宮古島の始まり ~琉球沖縄の伝説

2010年11月01日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(4)琉球沖縄の伝説・沖縄先島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第20話。


宮古島の始まり



 むかしむかし、宮古島(みやこじま)がつくられた時の、お話です。
 宮古は、(なに)一つない、(たい)らな島でした。
 ある(とき)(てん)(かみ)が、(した)にあるあの島に行って島立(しまだ)てしなさいと、女神(めのかみ)(ひも)をつけて()ろしました。
 (なに)しろ神からの命令(めいれい)ですから()(とお)りにしようと思いながら、女神(めのかみ)は天から()りたそうです。
 ところが、(おろ)ろされた下界(げかい)(しま)は、(かた)(いわ)ばかりで、いわば海の上に()かんだ岩の()せ集めのような場所(ばしょ)ではありませんか。
 女神(めのかみ)()ぐさま天に(のぼ)って、天の神に言うことには、
 「天の神。あのような(ところ)では、とてもではありませんが島立(しまだ)てなど出来(でき)るものではありません。
 と言いますのは、大変に(かた)い岩ばかりの(うえ)に、土が一粒(ひとつぶ)もないのです。あのような下界(げかい)島立(しまだ)てすることなど、私には不可能(ふかのう)です。」と。
 女神(めのかみ)がそう()って、何とか(ことわ)ろうとすると、天の神が言うことには、
 「それでは、天の神である私の(ちから)で土を降ろします。
 ですから、もう一度、降りて行って()っているがよい。」と。
 ()()らない女神(めのかみ)でしたが、天の神からの命令(めいれい)です。しぶしぶ降りて行ったのでした。
 その日の夜がやって来ました。
 稲光(いなびかり)が、まんまん、まんまんと天を(かけ)(めぐ)り、(かみなり)(おと)もまた、ばらばら、ばらばらと、一晩中(ひとばんじゅう)()(ひび)きました。そして、想像(そうぞう)もつかないほどの雨が()むことなく降り続きました。
 翌日(よくじつ)(あさ)になり、早起(はやお)きの女神(めのかみ)は、目覚(めざ)めて(そと)見回(みまわ)してみると、(てん)(かみ)が言ったように、宮古の島中(しまじゅう)本当(ほんとう)に、赤土(あかつち)(おお)われています。
 それを見た女神(めのかみ)は、()ぐに天に(のぼ)りました。
 そして、天の神に向かって言うことには、
 「(たし)かに、宮古には土が()ろされました。
 しかしながら、赤土(あかつち)ではありませんか。赤土で、一体(いったい)(なに)が作れるというのでしょうか。
 まして島立てなど、とてもではありませんが出来(でき)るものではありません。」と。
 そう言って、役目(やくめ)(ことわ)ろうとすると、それを聞いた天の神が言うことには、
 「なるほど、そうであったか。
 では、次には必ず、黒い土を降ろしてあげよう。
 だから、また島に行って待っていなさい。」と。
 天の神の命令は絶対(ぜったい)であり、女神(めのかみ)嫌々(いやいや)降りて行きました。
 するとその夜もまた、赤土が()った夜と同じように、一晩中(ひとばんじゅう)、まんまんと稲光(いなびかり)が空を走り、ばらばら、ばらばらと(かみなり)の音が(とどろ)き渡りました。
 さて、翌日の朝早く、女神が起き出して見てみると、今度(こんど)もまた本当(ほんとう)に宮古島一面(いちめん)が、黒土(くろつち)(おお)われていました。そのために、宮古島の地面は黒土で、()ると赤土(あかつち)があり、(さら)()ると岩や石だということです。
 なお女神は、これなら島立(しまだ)ても大丈夫(だいじょうぶ)だと思いました。
 そこで女神は、(ふたた)び天に(のぼ)ってゆき、天の神にお願いして言うことには、
 「宮古には、(もの)(たね)一粒(ひとつぶ)もございません。そのため何も作れず、食べていくことが出来(でき)ません。
 どうか(すべ)ての(たね)()けて下さい。」と。
 すると天の神は、いいでしょうと言うなり、色々(いろいろ)(たね)を持たせてくれました。
 ところが、穀物(こくもつ)(たね)のうち、キインという一種類(いっしゅるい)の種だけは、持たせてくれようとしません。キインがとても美味(おい)しいのを知っている女神は、その(たね)もくれるようにとお願いしました。しかしながら天の神は、これだけは持たせるわけにはいかないと言います。
 そこで女神は、天の神が()していたキインの種を、こっそり(ぬす)み、ふんどしの、いたんの中に(かく)して宮古島に(もど)りました。
 ところがこっそり(かく)()ってきたキイン(たね)は、月夜(つきよ)()えるとなかなか(そだ)たず、一方で、月が出ない暗い夜に植えると、沢山(たくさん)(みの)ったのでした。
 女神は、(ほか)にも色々な穀物(こくもつ)を作っていって、島立(しまだ)ての(すべ)てが順調(じゅんちょう)に終わると思っていました。
 そんな、ある日のことです。
 天の神が(あらわ)れて、女神(めのかみ)()かって言うことには、
 「あなたは、これから(はじ)めて()たものを(おっと)にしなさい。
 たとえ、(なに)ものが、あなたに()かって(ある)いて()ようとも、そうしなさい。
 それがたとえ、犬であろうと、人であろうと、何であろうと、あなたが初めに見たものを、(かなら)(おっと)にしなければならない。」と。
 これを聞いて、流石(さすが)女神(めのかみ)(おどろ)きました。
 しかしながら、天の神の命令です。言うことを聞かない訳にはいきません。
 女神は心の中で、大変なことになったとびくびくしながら()らしました。勿論(もちろん)、どんな夫が目の前に現れるのだろうと()が気ではありませんでした。
 すると数日後、女神(めのかみ)に向かって、今まで見たこともない、小さな人がやって来ました。何とも言いようがない(みにく)い小さい人でしたが、聞くと神さまであるといいます。そして宮古島に(もど)って最初(さいしょ)出会(であ)ったので、女神(めのかみ)はその小さな神を(おっと)にすることにしました。
 このようにして、宮古の島立てが(おこな)なわれたということです。
 そしてまたこの話は、先祖(せんぞ)から子孫(しそん)へと、ずっと伝わっていった話なのだそうな。


 
※この話の参考とした話
沖縄先島・旧沖縄県宮古郡上野村新里(宮古島市上野新里)~『上野村の民話』
沖縄先島・沖縄県宮古島・旧平良市~『宮古史伝』
沖縄先島・旧沖縄県宮古郡上野村新里(宮古島市上野新里)~『宮古の民話』
沖縄先島・沖縄県宮古島・旧平良市『嶋始神託』~『宮古島記事仕次』


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●伝承地
沖縄先島・旧沖縄県宮古郡上野村新里(宮古島市上野新里)~宮古は何もなく、平らだった。何も島というものも無く、創らないときに、天の神さまが、下の島に行って島立てをしなさいと娘を降ろしたそうです。天の神さまは紐をつけて降ろしました。神さまの命令であるなら、言うとおりにしようと、降りてきたのでした。
 下界の島は、固い岩だらけの、海の岩のようなところでしたのでまた上がって行き、
 「どんなにしても、下界では、あんな所では島立てはできません。すごく固い岩だらけの、土の一粒ほどもないのに」と言いました。
 「どんなことがあっても、下界では島立てはやりません」と断ったそうです。
 「私たちが土は降ろしてあげよう。また降りて行きなさい」と天の神さまが言ったので、
 「仕方がないなぁ」と言い、命令どおりやろうと降りてきました。
 その日から、想像もつかないような、夜になると稲光と雷とが夜の間中しきりに続き、雨はやむことなく降りつづき、さあ大変だ、夜中"バラバラ、バラバラ"稲光は"マンマン、マンマン"と夜の間中していたのです。
 その娘が翌日朝早く起き出して見ると、赤土が本当に降ろされてありました。宮古に降ろしてあったのです。
 またまた上って行きました。そして、
 「赤土に何が作れよう。島立てはできません」
と上って行き、言いました。
 「あーそうか、また行きなさい。私たちが黒土を降ろそう」と神さまが言うので、また、
 「仕方がないなぁ」と、命令どおりしようと降りて来ました。
また、その夜は赤土を降ろした夜のように稲光が"マンマン"と雷は"バラバラ、バラ"と夜の間中していたのでした。
 さて翌日朝早く起き出して見ますと、本当に黒土を降ろしてありました(あまりにもおかしいことだが)。
 「あー、今度は大丈夫だなあ」と、言いました(そんなことだから、自分たちが土をたがやすと黒土があってそれの下には赤土があり、またそれの下は石があるだろう。そんなにしていたんだね)。
 「さあ、今だったら大丈夫だ。島立てはできるよ」と言ってからね。
 また上って行ってね、
 「物種が一粒もないし、何を作って食べようか。物種の全部をなんとか分けてください」と言いますと、
 「いいでしょう」と、全部、色々と穀類の物種のほとんどを持たせたそうです(おかしなことだね)。穀類の種のうち、ところが一種類を持たさなかったそうです(あの、あんたたちは知らんと思うが、昔はね、キインと言ってね、とてもおいしいものがあったんだよ)。キインを持たせないので請求しました。ところが、
 「いや、これは持たせるわけにはいかん」と言うので、干してある、天の神さまの干してある種を、その娘は盗んで(あまりにもおかしいことだが、そのころパンツというものはなく、必ずイタンというものを着けていたんだよ。さてこの人はフンドシのようなものを着けていました。男の人は前を隠してかけてさげるが、女のフンドシはそれとは反対に股の間から後へもっていき後でかけてさげていたんだよ。昔の人たちは、近頃まで、それをイタンと言っていたんだが、そのイタンの中に)さあて、なんと言おうか、今ならパンツだが、パンツの間に、中にね、そのキインを隠して持ってきたのでした。
 ところが、盗んで持ってきたものだから、月夜に照らして植えると、なかなか育たなかったということです。キインというものは隠して持ってきたものだから、月夜にではなく暗い夜に作ると、ものすごく実ったそうです。ほんとうのことだよ。さて、色々の穀類も作っておりました。この娘は、島立ては難しいことではなくなったと思っておりました。
 そんなことで、
 「あんたは、初めて見る者を夫にしなさいよ。何者が歩いていようとも、犬がいようとも、また人間であっても、初め見る者を夫にすることだよ」と神さまが言うので、
 「さあ、大変だぞ。どのような者が見えるのだろうか」と、思っていると、あらーっ、宮古では、見たことのない小人が見えたそうです。それもまた神さまだそうです。なんとも、まあ、なんとも言いようのない醜い小さな人が。地面になんとかくっついているような人と出会ったので、それを夫にしたのでした。
 このようにして宮古の島立ては行なわれたのです。
 こんな話があったので話すのです。
その話はこれだけだよ。(『上野村の民話』)
沖縄先島・沖縄県宮古島・旧平良市~太古、天地がいまた定まらず、海原も揺らいで、宮古島も形をなさないときに、天帝(あまてだ)が天の岩柱の端を折って弥久美(やぐみ)神に授け、よき所を選んで島を作れと命じる。弥久美神は、天の夜虹橋(ゆのづばす)の上からそれを海原に投げ入れると、その石が凝り固まって宮古(みあく)の島ができた。天帝はさらに赤土を降ろさせなさり、古意角を召して、宮古に人の世を建てよと命ずる。古意角は天帝に、我に足らざる片つからだを賜えと乞うので、姑依玉という陰神を賜わる。古意角・姑依玉の二神は、豪力の神なる盛加(もりか)神をはじめ大くの神々を従えて下界に下ると、罪あって天の国を追い出された鬼どもが立ち塞がる。これを怒って、盛加神は天の立矛で薙ぎ倒そうとし、火麻呂(びまる)神は猛火で焼き殺そうとし、天干瀬(あまびせ)神は豪雨を降らせて流し棄てようとするが、古意角神はこれを押し留め、彼等に八束穂(やつほ)の白飯を賜い、八継(やつき)の色たて衣(ぎぬ)の御袖でなでなさると、一同、これに付き従う。やがて二神は、漲水天久崎(びやるみずあめくざき)に宮居し、諸神に命じて島建をなさり、宗達(むにたる)神・嘉玉(かだま)の神という陽神・陰神を生みなさる。当時、島内は赤土ばかりで穀種が生じにくいのを憐れんで、天帝はさらに黒土を降ろしなさる。これより島には五穀豊熟することとなった。宗達・嘉玉の二神が十歳の頃、天帝は紅葉を身にまとった木装(きそう)神という陽神と、青草をまとった草装(ふそう)神という陰神を降ろしなさったので、古意角・姑依玉二神は喜んで、宗達神に草装神を娶わせて束地を与え、嘉玉神に木装神を娶わせて西地を与えた。これが今日の東仲宗根、西仲宗根となる。やがて宗達神は一男の世直真主(よなおしまぬす)を生み、木装神は一女素意麻娘司(そいまらつかさ)を生んで、この二神が夫婦となり、その子孫が繁盛したという。(『宮古史伝』)
沖縄先島・旧沖縄県宮古郡上野村新里(宮古島市上野新里)~宮古島が、まだ十分に形になっていない大昔、天のいちぽんえらい神さまの天帝が、女神を呼んで、下界の三角島に降りて島建をせよと命ずる。女神が降りてみると岩だらけの島なので、戻って岩だらけで水のないことを訴えると、天帝は大雨を降らせ、土をばらまかれた。女神が見ると赤土ばかりの島なので、また赤土ばかりでは作物ができないと訴えると、天帝は黒土をたっぷり降らされた。今度は作物の種のないことを訴えると、天帝はウプガン(高黍)などの種物を与え、最初に出会った者と結婚して子どもを生めと命ずる。貰った種物を調べると、稗がないので、天帝の庭からこっそりと盗んで、イタンに隠して降りる。それで稗は月夜には蒔かず、真夜中に向ってまけば豊作になると言い伝える。女神は、もらった種物を蒔き、聟(むこ)をさがして歩いていると、猿のように醜い男と出会ったので、ああと嘆いたが、天帝の命なので、その男と結婚して子孫を繁生させたという。(『宮古の民話』)
沖縄先島・沖縄県宮古島・旧平良市『嶋始神託』~古伝曰昔年神託を聞に宮古嶋上古に古意角と云男神天帝に奏し願ハ下界に嶋を立始て衆生を済度し守護神とならんと誓により帝叡感有て天の岩戸の尖先を折これを与へての給ハく汝下海に降り風水よからん所に此石を抛入へしとの給ふ即恩を謝して石を持下り蒼々たる大海になけ入給ふ時に其石凝積て嶋形出たり帝又赤土を下し給ふ古意角の曰我に具足の者あらんことをこふ帝勅答しての給ハ汝六根五体を具足せり又何の不足あらんや古意角の曰夫陽あれハ陰有陰あれハ陽ありと奏す帝是を志かりとして姑依玉といふ女神を具すへしと許し給ふこゝにおいて二神此土に天降りして守護神となり一切の有情非情を産し其後陽神陰神を生て宗達神嘉玉神と名つく此嶋赤土なる故に穀種生しかたし故に飢に及ふ事度々なり天帝此を憫んて黒土を下し給ふ是より五穀豊熟して食物多し宗達神嘉玉神十余歳の比いつくより来るといふ事も志れず遊楽の男女在て容貌嬌?たり古意角姑依玉問ての給ハく汝等何国より来ると答て曰土中より化生して父母なし故に遊楽神と成男神ハ紅葉を以て身を荘厳す故に木荘神と云女神ハ青草を以て身を荘厳す故に草荘神と云古意角姑依玉の二神甚これをよろこひ草荘神を以て宗達神に幸し木荘神を以て嘉玉神に幸し宗達神ハ男子たるを以て東地を領して東仲宗根と名つく嘉玉神者女子なるを以て西地を領して西仲宗根と号す二神の神徳広太の故に人物化育す宗達一子を世なふしの真ぬしと名付男神也荘一子を素意麻娘司といふ女神也この両神夫婦となって子孫繁衍す当地開基人生のはし満り志かなり(『宮古島記事仕次』)


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ルミさん、こんにちは。

宮古は、本当に、平らなんですか?
僕も、行って、確かめないとなあ。
『こねたお餅を まな板で 押し付けたみたい』か、確かめま~す。

宮古だけなら、すぐ行かれますが、
行くなら、
宮古を中心に、周囲の島にも、足を伸ばしたいので、
ついつい、計画が、先延ばしになってしまっています。

離島も、まだまだ行ってないところ、一杯、あるしなあ~。
奄美も、大島と加計呂麻(かけろま)しか、行ってないものなあ。

本島周辺も、津堅島と伊是名・伊平屋は、まだ行ってません。

ん~、死ぬまで、回りきれるだろうか?

黒土、赤土、石は、
何も掘ってみなくても、大丈夫ですよ~。
地層が、あらわれている所を、探せばいいんです。

いつもコメント、ありがとうございます。

そう言えば、
次回の、八重山の話で、コメントに書きましたが、
宮古島では、なんで、アダンを食べないんでしょうかねぇ?
食べてる人も、いるんじゃないかと、思っているんですが。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月03日 07:55


横浜のtoshiさん
こんばんは
興味深く読ませていただきました

宮古島が平らな事は
飛行機から見てもそのとおりだと思います。
まるで『こねたお餅を まな板で 押し付けたみたい(笑)』ですね。
土は赤土と黒土?わかりませんが 何だか そんな気がしてくるから 不思議 ですね。
昔からのお話しは そんな パワー があると思います
ありがとうございます
Posted by ルミ at 2010年11月03日 01:58


dedeさん、こんにちは。

鍋底黒糖、もう、売ってませんでしたか!
ごめんなさい。誤った情報を、伝えてしまいました。
すみません。m(_ _)m

凄く濃い味で、焦げた匂いが、特徴的なんですが、
売ってないとは、残念!
もう、食べられないと思うと、悲しいなあ。
あとは、奄美だけか!

宮古島、ムー大陸の一部だったんですか?アハハハハハ。

ムー大陸って、
今から約1万2000年前に、
太平洋にあったとされる、伝説上の大陸なんですが・・・・・・。

その、いんちきユタさんに、僕も会ってみた~い!
真顔で、言ってましたか?

幼い頃は、
ムー大陸とか、アトランティス大陸とか、
胸をどきどきさせて、夢見たものです。

重ね重ね、「鍋底黒糖」の件、申し訳ありませんでした。

それから、
僕が鍾乳洞に行った時は、鍾乳石トトロなんて、ありませんでした~。

コメント、ありがとうございます。

宮古島に行きたい気持ちが、強くなりました。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月02日 00:16


こんばんは。
先日石垣島の鍾乳洞に行ったときに「鍋底黒糖」を探しましたがありませんでした。
売店の人に聞いたら今は売ってないそうです。
もう奄美にしかないんでしょうか。奄美に行く機会があればなんとか手に入れてみたいです。
あと非科学的な話になりますが知り合いの宮古島出身のユタが「宮古島はかつてムー大陸の一部だった。だから他の沖縄の島々とは違った文化があるんだよ~」と言ってました。

確かに宮古島の方言はかなり独特だし、パワースポットと呼ばれているところも多いようです。

本日の「宮古島の始まり」の記事ととこのユタさんの話に共通点があるかな~と興味深く読ましていただきました。
Posted by dededede at 2010年11月01日 23:26


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