた
すると
そして
「
ほれ、
やがてこの
そして
その
しかし、ンマヌパの
しかしながら、それでも
ところが、やがて
この
※この話の参考とした話
①沖縄先島・沖縄県宮古郡上野村新里~『沖縄地方の民間文芸〈総合研究〉』
②沖縄先島・平良市~『宮古史伝』
③沖縄先島・平良市池間島~『ゆがたい』第四集
④沖縄先島・宮古郡城辺町西々~『沖縄の昔話』
⑤沖縄先島・宮古郡城辺町比嘉~『宮古・城辺町の昔話稿』
⑥沖縄先島・宮古郡伊良部町伊良部~『日本神話と琉球』所収「琉球の宗教儀礼と日本神話」
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●伝承地
①沖縄先島・沖縄県宮古郡上野村新里~これはね、女が親主の家に奉公していたときのこと、芋畑に行って芋掘りをしたり、野菜を取ったりしていた。女は金もなければ、何もない貧乏であった。貧乏人は、親主の家で奉公していたものだ。ある日、テダ川に水汲みに行って、小便がしたくなったので、用をたして、そのあと卵を産んだ。女は、長井御獄の南のテダ川で卵を、十三個産んだ。テダ川に薪を取りに行っては、卵をあたためて、帰る。これをくりかえしていた。女が、卵がかえる頃になって、薪をとりに行って見ると、全部人間の姿になって卵からかえっていた。そして、テダ川に水遊びをしたりして、十三人いた。女は家に戻ると、桶に白粥を煮て持って来た。そして、テダ川で遊んでいる子供たちに白粥を食べさせた。この子供たちは神の子どもであったので、一人は世の主となってンマヌパに、また一人は風の主となってトラヌパに、サイヌパは帳簿の主と、また一人はニーヌパに命令する神様となって行った。こうして、方角ごとに配られたのだ。ある日、トラヌパの風の神様は、ファイマーラ崎に行って、「さあ、私たちは大風を起こそう」と、相談して帰って来た。ところで、ンマヌパの世の主は風の神様の姉にあたるそうだ。トラヌパの神様は、「姉さん、大風を吹かそうとファイマーラ崎に行って、他の神様と相談して来たよ」と言った。「あーあー、弟よ。私はどうすればよいのだ。宮古は、今年は全部に粟種を蒔かせて、今はたわわに実って、刈り入れどきなのに、お前は穀物を全部放り捨てるつもりなのか。それでお前は大風を吹かすのか。頼むから大風を吹かさないでくれ」と、ンマヌパの世の主は言った。でも、トラヌパの神様は、「そんなこと言っても、ファイマーラ崎に行って相談して来たもの、今夜、吹かすということだったので今からはどうにもならない。もう一度、戻って行って相談しろというのか。それはできない相談だ。吹かせてしまおう」と言った。「さあ、大変だ」と、ンマヌパの世の主は、泣きながら、「私の穀物を放り捨てるのであれば、宮古の穀物はなにもなくなってしまう。宮古は飢餓の世になってしまうのか」と、泣きくずれていた。トラヌパの神様は、「吹かせてしまうのだから、なんとか早く考えなさい」と、言った。「風を吹かせるなら、粟を一生懸命に刈り取らなければならない。私は急いで粟刈る鎌を準備して、粟を刈りとってしまおう」。粟は全部みごとに実っているので、人々は、想い想いに粟を刈り取ろうと、粟刈る鎌を持って来た。金持ちの人が粟を刈り取るために、人数を集めてやって来た。「おい、君の持っている粟刈る鎌と、私の種牛と(大きい種牛をつれていたので)交換しよう」と話をもちかけた。この金持ちの人は、粟刈ゲ取るために人数を集めてやって来たが、「こんなに、嬉(うれ)しいことがまたとあろうか」と言って、持っていた粟刈る鎌を渡し、種牛を引っぱって帰って行った。金持ちの家では、三味線をひき、踊っていた。「もうかった。もうかった。ほれ見ろ、こんなに大きな種牛だぞ」と、喜んで、三味線をひき、踊っていた。ンマヌパの神様は、人を集めて粟を全部刈り取り、家に担ぎ入れて、置くことができた。すると、その夜のうちに、ものすごい大風が吹き、夜が明けて見ると、粟は大風に吹きとばされ、なんにもなくなってしまっていた。風はその夜から翌日まで吹き、花原の粟まで全部なにもなくなるまで吹き飛ばしてしまい、牛を持ち帰った金持ちは、粟を刈り取ることができなかった。牛と交換して、牛さえあれば、明日でも、あさってでも、刈り取れると思い、踊っているうちに、なくなってしまった。もう、牛を売ってしまい、彼等の粟俵を買って、食べた。全部なくなるまで食べてしまった。「昔の、今年の、五穀の世は、昔のあるいは来年の種牛であっても、今年の、五穀の実の分もないことだ」と、昔話に話しておられた。(『沖縄地方の民間文芸〈総合研究〉』)
②沖縄先島・沖縄県平良市~各地に根ざした諸神が、人の世を作りなさる頃、一人の若い貧しい女がいた。その仕えた主人は横暴で、野山での獲物が少ないと、彼女をよく打ちのめした。ある日、女は原に出たが、仕事は思わしくなく、主人の仕打ちを恐れて、そのまま帰らず、原の小森に泊ると、夜中に異様な物音が雷のように原の中を駆けめぐる。翌朝、原に出て仕事にかかると、一羽の赤い鳥が飛び来たって彼女にかしずく。その日は意外と獲物が多く、欲深い主人を満足させることができた。それから幾日かの後、女が原に出ると産気づいて十二個の卵を生む。女は驚いてそれを原のほとりに穴を掘って埋めた。ほど経てその原に出てみると、十二人の児がお母さんとすがり付いてくる。女は喜んで、この十二人の子を養育していると、天上から神霊が常に降って、富貴なくらしを支える。やがて児らは成人して十二方の神々と示現され、母なる女も昇天して神とあらわれる。この母神が子方母天太(ねのはあまてだ)、子神は宮古中の人命数奇を掌(つかさど)る池間御岳の大主(おおぬす)ウラセリクタメナウノ真主、農耕万穀を掌る赤崎御岳の大世ノ主(ぬす)、人事諸事の記帳を掌る阿津真間御岳の蒲戸金主(かまどかねぬす)、公けの物事官職栄達の道を掌る赤名宮のウエカ主(ぬす)、産児出生を掌る美真瑠(びまる)御岳の美真瑠主(びまるぬす)などで、その他は明らかでない。(『宮古史伝』)
③沖縄先島・沖縄県平良市池間島~金持で乱暴な主人に雇われている貧しい女が、薪取りに山へ入ったが、あまり集めることができないうちに日が暮れたので、そのまま山に泊まると、そばの木に赤い鳥が止まっていた。翌朝、その鳥は飛び立ったが、女が小便をしようとみると、腹のなかから十二個の卵が出てきたので、不思議に思い、穴を掘ってそれを埋めた。一年後に女がそこに行ってみると、十二人の子どもが、次々とお母さんと呼んで出て来た。この母の女がンマティダガナスになり、十二人の子どもは、大主の神はじめ、宮古のあっちこっちの御岳の神となったという。(『ゆがたい』第四集)
④沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町西々~昔、池間のウハルズという金持ちに奉行する狩俣のニヌファテダという女がいた。あるとき、主人の命で畑に豆取りに行くと、白い鳥が降りて来て、女の頭にさわった。女が豆を取って戻ると、主人はもう一度豆を取ってくることを命じる。再び畑に行くと、急に腹が痛んで来て、お腹から十二個の卵が生まれる。女は驚いて、その卵を草で覆い、そのまま豆を取って戻ると、三度、主人は豆を取ってくることを命じる。また畑に行ってみると、先の卵からそれぞれ子どもが十二人生まれている。女は不思議に思って、その子どもたちを育て、子どもが七歳になったとき、それぞれ十二方に分けて、神さまになって守りなさいと命じる。その女は、ニヌファマテダといって狩俣に祀られている。そして、その子どもたちは、池間、島尻、平良の漲水御岳、阿津真間(あちぬま)御岳に各一人、伊良部に二人、下地の赤名宮、津野瀬(つのじ)、赤崎御岳、平良の盛加、ワルシ御岳、美真瑠御岳に祀られている。(『沖縄の昔話』)
⑤沖縄先島・宮古郡城辺町比嘉~両親を早く亡くした貧しい娘がいたが、十七の歳になるとたいへんな美人になる。冬の寒いとき、この娘が薪とりに行き、太陽が照って温いままに、木のうつろで居眠りをすると、何もしないのに身ごもる。やがて、この娘は、十二個の卵を産み、その卵から十二人の子どもが生まれる。女の子六人、男の子六人であるが、天の神の命により、その子どもたちは十二方位のそれぞれの神に配祀され、娘も天に昇る。(『宮古・城辺町の昔話稿』)
⑥沖縄先島・沖縄県宮古郡伊良部町伊良部~昔、下女が山に薪を取りに行くと、急に大便がしたくなり、一つの卵を生んだ。下女は卵の上に萱をかぶせて置いたが、翌日からも同じことが続き、一日に一つずつ、十二の卵を生んだ。それから何日か後にそこを通ると、卵から十二人の子どもが孵っており、女が困っていると、天の神が現れ、お前はわたしの子を生んだのだと教え、十二人の子を世界の十二の方角の神と遣わし、女はその祖神と祀られた。子どもが去って後、子どもたちは舟にいっぱいの麦・米・粟を積んで母親の許に現われ、母親も舟で神の島に連れて行かれたとも伝える。(『日本神話と琉球』所収「琉球の宗教儀礼と日本神話」)
①沖縄先島・沖縄県宮古郡上野村新里~これはね、女が親主の家に奉公していたときのこと、芋畑に行って芋掘りをしたり、野菜を取ったりしていた。女は金もなければ、何もない貧乏であった。貧乏人は、親主の家で奉公していたものだ。ある日、テダ川に水汲みに行って、小便がしたくなったので、用をたして、そのあと卵を産んだ。女は、長井御獄の南のテダ川で卵を、十三個産んだ。テダ川に薪を取りに行っては、卵をあたためて、帰る。これをくりかえしていた。女が、卵がかえる頃になって、薪をとりに行って見ると、全部人間の姿になって卵からかえっていた。そして、テダ川に水遊びをしたりして、十三人いた。女は家に戻ると、桶に白粥を煮て持って来た。そして、テダ川で遊んでいる子供たちに白粥を食べさせた。この子供たちは神の子どもであったので、一人は世の主となってンマヌパに、また一人は風の主となってトラヌパに、サイヌパは帳簿の主と、また一人はニーヌパに命令する神様となって行った。こうして、方角ごとに配られたのだ。ある日、トラヌパの風の神様は、ファイマーラ崎に行って、「さあ、私たちは大風を起こそう」と、相談して帰って来た。ところで、ンマヌパの世の主は風の神様の姉にあたるそうだ。トラヌパの神様は、「姉さん、大風を吹かそうとファイマーラ崎に行って、他の神様と相談して来たよ」と言った。「あーあー、弟よ。私はどうすればよいのだ。宮古は、今年は全部に粟種を蒔かせて、今はたわわに実って、刈り入れどきなのに、お前は穀物を全部放り捨てるつもりなのか。それでお前は大風を吹かすのか。頼むから大風を吹かさないでくれ」と、ンマヌパの世の主は言った。でも、トラヌパの神様は、「そんなこと言っても、ファイマーラ崎に行って相談して来たもの、今夜、吹かすということだったので今からはどうにもならない。もう一度、戻って行って相談しろというのか。それはできない相談だ。吹かせてしまおう」と言った。「さあ、大変だ」と、ンマヌパの世の主は、泣きながら、「私の穀物を放り捨てるのであれば、宮古の穀物はなにもなくなってしまう。宮古は飢餓の世になってしまうのか」と、泣きくずれていた。トラヌパの神様は、「吹かせてしまうのだから、なんとか早く考えなさい」と、言った。「風を吹かせるなら、粟を一生懸命に刈り取らなければならない。私は急いで粟刈る鎌を準備して、粟を刈りとってしまおう」。粟は全部みごとに実っているので、人々は、想い想いに粟を刈り取ろうと、粟刈る鎌を持って来た。金持ちの人が粟を刈り取るために、人数を集めてやって来た。「おい、君の持っている粟刈る鎌と、私の種牛と(大きい種牛をつれていたので)交換しよう」と話をもちかけた。この金持ちの人は、粟刈ゲ取るために人数を集めてやって来たが、「こんなに、嬉(うれ)しいことがまたとあろうか」と言って、持っていた粟刈る鎌を渡し、種牛を引っぱって帰って行った。金持ちの家では、三味線をひき、踊っていた。「もうかった。もうかった。ほれ見ろ、こんなに大きな種牛だぞ」と、喜んで、三味線をひき、踊っていた。ンマヌパの神様は、人を集めて粟を全部刈り取り、家に担ぎ入れて、置くことができた。すると、その夜のうちに、ものすごい大風が吹き、夜が明けて見ると、粟は大風に吹きとばされ、なんにもなくなってしまっていた。風はその夜から翌日まで吹き、花原の粟まで全部なにもなくなるまで吹き飛ばしてしまい、牛を持ち帰った金持ちは、粟を刈り取ることができなかった。牛と交換して、牛さえあれば、明日でも、あさってでも、刈り取れると思い、踊っているうちに、なくなってしまった。もう、牛を売ってしまい、彼等の粟俵を買って、食べた。全部なくなるまで食べてしまった。「昔の、今年の、五穀の世は、昔のあるいは来年の種牛であっても、今年の、五穀の実の分もないことだ」と、昔話に話しておられた。(『沖縄地方の民間文芸〈総合研究〉』)
②沖縄先島・沖縄県平良市~各地に根ざした諸神が、人の世を作りなさる頃、一人の若い貧しい女がいた。その仕えた主人は横暴で、野山での獲物が少ないと、彼女をよく打ちのめした。ある日、女は原に出たが、仕事は思わしくなく、主人の仕打ちを恐れて、そのまま帰らず、原の小森に泊ると、夜中に異様な物音が雷のように原の中を駆けめぐる。翌朝、原に出て仕事にかかると、一羽の赤い鳥が飛び来たって彼女にかしずく。その日は意外と獲物が多く、欲深い主人を満足させることができた。それから幾日かの後、女が原に出ると産気づいて十二個の卵を生む。女は驚いてそれを原のほとりに穴を掘って埋めた。ほど経てその原に出てみると、十二人の児がお母さんとすがり付いてくる。女は喜んで、この十二人の子を養育していると、天上から神霊が常に降って、富貴なくらしを支える。やがて児らは成人して十二方の神々と示現され、母なる女も昇天して神とあらわれる。この母神が子方母天太(ねのはあまてだ)、子神は宮古中の人命数奇を掌(つかさど)る池間御岳の大主(おおぬす)ウラセリクタメナウノ真主、農耕万穀を掌る赤崎御岳の大世ノ主(ぬす)、人事諸事の記帳を掌る阿津真間御岳の蒲戸金主(かまどかねぬす)、公けの物事官職栄達の道を掌る赤名宮のウエカ主(ぬす)、産児出生を掌る美真瑠(びまる)御岳の美真瑠主(びまるぬす)などで、その他は明らかでない。(『宮古史伝』)
③沖縄先島・沖縄県平良市池間島~金持で乱暴な主人に雇われている貧しい女が、薪取りに山へ入ったが、あまり集めることができないうちに日が暮れたので、そのまま山に泊まると、そばの木に赤い鳥が止まっていた。翌朝、その鳥は飛び立ったが、女が小便をしようとみると、腹のなかから十二個の卵が出てきたので、不思議に思い、穴を掘ってそれを埋めた。一年後に女がそこに行ってみると、十二人の子どもが、次々とお母さんと呼んで出て来た。この母の女がンマティダガナスになり、十二人の子どもは、大主の神はじめ、宮古のあっちこっちの御岳の神となったという。(『ゆがたい』第四集)
④沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町西々~昔、池間のウハルズという金持ちに奉行する狩俣のニヌファテダという女がいた。あるとき、主人の命で畑に豆取りに行くと、白い鳥が降りて来て、女の頭にさわった。女が豆を取って戻ると、主人はもう一度豆を取ってくることを命じる。再び畑に行くと、急に腹が痛んで来て、お腹から十二個の卵が生まれる。女は驚いて、その卵を草で覆い、そのまま豆を取って戻ると、三度、主人は豆を取ってくることを命じる。また畑に行ってみると、先の卵からそれぞれ子どもが十二人生まれている。女は不思議に思って、その子どもたちを育て、子どもが七歳になったとき、それぞれ十二方に分けて、神さまになって守りなさいと命じる。その女は、ニヌファマテダといって狩俣に祀られている。そして、その子どもたちは、池間、島尻、平良の漲水御岳、阿津真間(あちぬま)御岳に各一人、伊良部に二人、下地の赤名宮、津野瀬(つのじ)、赤崎御岳、平良の盛加、ワルシ御岳、美真瑠御岳に祀られている。(『沖縄の昔話』)
⑤沖縄先島・宮古郡城辺町比嘉~両親を早く亡くした貧しい娘がいたが、十七の歳になるとたいへんな美人になる。冬の寒いとき、この娘が薪とりに行き、太陽が照って温いままに、木のうつろで居眠りをすると、何もしないのに身ごもる。やがて、この娘は、十二個の卵を産み、その卵から十二人の子どもが生まれる。女の子六人、男の子六人であるが、天の神の命により、その子どもたちは十二方位のそれぞれの神に配祀され、娘も天に昇る。(『宮古・城辺町の昔話稿』)
⑥沖縄先島・沖縄県宮古郡伊良部町伊良部~昔、下女が山に薪を取りに行くと、急に大便がしたくなり、一つの卵を生んだ。下女は卵の上に萱をかぶせて置いたが、翌日からも同じことが続き、一日に一つずつ、十二の卵を生んだ。それから何日か後にそこを通ると、卵から十二人の子どもが孵っており、女が困っていると、天の神が現れ、お前はわたしの子を生んだのだと教え、十二人の子を世界の十二の方角の神と遣わし、女はその祖神と祀られた。子どもが去って後、子どもたちは舟にいっぱいの麦・米・粟を積んで母親の許に現われ、母親も舟で神の島に連れて行かれたとも伝える。(『日本神話と琉球』所収「琉球の宗教儀礼と日本神話」)
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ゆめたまごサン。
こんにちは。
今回は、少し、長い話でした。
また、
前半と後半の内容が違う、
言わば、二つの話がくっついたような伝説で、
その点で、珍しいものでした。
また、
題では宮古の十二神ですが、
生んだタマゴ=生まれた神が十三個で、
数が合わない?
思わず、見直して、確認してしまいました。
まあ、そこは、ご愛敬。
伝わる三つの話のうち、二つの話では十二です。
もしかしたら、あと一個は、ゆめたまごサンかも?(笑)
気に入って頂けて、書いてよかったです。
ありがとうございます。感謝。
コメント、にふぇーでーびる。
では。
こんにちは。
今回は、少し、長い話でした。
また、
前半と後半の内容が違う、
言わば、二つの話がくっついたような伝説で、
その点で、珍しいものでした。
また、
題では宮古の十二神ですが、
生んだタマゴ=生まれた神が十三個で、
数が合わない?
思わず、見直して、確認してしまいました。
まあ、そこは、ご愛敬。
伝わる三つの話のうち、二つの話では十二です。
もしかしたら、あと一個は、ゆめたまごサンかも?(笑)
気に入って頂けて、書いてよかったです。
ありがとうございます。感謝。
コメント、にふぇーでーびる。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年10月24日 19:50
Posted by ゆめたまご at 2010年10月24日 11:53
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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